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にゃんぞうのひみつ任務

掲載日:2026/06/13

 僕はにゃんぞう。

 黒くて、つやつやで、しっぽの先までりっぱな猫である。


 にゃんぞうは、今日も家を守っていた。


 窓の外を鳥が飛べば、にゃんぞうは目を細めた。

 庭の草むらがかさりと揺れれば、にゃんぞうは耳をぴんと立てた。

 戸がことりと鳴れば、にゃんぞうは低く身を伏せた。


 この家には、にゃんぞうの大切な人がいる。


 だから、油断してはいけない。

 鳥も、草むらのかすかな音も、戸を鳴らす風も、ときどきとてもあやしい。

 あの人を困らせそうなものは、全部にゃんぞうが見張らなければならなかった。


 にゃんぞうは、毎日いろいろなものから、あの人を守っていた。


 あの人が編み物をしている時には、にゃんぞうは毛糸玉を押さえた。

 丸くて、転がって、どこへ行くか分からない。

 あれは、どう考えても危ないものだった。


「あらあら。にゃんぞう、それは使うものなのよ」


 あの人は困ったように笑って、毛糸玉を取り戻そうとした。

 にゃんぞうは前足でしっかり押さえる。


 逃がしてはいけない。


 けれど最後には、あの人が両手でにゃんぞうを抱き上げた。


「ありがとう。でも、これは返してね」


「にゃあ」


 にゃんぞうは少しだけ不満だった。

 しかし、あの人が笑っているなら、今回は見逃してもよい。


 洗濯物を畳む時も、にゃんぞうは働いた。


 畳まれる前の布は、たまに風にふわりと浮く。

 浮くものは危ない。

 急にあの人の顔へかぶさるかもしれない。


 だから、にゃんぞうは布の上に座った。


「にゃんぞう、そこに座られると畳めないのだけれど」


 あの人はそう言いながらも、にゃんぞうの頭を撫でた。


 にゃんぞうは目を細める。


 ほめられた。

 今日も任務は順調だった。


 あの人が外へ出ようとした時には、にゃんぞうは戸口に座った。


 外は危ない。

 知らない音がする。

 知らない匂いがする。

 急に何かが飛んでくることだってある。


 あの人は腰をかがめて、にゃんぞうと目を合わせた。


「少しだけよ。すぐ戻るから」


「にゃ」


 それは信じられない。

 帰ってきた時には、疲れた顔をしていることがある。


 だから、にゃんぞうは通せんぼをした。


 けれど、あの人はにゃんぞうを抱き上げて、戸口の横へそっと下ろした。


「お留守番をお願いね」


 扉が閉まる。


 にゃんぞうは扉の前に座った。

 しっぽを身体に巻きつける。


 家を守るのも大事な任務である。

 けれど、扉の向こうへ行くあの人を守れないのは、にゃんぞうにとって大きな問題だった。


 最近、その問題はどんどん大きくなっていた。


 あの人は、前よりも疲れた顔をするようになった。

 外から帰ると、しばらく椅子に座ったまま動かないこともある。


 夜にも、ぼんやり窓の外を見ていることが増えた。

 にゃんぞうがそっと近づくと、あの人はいつものように笑った。


「大丈夫よ、にゃんぞう」


 大丈夫。


 あの人はよくそう言う。

 けれど、にゃんぞうは知っている。


 大丈夫と言う時ほど、大丈夫ではないことがあるのだ。


 にゃんぞうは布団の足元で丸くなった。

 目は閉じない。

 眠っているように見せながら、ずっと見張っていた。


 悪いやつは、まだ姿を見せない。


 でも、いる。

 きっといる。


 見つけなければならない。


 そしてある朝、あの人が籠を持って外へ出た。


「少し出掛けてくるわね」


 にゃんぞうは、床に座ったまま耳を動かした。


 あやしい。


 いつもなら戸口で止めるところだ。

 けれど、今日は違う。


 止めても、あの人は行ってしまう。

 ならば、後をつけるしかない。


 これは、誰にも知られてはいけない任務である。


 にゃんぞうは、あの人が扉を閉めるのを待った。

 足音が遠ざかる。

 それから、開いていた小さな窓の隙間から外へ出た。


 しなやかに地面へ降りる。

 黒い身体を低くする。

 しっぽの先まで静かにする。


 ひみつ任務の始まりである。


 あの人は、ゆっくり道を歩いていた。

 にゃんぞうは少し離れてついていく。


 石垣の陰。

 樽の後ろ。

 荷車の下。

 干された布の影。


 隠れる場所はたくさんある。


 あの人が振り返った。


 にゃんぞうは、すぐに樽の陰へ入った。


 完璧である。


 道には、いろいろな危険があった。


 地面を転がる小石。

 急に鳴く鳥。

 知らない人の靴。

 大きな音を立てて進む荷車。

 魚の匂いをさせる店先。


 特に魚の匂いは危なかった。

 にゃんぞうの足が、そちらへ向かいそうになる。

 だが、今は任務中である。


 守らねばならない。

 あの人を苦しめるものがいるなら、にゃんぞうが追い払わなければならない。


 風が強くなる。

