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潔癖症の俺は、どうしても彼女に触れたい  作者: 四条 葵 


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第3話 将棋の桂馬の動き


 その日の授業も普段と変わりなく、恙なく進行していった。


 四限目の授業は数学だった。昼休みが迫る午前中最後の授業に、みな空腹に耐えながら必死に黒板とノートを交互に見つめる。


 すると普段はまったく声を掛けてこない隣の席の男子生徒が、涼に小声で話しかけてきた。


「悪い、藤沢。シャー芯くれないか?」


 困ったように手を合わせる隣の席の男子に、涼はOKサインを出す。

 涼は自分のペンケースからシャー芯の入ったケースを取り出し、さっと一本取り出した。それを男子へと差し出す。


「ありがとな、藤沢」


 小声でお礼を言った男子は涼からシャー芯を受け取ろうとして、その指先が涼の指先に触れた。


「…………っ!」


 男子は特に気にした様子もなく、涼から貰ったシャー芯を自身のシャープペンシルに入れている。


 涼は男子が触れた自身の手を見つめ、男子が黒板とノートに集中し始めたのを確認してから、慌ててポケットに入っている除菌ジェルを取り出した。そうしてその除菌ジェルを指先に塗る。

 涼は内心大きなため息をついた。


(学校生活を送る中でこういう事故みたいな接触は仕方ないが、なんていうかやっぱり除菌しないと精神が落ち着かないな……)


 学校という集団生活の中では、触れてしまうこともあるだろう。少しは我慢しないととは思いつつも、どうしても除菌したくなってしまうのが潔癖症の性だった。


 ただ、触れられてすぐに除菌するのではなく少し間をおくのは、相手を傷付けないためであった。

 涼としてはいち早く除菌したいのだが、触れられてすぐに除菌すると、相手が「俺、汚いと思われてるんだ……」とショックを受けてしまう可能性がある。


 潔癖症の涼にとっては触れられるのが苦手なのであって、相手を汚い、と思っているわけではない。触れられると落ち着かなくなって、除菌したくなるのだ。


 しかしそんな潔癖症の話を親しくもない相手にしたところで、理解してくれる人は少ないだろう。

 涼が友人作りに消極的なのは、そういう理由からだった。


 除菌を済ませほっと一息ついていると、四限目終了のチャイムが鳴る。教室中の張り詰めた空気が、一気に開放的なものへと変わる。


 しかしそんな油断していた生徒達に、数学教師は授業終わりにこう告げる。


「今日はノート提出をしてもらいます」


 痩せ気味の長身数学教師の言葉に、少なからず「げ……」という表情を見せる生徒達。


「今日は十日か……出席番号十番!」


 出席番号十番の女子生徒が力なく手を挙げる。


 教師というものはすぐに出席番号でなにもかもを決めたがる。出席番号三十五番の涼にとっては日付で当たることはないのであまり気にしていないが、三十一番未満の生徒が不憫でならない。


 そう涼が高を括っていると、数学教師はこう続けた。


「からの、将棋の桂馬の動き!」

「!?」


 クラス中の生徒の頭の上にエクスクラメーションマークとクエスチョンマークが浮かんだような気がする。


(将棋の桂馬の動きってどんなだったっけ……? たしか……)


 涼が考えているうちに、数学教師は生徒に呼び掛ける。


「じゃあ、藤沢。ノート集めて数学教務室まで頼む」

「は……?」


 涼の小さく掠れた声は誰にも届くことなく、数学教師の「それじゃ終わり!」の声に教室が一気に騒がしくなった。


(は……? 俺……?)


 出席番号十番の生徒から二席後ろの左側に座っていた涼。どっちを正面に見て桂馬の動きなのかわからないうえ、右の生徒でもよかったはずなのに、左の席に座る涼が指名されたのはどういう理屈からだろうか。


「最悪だ…………」


 涼は思わずそう呟いてしまう。


 潔癖症の涼にとって、わざわざ他人のものに触れなくてはいけない行為は最悪としか言いようがない。


 そしてもう一つ、困ったことがある。


 クラスメイトにどうノート提出を促すか、である。


 教卓の前で「ノート提出してくださーい」なんて、元気に呼びかけることのできない涼は、重い脚を引きずりながら教卓前へとやってくる。


 するとそこに、ふわりと桃のような甘い香りのする髪を揺らして、颯爽と澪がやってきた。


「みんなー! 数学のノート提出してからご飯にしてー! なるはやでお願いっ!」


 澪の声掛けに、クラスメイト達が次々と教卓の上にノートを置いていく。

 涼はほっと胸を撫で下ろしながら、澪に感謝を述べる。


「澪、悪いな」


 澪は意に介した様子もなく、にこりと明るく笑う。


「全然! 涼はこういうの苦手でしょ? 私に任せてよ」

「ありがとう」


 澪はなんとも思っていないようだが、涼としては自分の情けなさに苦笑するしかない。


(情けないよな……幼馴染の女子に気に掛けてもらうなんて)


 とは言え、ものすごく助かったのも事実である。


(次は俺も頑張らなきゃな)


 涼は教卓の上に山になったノートを見やる。

 すると先程まで明るくにこにことしていた澪の表情が曇った。


「涼、大丈夫? ノート、私が持って行こうか?」


 澪が心配そうに涼を見上げる。

 その優しさに感動しながらも、涼は思い切って首を横に振った。


「いや、大丈夫だ。さっさと持って行ってさっさと帰ってくるよ」

「うん……」


 澪は尚も心配そうに涼を見ていたが、涼の背中を押すようににこりと笑った。


「頑張って!」

「ああ」


 涼はノートの山を抱えて教室を出る。

 他人のものを触っている嫌悪感に蓋をしながら、なんとか無心で数学教務室を目指した。




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