第2話 大事な幼馴染
涼と澪が通う、県立津田森高等学校は、涼の家から歩いても四十分ほどの距離にあった。
学校の周りは住宅と畑、それに干潟があるくらいで、学生以外はほとんど訪れない辺鄙な場所にある。自然豊かで環境がいいと言えば聞こえはいいが、要するになにもないのである。学校の隣にコンビニが一件あるくらいで、学生が遊べるような場所は片道二十分掛けて駅に出るまでなにもない。
しかし涼としてはそこがまた気に入っていたりもする。
快速電車に乗って三十分もすれば都内に出られるはずなのだが、都内のように騒がしくなく、田舎、と形容するのにぴったりな環境。
涼は今日も広い空を見上げる。
(苦手な電車に乗らずに済むし、道路も広いから人にぶつかる心配もない。まさに俺にはうってつけだ)
グラウンド近くにある駐輪場に自転車を止める。
グラウンドの裏はこれまた住宅街となっており、真正面に大きなマンションがある。
「あそこに住んでたら、八時過ぎまで寝ていられるのになぁ……」
駐輪場まで一緒に来ていた澪がくすくすと笑う。
「それ、ここに通う生徒みんな思ってそうだよね~。そんなこと言っても、涼は結局早起きして支度しそうなものだけどね!」
「……それもそうだな」
澪の言葉に、涼は苦笑混じりに頷く。
長い付き合いであるからか、澪は涼のことをよくわかっているのだ。
涼が時間に余裕を持って行動する性格であること、きちっと身なりを整えていること、そして、
涼が「潔癖症」であること。
藤沢 涼は「潔癖症」だった。
潔癖症とは、本人が考える不潔に対して、過剰に気にする症状である。
それが汚いかどうかではなく、本人が不快だと感じると触れられなくなったり、過剰に掃除や除菌をしてしまうのだ。
手を何度洗っても気が済まなかったり、他人が使ったものに触れられなかったりとその症状は人によってさまざまだ。
涼はまず教室に入ると、鞄の中に入れていた除菌ウェットティッシュを取り出して、自席の机の上、それから椅子を拭く。
そうして綺麗になったことを確認してからでないと、着席できないのだ。
そうこうしていると、前の席の椅子を引いて、とある男子生徒が無造作にそこに腰を下ろした。
「よっ! 涼!」
「ああ、皐月か。おはよう」
目の前で爽やかな笑顔を浮かべているのは、涼のもう一人の幼馴染である、辻堂 皐月だった。
皐月も澪と同じく家が近所で、幼少の頃からの付き合いだ。
明るい金色に染めた髪に左耳にはピアスをしていて、一見チャラそうではあるのだがこれでもバスケ部のエースを務めるほどのスポーツマンだ。
どこぞのアイドル並みにイケメンでそれはそれはモテる。しかし、皐月は涼が知る限り誰とも付き合ったことはなかった。告白も多くされているはずなのだが、それをすべて断っていた。その理由は、涼にもわからない。涼としては、唯一の男子の友人なので、女子を優先させないのはとても助かるのだが。
その皐月がやたらとにまにました笑いを浮かべて涼を見ている。
「なんだよ、その顔」
「いや? 今日は澪ちんと一緒に来たんだなーって」
「たまたま家の前で会ったんだよ」
「ほーほー、そうですか」
尚もにやにや笑いを浮かべる皐月。イケメンが台無しである。
皐月は顔に似合わず明るく陽気な性格で、二枚目というよりかは三枚目といった感じだ。誰にでも気さくに話しかけられるコミュ力おばけでもある。
皐月の鬱陶しい笑い方に、肩を思い切り小突いてやりたい気持ちになったが、潔癖症の涼は友人である皐月にすら触れられないので、眉間に皺を寄せるに留めた。
「ちょっと皐月くん? あんまり涼を困らせないでよねっ!」
そこに鞄を自席に置いてきた澪がやってくる。
「よー、澪! はよ」
「おはよ」
澪は皐月に適当な挨拶を返す。
「で? なんの話してたの?」
澪の質問に対して、皐月はあっけらかんと言う。
「あー、涼が相変わらず潔癖って話」
「は? そんな話してたか?」
「だって今日も机拭いてただろ?」
「それはそうだろ。朝来たら机と椅子を拭く。放課後誰が勝手に座ったかもわからないし」
話しながら涼は手指の除菌をするために、小さなジェルタイプのボトルを取り出す。そうしてそれを掌に出し、指を除菌し始める。
それを見た皐月は、少し眉を下げる。
「ま、それで涼の心が楽になるのなら、それでいいんだけどさ」
澪も皐月も、涼の潔癖症を理解している。
だからこそ涼の物を勝手に触ったりしないし、当然涼自身に触れることもしない。
涼にとって、澪と皐月といるのが一番気が楽だった。
「ふんふん……なんかいい匂いしないか?」
「え?」
皐月が急にそんなことを言い出すので、涼は不思議に思いながら首を傾げる。
皐月は匂いの元を辿るようにナチュラルに澪の髪に触れ、あまつさえ匂いを嗅ぎ始めた。
「ああ! 澪のシャンプーの香りか! シャンプー変えた?」
イケメンの皐月が美少女の澪の髪に触れる。なにか少女漫画のワンシーンのようにも見えたが、やっていることは変態のそれである。
澪は皐月の手を容赦なく払い落した。
「ちょ!? 皐月くん!? 気持ち悪いんですけど!?」
「は!? 気持ち悪いってなんだ!?」
イケメンの皐月に容赦なく気持ち悪い、なんて言葉を遣える女子は、澪くらいのものだろう。
「たしかにシャンプーは変えたけど、好きでもない男の子に気が付いてもらったって、全然嬉しくないんですけど!?」
「ひでえ言い草……」
「皐月くんは乙女心がわかってなさすぎ! そんなんだから彼女できないんだよっ」
澪の言葉に、少しむっとしたように頬を膨らませる皐月。
「はあ? 別に彼女なんてどうだっていいだろ!? 今はいらないだけですー! 俺が本気出したら彼女の一人や二人簡単にできるっつの!」
「うわっ、二股!? サイテー」
もちろん二人は本気で言い合っているわけではない。軽口のようなものだ。
そんな見慣れた澪と皐月の痴話喧嘩に、涼は堪らず吹き出した。
「お前ら、相変わらず仲良いな。付き合えば?」
「「馬鹿言うな!!」」
「おお……、息ぴったりだな」
澪と皐月がお互いに恋愛感情を持っていないことがわかっているからこそ、言える冗談でもある。
(本当、こいつらといると退屈しないな)
潔癖症の涼にとって、潔癖症を理解してくれる友人は貴重だ。
潔癖症の程度は人によって異なるため、何がだめで何が大丈夫なのか、判断が難しい。それ故涼は、潔癖症になってから二人以外の友人はいなかった。
潔癖症であることを話したところで、その人が理解してくれるかもわからない。根気強く話しても、対応が面倒だと思われるかもしれない。そう思うと、新しい友人を作るのが億劫になってしまった。
「澪、皐月。……いつもありがとな」
涼の口から、自然とそんな言葉が漏れた。
引き続きぎゃーぎゃーと言い合っていた澪と皐月は、涼の言葉に二人揃って笑顔を浮かべた。
「おう! いいってことよ!」
「って、私達はなにもしてないでしょ!」
潔癖症の涼にとって、世界は小さい方がいい。煩わしいものは少ない方がいい。
賑やかな幼馴染達と日々を穏やかに過ごせること以上に、望むものなんてなにもなかった。




