捨て犬1
ここから本編スタートとなります。
プロローグから2年前です。
自分は最初、魔術師になるつもりだった。
成り行きで今は賢者を目指しているが、決して浅慮だった訳では無い。
マシィ・ライルラック、これが自分の名だ。
名門、ライラック侯爵家の人間とし名を汚さぬわけにはいかない。
侯爵領を離れても、自分はライラックなのだから。
ここ、ヴァーサターム王国はかつて、魔界の脅威から統馭の女神によって使わされた英雄により救済された聖地で、境界線創成後の護りの要でもある。
祖父のメルア・ライルラック現役の侯爵で、その三男である父は領の勅任官の職に就いている。
貴族の家に生まれたからには自分も将来は領の役人になり、家を支える立場になるのだろうと考えていたが、意外にも祖父からは好きにして良いと言われた。
幼少のころから魔術の才が有り、興味もあったので、魔術師を目指す事にした。
宮廷魔術師は堅苦しそうだからと、深く考えないままに神殿の魔術師科に入門を決めた。
その為に王都にあるヴァーサターム中央神殿の魔術師科に入門すべく、門を叩いたのは一二歳の時だった。
だが蔵書が豊富な神殿図書館に入り浸るようになって学術に興味が移り、魔術師科から学院に鞍替えして賢者を目指して今に至る。
学院とは神殿の部門の一つで、主に学術を扱う。
そこに在籍する学者は「賢者」と呼ばれ、それぞれが専門分野を持っている。
自分は歴史学が専門のリーブ導師に入門を許された。
図書館で導師と交わした問答がきっかけで気に入られたようだ。
リーブ導師の元で一年半ほど学び、賢者見習いから研究員に昇格した。
その証である赤いサッシュを拝領する、とんとん拍子であった。
学院の一員の『証し』である青いローブに袖を通し、拝領した赤いサッシュを絞める。
そうすることで侯爵家令息としてでは無い、自分自身の実力で今が有る事が誇らしく感じられた。
ほどなくして、リーフ導師が賢者筆頭に選出された。
良い事尽くしだ。
師匠にお祝いを申し上げたくて研究室を訪れると、そこにはリーブ導師の姿は無く、代わりに小柄な少年が書棚の本を物色していた。
身の丈は一六〇糎に満たない、今年一四歳になる自分よりも低い。
着ている服は飾り気も無く、地味で質素に見えるが上等な生地を使っている。
つややかな黒髪で、眠たそうな黒い眼をした少年がこちらを見る。
「……誰?」
不審そうに少年に問われる。
いや、それはこちらが聞きたい、などと考えていると自分の元に早足で歩み寄ってくる。
そして、じろじろと値踏みをするように観察して来た……。
「君は賢者志望だろ、何でそんな本を持ってるんだ?」
視線を自分が抱えている本に向いている。
「『夜更けの冊紙』は、随筆というか、日記で脚色も多い。『宵闇奇譚』に至っては幻想小説だ。史料価値が低い。賢者を目指す君が、読むような本じゃない」
こんな少年がこれらの本の内容を知っていることに驚いたが、その物言いに憤りを覚えた。
だが失礼があってはいけない、導師の部屋にいたのだ、身分のある人物かもしれない。
この少年の立場が分からないので、乱暴にならないよう丁寧に言葉を返す。
「お言葉ですが、これらは古代文明人の生活や心情を知る上では、興味深い内容なのです。資料価値は無いのかもしれませんが、読み物としては非常に水準が高く、評価に値する書物なのです」
少年は顎に手を置いて自分の顔を覗き込む。
「つまり面白いから。読んでいるんだな」
そう言うと、少年は笑みを浮かべる。
「そうか、本が好きなのか……」
その時、背後からドアが開く音が聞こえた。
「こちらにいらっしゃったのですか、探しましたぞ!」
自分の師匠であるリーブ導師が、息を切らして入ってこられた。
薄い頭皮に汗をにじませ、長く蓄えられた立派な白いひげも乱れている。
恐らく、賢者筆頭であることを示す白のサッシュを巻いたローブの下も汗まみれだろう。
いつもは落ち着ているお方なのに随分と慌てていて、ご立腹のご様子だ。
そのような師匠に対して、少年は気にしない様子で手を振る。
「やあリーブ導師、ご無沙汰で~す、賢者筆頭になられたんだって? お祝いにを言いに来ましたぜ」
少年が軽い口調でリーブ導師に声をかける、ひどく横柄な態度なのに師は諫める事も無く会話を続ける。
「まったく、あなたは……もっと中央にもお顔を出してくださいと昔から言ってるではありませんか!」
いつに無く、強い口調でまくし立てる。
普段の落ち着いたお方なだけに、自分は呆気に取られた。
師匠の剣幕に、少年はまあまあといった調子でなだめつつ、リーブ導師に確認をする。
「賢者筆頭様、こっちの薄青髪のおかっぱ君はお弟子さんですか? 赤いサッシュって事は研究員でしょ」
「なんだ、まだ自己紹介をしておらぬのか、ご挨拶をしなさい」
師匠が自分に視線を移すとそう促してきた。
自分は研究員だが侯爵家の人間だ。
なのに先に名乗らせるとは、この少年は自分より高貴な身分なのか……。
考えられるのは王族か……だが自分の記憶には、このような人物は王家にはいない、他国の要人か……。
「自分はライルラック侯爵家、三子ルースの四子、マシィと申します」
「ライルラック家……メルアさんの孫か。薄青の髪と紺の瞳は、あの爺さんゆずりだねえ」
彼は侯爵家と聞いても態度を変えないどころか、祖父を存じ上げている様な口ぶりで話す。
ますます分からない、誰なのだ? そう訝しんでいると師匠は自分に視線を向け、こう告げた。
「このお方は、大賢者様だ」
……。
大賢者。
この少年が?