 道の端に置かれた荷車の布が、ばたばたと鳴った。


 あの人はそのまま道を進む。


 その少し先に、荷車が止まっていた。

 荷台には木箱がいくつか積まれている。

 そのうち一つが、風で揺れた布に押されるように、少しずつ端へずれていた。


 木箱が、かたりと鳴った。

 また少し動く。

 あの人は気づいていない。


 あの人は、荷車の横を通ろうとしていた。


 にゃんぞうは、考えるより先に走った。


 石畳を蹴る。

 人の足の間を抜ける。


「にゃっ!」


 にゃんぞうは、あの人の前に飛び出した。


「きゃっ!」


 にゃんぞうの身体は、落ちてきた木箱にぶつかった。


 世界がぐるりと回る。


 あの人の声が、遠くで聞こえた気がした。


 それから、何も分からなくなった。


          ◇


 にゃんぞうが目を覚ました時、最初に感じたのは、布の匂いだった。


 やわらかい布。

 あの人の家の匂い。


 身体が少し痛い。

 頭も重い。


 にゃんぞうは目を開けた。


 いつもの部屋ではなかった。

 でも、家の中だった。

 にゃんぞうは籠の中に寝かされていた。

 身体のまわりには、布が重ねられている。


 起き上がろうとすると、前足に力が入りにくかった。


「にゃ……」


 小さく鳴く。


 誰も来ない。


 家の中は、ひどく慌ただしかった。


 ぱたぱたと人が歩く音。

 扉が開いて、すぐに閉まる音。

 小さく言葉を交わす声。


 にゃんぞうは耳を動かした。


 あの人はどこだろう。


 木箱から守ったはずだ。


 それなのに、家は騒がしい。

 あの人の声がしない。


 にゃんぞうは籠から出ようとした。

 けれど、身体がふらついて、また布の上に座り込んでしまう。


 その時、奥の部屋から声が聞こえた。


 あの人の声だった。


 苦しそうな声。

 息を詰めるような声。

 何かに耐えているような声。


 にゃんぞうの胸が、ぎゅっと小さくなった。


 守れなかった。


 にゃんぞうは、籠の中で小さく丸まった。

 しっぽを身体に巻きつける。

 耳が下がる。


 奥の部屋で、またあの人の声がした。


 行かなければならない。


 にゃんぞうは、ゆっくり立ち上がった。

 足元はふらつく。

 でも、歩ける。


 その時だった。


 あの人の苦しそうな声が、ふっと途切れた。


 家の中が、一瞬だけ静かになる。


 にゃんぞうは息を止めた。


 次に聞こえたのは、知らない声だった。


 小さな声。

 でも、部屋いっぱいに広がる声。


 泣き声だった。


 にゃんぞうは目を丸くした。


 なんだ、これは。


 小さいのに、強い。

 弱そうなのに、大きい。

 聞いたことのない、不思議な声だった。


 にゃんぞうは、そっと部屋へ入った。


 部屋の中で、誰かがほっと息を吐いた。

 近くで、嬉しそうな笑い声がした。


 あの人は、寝台の上にいた。

 とても疲れた顔をしている。

 けれど、その顔は、にゃんぞうが見たことのないくらいやわらかかった。


 腕の中には、小さなものがいた。


 赤い顔。

 小さな手。

 ぎゅっと握られた指。

 布に包まれて、ふにゃふにゃと動いている。


 にゃんぞうは近づいた。

 一歩。

 もう一歩。


 あの人が、にゃんぞうに気づく。


「にゃんぞう」


 声はかすれていた。

 でも、優しかった。


 あの人は片手を伸ばし、にゃんぞうの頭をそっと撫でた。


「守ってくれて、ありがとう」


 にゃんぞうは、瞬きをした。


 守れたのだろうか。


 あの人はまだ疲れていて、少し苦しそうでもあった。


 けれど、笑っている。

 とても、とても大事なものを抱いているように笑っている。


 あの人の手が、もう一度にゃんぞうの頭を撫でる。


「今度は、この子も守ってね」


 にゃんぞうは、赤ん坊を見た。


 赤ん坊は、目を閉じたまま口を開けた。

 小さな声で泣く。

 手が少し動く。

 その手は、にゃんぞうの前足よりも小さくて頼りなかった。


 小さい。

 弱そう。

 すぐ泣く。

 ひとりでは、どこへも行けそうにない。


 これは、大変だ。


「にゃ」


 あの人は、疲れた顔で笑った。

 赤ん坊はまた小さく泣いた。


 にゃんぞうは目を細める。


 油断ならないものは、この世にたくさんある。


 けれど、大丈夫だ。


 にゃんぞうには、新しい任務ができた。


 大切な人を守ること。

 そして、大切な人の大切な子を守ること。


 今日から、ひみつ任務は二つになった。


 僕はにゃんぞう。

 黒くて、つやつやで、大切な人たちを守る、りっぱな猫である。


この作品は、連載中の

『ずれた四男の異世界暮らし ~僕の当たり前は、魔力社会の盲点でした~』

にも作中絵本として登場しています。


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