捨て犬4
自分が慌てて向かった玄関には……大賢者様がずぶ濡れになって立っていた。
何かを抱きかかえている。
酷い悪臭でむせ返りそうになる、あれは人間なのか?
抱えられたモノはかなり小柄で髪は真っ白だ、老人だろうか……。
違う……ヒトの物では無い異質な、細い髪と大きな獣の耳と尻尾。
獣人だ、初めて目にするが、その目立つ特徴ですぐにわかった。
どうやら子供のようだが。
大賢者様はいつもの眠そうな目をしておらず、焦られている様子だ。
「フッフール、湯を沸かせ、マシィは物置から暖房具を持ってきて!」
いつにも無く命令口調だ、珍しい……いや初めてかもしれない。
自分は呆気に取られ、気後れしてしまっていた。
「急げ!」
大賢者様の荒げた声に、自分は我に返った。
フッフールさんは水を汲みに行ったのだろう、奥の厨房に向かっていた。
大賢者様は”ソレ”を抱えて空き部屋に入っていった。
***
魔石を使った暖房器具とはかなりの贅沢品だ。
熱を発する魔道具は魔石の消耗が激しい、薪を使った方が経済的なので、ほとんど普及していない。
ここで使われている焜炉やオーブンも魔導具だ、生活は一見質素だが、この小屋は高級品だらけだ。
そんな事を考えながら部屋に入ると、そこは酷い悪臭がした。
思わず咽そうになると、フッフールさんがお湯で満たされたタライを運んできた。
沸かすのが早い、魔術を使ったのだろう。
部屋にはすでに大量のタオルが用意されている。
大賢者様は獣人の服を脱がし、フッフールさんからお湯で絞ったタオルを受け取ってその体を拭う。
「状況を」
いつもは無表情なフッフールさんが神妙な面持ちで問うと、大賢者様は手を止めずに早口で語りだす。
「一六時二〇分、商隊と思しき馬車六輌の一団の全滅を確認、死者二七名、生存者一名。女児を保護、重体の為、当方で治療。現場の状況から襲撃者は魔獣、千匹オオカミによる物と推測、場所はブロス渓谷入口標識から七時、約三七〇〇の街道沿い、警戒要す」
大賢者様は無駄が無い簡潔な内容を語り、フッフールさんがそれを書き留めながら呟く。
「千匹オオカミ、また厄介なのが……」
「城、騎士団、冒険者ギルドに折り紙を飛ばしてくれ、ヤツの性質上、次の被害は無いだろうが……」
重要な話をしているのは分かっていたが、自分は獣人が気になって仕方がなかった。
「大賢者様が忌むべき獣人をここで治療するのですか? 信じられません……何を考えているのですか!?」
大賢者様は優しい手つきで獣人の体を拭いている、目線を外そうとはなさらない。
「この子は、積み荷だったんだ……こんなに痩せて、ろくに食べ物も与えられていなかったんだろうな、体中古傷だらけだ、女の子なのに……」
それを聞いてとっさに顔を逸らした。
あまりに痩せているせいで性別が分からなかった。
子供とはいえ、女性の裸体を見ては駄目だ。
「見ておいて損は無いぞ、賢者になるのなら見識を深めるのにちょうどいいだろ」
「何をおっしゃっているのですか!」
「いいから」
そう言われ、ゆっくりっと視線を向けると、獣人の少女は仰向けに寝かされていて、女性の部分にはタオルが載せられていた。
初めて目にする獣人……ヒトの髪とは明らかに違う、細い毛並みは荒れ果て、泥まみれだ。
こけた頬にには肉というものが感じられない、そして浮き出した肋骨に張り付いている血の気の無い真っ白な肌、細かな古傷が目立つ。
痣もあるが最近つけられたものだろうか?
「背中はもっとひどいぞ」
大賢者様はそう言いながら少女をうつぶせにしてタオルの位置を整える。
体のあちこちを調べている。
怪我などをしてないか確認しているのだろう。
背中はミミズ腫れのような古傷が無数にあった。
鞭や棒で打たれたものだろうか?