大賢者と言えば、女神の使者と称された人物で、その存在は神殿の最高職である最高神祇官よりも上位とされている。
大賢者に関する文献は神殿によって秘匿されているのかと疑うくらい少なく、自分が知っているのは四〇〇年前の大厄災の時の、英雄に助力した大賢者位しか知らない。
現在にもその称号を与えられた人物がいたのか?
しかもこんな子供が!?
「そなたが知らなくとも当然だ。この方は東方神殿があるグランディル公国の山奥に引きこもれているからな」
師匠がため息交じりで語るが、それはおかしい。
「自分だけではありませんよ。大賢者の称号を冠する人物が、一般的にも知られていないなんて!」
師匠は考え込むように白い髭をいじる。
「東の神殿は辺境、世界の一番端だ。そんなところに籠っていては名は広まなぬ」
大賢者様が挑発な顔で口を挟んでこられる。
「お言葉ですが、神殿は東が本場ですよ」
「あなたは引きこもりたいだけでしょ!」
声を荒げるリーブ導師、師匠のこんな姿は初めて見る。
そんな師匠の剣幕も気にせず、大賢者様は自分視線を向けると、薄く微笑む。
「マシィ君、リーブさんに用があったんじゃないの?」
突然こちらに話を振られて、慌てて師匠に体を向ける。
「そうでした……師匠、賢者筆頭当選、おめでとうございます!」
「あ、ああ。うむ、」
師匠が虚を突かれた顔をする。
こんなタイミングで言われても、対応に困るだろう。
師匠は目を泳がせたが、自分の持ってる本に目を止めた。
「またその様な本を読んでおるのか……」
話が自分の方に向いてしまった。
お小言を言われる前に何か方法はと考え、師に質問をすることで矛先を変える事にした。
「師匠、ここの記述なのですが……」
自分は本を開き師に本を開いて差し出す。
「夜食を取ってから寝ると、翌日は砂男に苦しめられる。とあるのですが、どのように解釈をするべきでしょう?」
師匠が本をのぞき込むと顎髭をいじりながら口を開く。
「砂男は古代文明人の社会に伝わる精霊で、砂を目に掛けて睡魔を誘発すると言われていた。夜更かしをする子供に、しつけとして『砂男が来る』と言って脅かしたとも言われているな」
「ですが翌日に苦しめられるというのは? 何か別の迷信でしょうか……」
「迷信じゃなくて、比喩だよ」
少年、大賢者様が話に割って入ってこられた。
「その本、『夜更けの冊紙』は、著者が寝付けない夜に、寝床で思い描いた事を書き留めたものだ。寝れない夜に夜食を取るのが習慣になってしまっていたみたいで、その翌日の仕事中に睡魔に襲われて困ってたのを砂男と表現したんだ」
「著者は不眠症だったのですか?」
「寝ると……ってあるだろ。寝つきが悪いだけで、ちゃんと睡眠はとれてた。寝る直前に食事を取ると、眠りが浅くなる場合がある、すっきり寝られなかったんだろ」
自分は驚愕した。
ここまでのやり取りでいい加減な人というイメージが出来ていたが、知識はしっかりしているようだ。
「な、資料にもならん内容だ、大した本じゃないだろ?」
「いえ、むしろ古代文明人も我々と変わらないのだと伝わってきます。やはり素晴らしい本ですよ」
大賢者様は眠そうな目でジッと自分を見つめてくる。
「君は面白いな……良かったら俺の仕事、手伝ってみないか?」
そう言って大賢者様は師匠の机に座り、足を組んだ。
「普段から神殿から古文書の翻訳を受けてるんだけどさ、最近は海外の本が流行ってるだろ、グランディル城下の地本ギルドから翻訳を頼まれちゃって……」
その申し出に驚いたが、すぐにお断りを入れる。
「自分の師はリーブ導師です、お受けできません!」
「ありゃ即答かよ、見事に振られちゃった」
大賢者様は頭を掻き、苦笑いをする。
師匠が驚愕して目を見開いた。
「お待ちください。大賢者様は弟子は取らないと以前おっしゃっていたでしょう?」
師匠が大賢者様に詰め寄ると、両の掌を向けて首を横に振る。
「弟子じゃなくて助手だよ。校正と清書を手伝ってほしい」
大賢者様は組んだ足に手を置き、自分に視線を向ける。
「ウチは蔵書も多いから君の勉学には支障はないと思う、翻訳したての最新の本も読めるぜ」
「マシィ、受けなさい。そなたに取っても有益なはずだ」
師匠がずいぶんと熱心に進めてくる。
その後、しばらくの問答を経て自分は観念し、大賢者様の「助手」になる運びとなった。




