切り札
結局俺は手を出さなかった。
刀を鞘に納めて神楽に声をかけた。
「お疲れさん」
すると神楽はこちらに向かって笑う。
「どうして、今僕が背を向けてる間に攻撃しなかったの?」
俺は思わず表情が固まった。どうやら彼は彼で俺のことをよく知っているらしい。
「酷い冗談だな、せめて笑える冗談を言ってくれよ。確かにこの後俺達は戦わないといけないが、それは正々堂々とだろ」
何とか表情をつくろいながら答えるが、恐らく自然な表情を作れていないと思う。
「もちろんだよ、そして、この瞬間から僕は天ちゃんの幼馴染としてじゃなくて剣道部主将として対峙しないといけない」
だから、さっきの隙を見せている間に攻撃して来いっていうのかよ。さっきのは幼馴染としてのサービスってのか。なめられてるねーしかし。
「だからなんだよ。お前が剣道部として本気を出すからって別に負ける気は無いぜ。それにさすがの俺もお前が幼馴染だからって手を抜くとは思ってねーよ」
まあ、勝てる気はそれほど無いが、黙って負けてやるつもりも無い。ここまで面倒なことをがんばったんだ、最後まできっちり終らせて、うまい飯を食わないとやってられねーんでな。
微妙な空気が流れる中、分かれていた別動隊がグランドまでやってきた。向こう側のグループは結局無駄足になったが、まあ結果オーライだろう。
「神楽、決着はさ、一騎打ちでいいか?」
ぼそりと俺が呟く。俺の声に神楽が軽く「いいよ」と答えた。
そして、俺はとりあえず葵ちゃんの所へ行く。無論決勝戦の参加者を決める話し合いである。
普段の俺ならば、あっさりと葵ちゃんに決勝の相手を譲るのだが、残念なことに神楽が相手である。俺は自分でもびっくりすることに自分で神楽と戦うことしか考えていなかったのである。俺ならきっとスイッチの入らない神楽との戦いになる。そうだとしたら、俺の方が勝つ可能性がある。
でもね……。面倒なことは寝ていてもやってくるのに、わざわざ自分から突っ込みに行くとはどうしたことかな。
頭をかきながら、とりあえずさっきの戦いについて、お疲れ様と互いに声を掛け合ったあとすぐに本題を述べた。
「さっき神楽と話したんだけどさ。決勝は一騎打ちってことにしたんだ。それでさ、俺が出たいんだけど……」
後半にいくに従い声は小さくなり、代わりに俺の声とかぶるように彼女が答える。
「やだ」
さっきも思ったが、彼女は男を立てるということを知らないらしい。こんなことを言っていたら女性の権利団体に怒られそうだが。
俺がとりあえず彼女を説得しようとしたとき、彼女は急に俺の懐に入って痛めている脇腹を押した。
「ふみゅー」
俺は激痛を歯をかみ締めて耐えた。そして口からは奇妙な声が漏れる。
それを確認して彼女は俺に言った。
「怪我してるのに、いいカッコしすぎだよ」
「いやいや、別に怪我してるわけじゃない。こそばゆくてそれを耐えただけだ」
無論嘘である。確かに動いているときは痛みは頭から飛んでいるがひとたび思い出したら相当の痛みであることに気付く。まあ、葵ちゃんが言わなきゃ忘れていられた気もするが。漫画のキャラが先週号に怪我していても今週号になるとスポーツでもしているように。
「私と合流する前から痛めてたんでしょ。ここから先は私に任せて休んでてよ」
どうやら、ずいぶん前から気付いていたみたいだった。そのうえ、この台詞かっこいいね。さすが俺の見込む学園最強の女だ。
だけど、今回ばかりは譲れない。
神楽に対して遠い昔の借りを高い利子つけて返さないといけないのだ。それをやるなら今日しかないんだ。
「なあ、正直なところ、葵ちゃんがさ、神楽に勝てると思う?」
この問いにいささか口を膨らませながら反論する。
「勝てると思ってるわよ。確かに、神楽くんはすごい剣の使い手だってことはわかるけど、それでも勝って見せる」
「百パーセント?」
「それは……」
そこで彼女が言いよどむ。まあ神楽相手に百パーセントの確率で勝てるなんて言うやつは頭がどうかしてる。
「俺なら絶対に勝てる。今日この一戦だけなら」
つまり、何が言いたいかというと、俺の頭はどうかしてる。
「怪我して、疲れ果ててるあなたが、無傷の私より確実に勝てるって言うわけね」
「まあ、そういうわけです。なあ頼む、一生のお願いだ」
俺は頭を下げて頼む。そして、彼女の大きなため息をつくのが聞こえそして、諦めた風に言った。
「しょうがない。でも、約束して、絶対負けないで」
強い声で念を押される。俺は顔を上げて彼女を見た。目をつぶって、頭を手で押さえて、やれやれと呟いている。
どうやら、本気で自分が戦いたかったらしい。内心悪いことしたなと思いながら、俺は振り返って、本日のラスボスと向き合った。