「古傷って直すに時間がかかるんだよなあ」
大賢者様はそう言いながら軟膏を塗り包帯を巻いて行く。
「治癒魔術や魔法薬は体力が消耗するからね、患者が衰弱している場合はそれらの使用は最低限に留めた方がいい場合もあるんだ」
自分はその言葉を上の空で聴いていた。
今まで生きてきた中で、こんな状態の子供を見る機会など無かったからだ。
「折り紙、飛ばすわよ」
フッフールさんが窓を開ける。
手の平に見慣れない形に、平たく折られた手紙が三つ置かれている。
折り紙とは手紙を飛ばす魔術だが、普通は鳥の形に折るものだが……。
『気を掴し宛に従い文を届けよ、立て』
フッフールさんが呪文を唱え終えると、三枚の手紙はふわりと浮かび高速で飛行していった。
鳥型と比べ、明らかに速い。
「飛行機型に折ると鳥型よりも安定して速く飛ぶんだ、慣れが必要だけどな」
自分の疑問を察したのか、大賢者様が言う。
「ヒコーキ?」
「フッフールに教えてもらうと良いよ、君も風属性だろ」
折り紙は単純な魔術だけに、完成されていると思っていたのだが。
この小屋に来てから半年、まだ驚く事があるとは……。
***
「雨の中、山道に商隊って……」
フッフールさんが考え込んだ様子で呟く。
「さあね、どうせ碌でもない事さ、人間を運んでたし」
大賢者様が履き捨てるように答える。
「積み荷は?」
フッフールさんが疑問を投げかける。
「人命が優先だ、ソッチは騎士団と冒険者に任せておけばいい」
大賢者様は興味が無いという口調で返す。
「獣人はここで?」
獣人の事が気になり、自分も尋ねる。
「街の診療所に預けるべきでは? もう危険な状態では無いのでしょ」
獣人が近くにいるのが耐えられないというのが本音だ。
大賢者様は眠っている獣人に視線を移す。
「こんなに痩せて、古傷だらけ、でどんな生活してたんだろうな」
自分の質問には答えてはいただけないのか。
大賢者様は言葉を詰まらせ苦しそうな顔をする。
「乱暴された形跡もあった、まだ子供なのに……」
体中が傷跡だらけなのだから乱暴されていたのだろう。
何を当たり前の事をと思ったが、普段は無表情のフッフールさんの顔つきが険しくなったのが見えた。
「そろそろ魔術の効果が切れるな、目を覚ましたら教えてくれ」
大賢者様は席を立ち。部屋から出て行った
自分とフッフールさんの二人が部屋に残された。
彼女はエルフ族だ、精霊に近い存在とされる種族は、魔術が使えない獣人族に嫌悪感を抱いているとされている。
「いいんですか? フフールさん」
「ここはアイツの家よ」
彼女はそういったまま黙ってしまった。
沈黙が流れる、なんとなくその場を離れる機会を失った感じがしてもどかしい。
フッフールさんがベッドに歩み寄る、目を覚ましたようだ。
うつろな目をした獣人がこちらを見ている。
自分の身に何が起こっているのかわかっていないのだろう。
フッフールさんが彼女の髪を優しく掻き上げている。
「タイミングばっちりだな」
ちょうどドアが開く音が聞こえ、大賢者様が深皿を乗せた盆を持って入ってきた。
満面の笑みを浮かべており、さっきまでの重たい空気が嘘のようだ。
大賢者様は獣人のそばに腰を下ろすと、フッフールさんが料理を覗き込む。
「玉子雑炊ね」
「ああ、丁寧に白だしを取って、ふわふわの玉子を使ったんだ」
得意げな顔をしてスプーンで料理をすくいとる。
獣人の目はうつろなままだったが、鼻がかすかに動いている。
大賢者様が料理を口に運ぶ。
それを口にした途端、獣人は勢いよく体を起こし、皿を奪い取ると手づかみで料理を口に運ぶ。
自分はその、汚らしくむさぼる有様に不快感を覚えた。
慌てて口に運んだせいで咽せかえる獣人を大賢者様が笑いながら背中を摩る。
「慌てないでゆっくり食え、体が良くなったら、もっと旨いもん食わせてやるから」
楽しそうな大賢者様をよそに、フッフールさんが澄ました顔でこぼれた料理を拭きとっている。
自分は気分が悪くなり部屋を後にした。