神楽はラスボスと形容するには抵抗のある人もいると思う。小柄で華奢な体で見る人によっては女の子と間違える容姿をしている。けれど、刀を持たせたら右に出るものはまずいないほどの実力者である。そんな奴が相手なのだ。あんな大言壮語を吐いたけど、負けても許してくれるよね。
「天下くん、負けたらもう一回、教室の窓から飛び降りてね」
背後から、声援にしてはやけに毒の強い声が聞こえた。どうやら許す気はないらしい。ていうか勘弁してくれ、今日だけで三回も学校から飛び降りてるんだから。
葵ちゃんに堂々と見得を切ったのを早速後悔しながら、俺は神楽の方へと向かっていく。神楽は九条と一言二言話しただけでグランドの中央に一人で佇んでいた。右手に抜き身の刀を握りながら。
「待たせたな」
五メートルぐらいの距離で俺が言う。別にそれほど時間はたってはなかったが。まあ決闘に遅れた男が必ず吐くお約束の台詞だ。
「やっぱり、天ちゃんが相手か……。天上さんでも僕はよかったんだけどね」
俺の目をまっすぐ見ながら言う。綺麗であり、見るものを底なしの沼に落としそうな深さを持った黒い瞳が俺の瞳を覗き込んでくる。
神楽とはじめて出会ったのは覚えていない。親同士が剣術家で知り合いであり、道場が隣同士であるということで小さいころから互いの道場を行き来し、稽古で技を磨き、稽古が終ったら日が暮れるまで一緒に遊んだ仲である。
そんな、幼馴染だが小学校に入ってから嫌いなものができた。神楽の顔だった。男にしては整いすぎ、そしてかわいらしすぎた。おかげで小学校に入るまで神楽が男だと知らなかった俺の初恋の相手は目の前の幼馴染である。そして、あれからずいぶん経ったのにいまだに男らしい体つきにも顔つきにもならない。
無論俺は俺は神楽のことを親友だと思っているし、時々悪態をつくがかけがえの無い大事な奴である。けれど、俺は奴の顔を見るたびに幼いころ神楽のことが好きだったという黒歴史を思い出してしまう。それが嫌で神楽の顔が大嫌いだった。それ以来あまり目を合わせないようにしてきたが、今回は目を見ないわけにはいかない。
いつ攻撃されてもいいように。または、相手の隙にいつでも自分が攻撃できるように……。
「俺はお前と戦えてうれしいぜ」
「僕も久しぶりに戦えてうれしいよ」
「何年ぶりだ、俺達が戦うの?」
「八年ぶりだよ」
神楽の目が一瞬遠くなる。
「あのさ……」
弱々しい声で神楽が聞いてくる。
「あの日から剣を捨てたのって、僕が勝ったせいなの?」
神楽の言葉で、幼き時代が一瞬よみがえる。剣術を習うのが楽しくて仕方なく、家族にほめてもらうのが至福の時間だった。同世代には誰にも負けず、神童なんてもてはやされてた。目の前にいる剣の天才にだって剣をやめる一週間前までは負け無かった。けれど、俺は剣を捨てさせられた。
「馬鹿言うなよ、自分で才能ないってわかったからやめたんだよ」
「嘘だよ! 毎日あんなに楽しそうにしてたじゃん」
そうだな、すごく楽しかった。
「もう済んだことだよ神楽。それよりも今に集中しろよ。言っとくけど、さっき後ろから攻撃しなかったのは、そんなことしなくても勝てると思ってるからなんだぜ」
振り切るようにいう。もう思い出すなよ神楽、その昔話で一番苦しんだのは俺に勝ったお前だろ。だからさ、もう忘れようぜ、最後の戦いがあんなふうな幕引きだから、いつまでも俺達は引きずってしまうんだよ。だからさ、今日の戦いで塗り替えようぜ。勝っても負けてもどっちでも明日のために進もう。
「そうだな神楽。一個予言しとくぜ、勝負は一瞬で終るぜ」
「『天剣』なら通用しないよ」
わかってる。あれは初見しか意味が無い。そのうえ、お前が本気なら初めてでも止められるだろ。
「だからこそ、一瞬で終るのさ。せいぜい用心してくれ」
「そうだね。じゃあ僕も全力で行くよ」
刀を正眼に構える。目つきからみるにスイッチが入ってる。言葉どうり全力らしい。
「剣道部主将、序列七位、弐宮神楽。いざ勝負」
「帰宅部徒歩通学代表、序列一位、神乃天下、お手柔らかに」
そして、俺も刀を左手に持ち、右手をポケットの中に突っ込んだ。
正直なことを言おう。神楽、俺はこの会長戦で最後まで残るのはお前だと思ってた。お前はさ自分のためにはあんまりやる気を出さないし、序列だって、七という数字が好きだからわざわざ序列七位に甘んじてる変わり者だけどさ、今回は剣道部の主将として戦ってるわけだろ。それはつまり珍しく本気を出すってわけだ。自分のためじゃなく剣道部のために。
そんなお前に勝つ方法なんてさ、俺は思いつかなかったわけだ。だから一番最初に同盟を持ちかけたわけだ。でもさ、最後はやりあわないといけないよな、でも勝てる手は思いつかなかった今の今までは!
俺はポケットの中に手を突っ込んで、射撃部の連中からくすねた閃光手榴弾のピンを抜いて投げた。そして、俺はスタングレネードが引き起こす、強烈な閃光と爆音から身を守らず、むしろ体の力を抜き、自分の唯一の武器である『天剣』で自ら放り上げた閃光手榴弾とともに神楽目掛けて突っ込んだ。
「これで、幕引きだ」
これが本日考え付いた俺が神楽に勝つ可能性を見出したやり方である。
閃光手榴弾単体ならば、あいつの超人的な反応で防がれるかもしれない。『天剣』だけならば確実に防がれる。でも二つ同時なら? あいつの意識を閃光手榴弾に向けているうちに、天剣を放てば? いくらあいつでも、どう行動すればいいか迷うはずだ。そして、俺の『天剣』は迷う暇なんて与えない、ことスピードだけなら最強の技だと思っている。さあ、どうする神楽!
当然閃光と爆音は俺にも届き、頭がクラクラするほど脳に音と光の衝撃が来た。だが、動き始めた俺は止まらない、閃光で何にも目には映っていないが、お前が立っていた場所に俺は最速の居合いを打ち込んだ。
ガキン!
俺の耳は閃光手榴弾のせいで何も聞こえなかった。けれど、手ごたえから、俺が勝利の希望をこめて打ち出した技がとめられたことを悟った。
俺の刀は神楽の体に届かず、神楽の刀で体の前で止められていたのだ。
『天剣』が必勝の剣ではなく初見殺しなのは訳がある。なるほど『天剣』は「消えた!」と感じさせるほど一瞬で間合いを詰めて最速の居合いで敵を討つ技だ。けれど、この技はいくつかの制約がある。一つは射程距離、五メートル以内でなければ初見でなくても反応される確率が高い。二つ目には技を撃つ瞬間全身の力を抜く必要がある。この隙はほんの一瞬なのだが、次の弱点と合わせられると実力者だと完璧に防がれる。その弱点は『天剣』の剣の軌道は決まっているということである。
正確に言えば、刀が鞘に入ったままの状態で横薙ぎにしか撃てない。型どうりにやらないと著しく剣速が落ちるのだ。
そして、その弱点ゆえに、相手が脱力した瞬間、または相手が消えたと思った瞬間に刀で胴払いを防ぐように構えれば、確実に止められるのだ。
「やっぱり、最高で最強だよ」
スタングレネードが投げられたのを確認した上で、目を閉じるのでもなく、耳をふさぐわけでもなく、次の俺の行動のみを正眼のまま待ち受け、一瞬だけ行った脱力を見逃さず、俺の天剣を止めた神楽に感動していた。
俺の最後の小細工すら通用しなかったのだ。
「もう、一生お前には勝てねーよ、神楽。だから、今日の俺の勝利で俺達の勝負は永遠に終りだ!」
わかってたさ、なんとなく止められる気がしていたことも事実だ。だから、今日仕込んだネタじゃなく、過去にお前に『天剣』を止められて負けてから、破門される一週間の間に考え付いた、無天流の技ではなく、自分のオリジナル技を見せてやる。
まあお互いに目が見えてないんですけどね。
「天・地・人」
そうして放った切り札は、光の残光のなか誰にも見られることなく、目の前の親友をふっとばし気絶させた。