雨去り
「これは、実際あった話らしいんだけど…」
後ろの席で、2人の若い女性が話している。
私は今、とあるカフェに来ている。
いたって普通の住宅街。
そこにポツンと、家々に溶け込むように佇む、小さなカフェ。
私はここに来て、一人の時間を潰す、というより、満喫することが好きだ。
それともう1つ、ここで、誰かの話に、聞き耳を立てること。
好きというか、1つの癖だ。
いわゆる、「盗み聞き」
カップを唇に当て、いかにも「聞いてませんよ」という雰囲気を出してみる。
「これは、どこからなのか分からないけど、とりあえず、西の方。西の方にね、雨の日は、絶対に外に出ちゃいけないって言われている場所があるらしいの。」
「へーなんで?」
「雨の日に、外へ出ると帰れなくなるんだって」
「なんでだろう?」
「さー、分かんない」
なんだそれ、全く落ちがないじゃないか。聞いていて損した。
もう、この場を後にして、本屋にでも行くとしよう。
私は、残りのコーヒーを飲み干そうとした。
「お客さん、盗み聞きみたいになるんですけど、それ、雨去りの話じゃないですか?」
店主がそんなことを言うから、コーヒーを残して、カップを皿の上に乗せた。
「あー!そうかも!雨去りだ!」
「私ね、そのお話が有名なところ出身で、少し知ってるんですよ」
「へー!聞いてもいいですか?」
「いいですよ」
「雨の日に外へ出ては行けない。これには理由がありまして、雨が、連れ去ってしまうんですよ、まさに雨去り。」
「お話としては、雨の声が、この世ではないどこかへ誘う、雨上がりと同時に、雨の中出歩いた人も、空まで上がっていってしまう。そう言われています。」
「しかし、後々、知恵の付いた人間は、よく、雨の日は、視界も悪くなるし、迷子になっただけ、冠水した川に流された。雨で体が冷えて、熱を出してそのまま…とか言われるんですけど、私はそれだけではないと思っています。」
「どうして?」
「実際に聞いたんですよ、雨の声を」
この言葉を言う店主の声は、どこか自信があり、恐怖を含んでいた。
「あれは、私が14歳の時でした。季節は、冬を迎えようとしていて、ある日、外を歩いていたら、突然、雨が降りまして、近くのバス停で、雨宿りをしていました。」
「するとどこからか、「こちらには、お日様があるよ」「冷えるよねぇ、あたたかいよ」そんな声が、うっすらと聞こえたんです。」
「気のせいかな?と思った時、また声がしました。次は、「こんなにも空が泣いているんだ、こちらへおいでよ、励ましてよ」雨はそう言いました。言葉にしては長いので、これが、空耳でも、気のせいでもないことが分かりました。」
「確信と同時に、幼き頃から聞いていた「雨去り」の話を思い出し、雨の中、必死に走って、家まで帰りました。」
「え!雨に濡れちゃったの!?」
「そうなんです、ただ、この場に留まることだけは、ダメな気がして、飛び出しました。」
「その日は1日中恐怖でしたが、私の起きている間は、何も起こりませんでした。しかし、これは今でもはっきり覚えています。私が、寝に入ろうとしていた時です。その日の雨は、夜明けまで続いて、雨音が、部屋中に響いていました。初めは、ポタポタと、一定のリズムなのですが、段々と音の間隔が狭まり、まるで、テレビの砂嵐を聞いているかのようでした。」
私はもう、聞いていないフリなどはやめて、しっかりと店主の顔を見張って耳を立てていた。
「ただただ不気味で、布団にうずくまって、何とか眠りました。その翌朝、雨は止んでいました。ですが、目を開けると、天井が、ひしゃげていたのです、まるで、上から無数の針を差し込まれたような痕で、粘土で形作ったように、先端がこちらを向いていました。氷柱が垂れているようでした。木造の家でしたし、こんなことはありえない。すぐに母親を呼びました。しかし、何も変わっていないと言うのです。」
「なにそれー、マスターの夢じゃないの?」
「そうだといいのですが…実はこの後、私の友人が…」
「亡くなっているんです」
「え…」
「天井の形が変わってから数日、私には何事もなく、日々が過ぎていきました。ですが、ある日、私の友人が、亡くなったと、報せが来ました。」
「ちょうど、あの雨の日から、姿を現さなかったそうです。」
「悲しいけど、雨とは関係が…」
「それが、森の中で、見つかったのです。そして、彼を囲むように、無数の小さな水たまりが出来ていたと。」
「え…」
「辺りを調べてみると、森の入口にのみ、足跡が、見つかりました。かなり森の奥だったらしいので、それまでの道中で、足跡が見つからないのは、不自然です。そして、彼の遺体の状態は、あの雨の日以来、数日、晴れが続いていたというのに、びしょ濡れでした。プールにでも、飛び込んだのかという程に。」
「このことは、遭難事故として処理されました。ですが私は、ただの遭難ではない。そう確信しています。亡くなった友人は、中学に上がる頃、引っ越して来たので、雨去りの話も知らず、話を聞くなり、軽く馬鹿にもしていました。私も、彼に合わせて、少し、雨去りを、軽蔑するような事を言っていたので、撥というか、怒りが向いたのでしょう。」
「それ以来、私は雨を、恐れるようになりましたし、雨へのネガティブなことは、言わないようにしています。まぁ、思いはしますけどね」
「人に話したのは、初めてです、無駄話にお付き合い頂き、ありがとうございました。」
「えー、ちょっとこわ…」
女性がそういった途端に、私の脳は情報を処理しなくなった。いや、できなかった。
「え、なになに、急に!?」
ザーザーザー
音だけで分かる、強い雨、台風かと思うぐらいだ。
今日は朝から快晴、雲なんてなかったはず。
「あ゛ー、見逃していたのにな゛〜。惜しいね…おいでよ」
この場にいる誰の声でもない。しかし、はっきりと聞こえる。
私が女性客2人と顔を合わせると、雨音は止んだ。
店の外には、大きな水たまり。
「え!?ちょっ!え!」
店主の姿がない。
店主のいた足元には、割れたコーヒーカップと、それを拭いていたであろう布巾が1つ。
私はコーヒーを残したまま、お金をその場に置いて、すぐに外へ出た。
女性2人は、動けない様子。
店前の、大きな水たまり。
この水たまり、不思議と、足をつけてはいけない気がする。
水たまりなのに、どこまでも続く、そんな深さがあるんじゃないかと、感覚が震えながらに訴えている。
私は、所々にできる水たまりに注意を払い、家に帰った。
その日は、「極短時間の集中豪雨」というニュースが、各局でやっていた。
その後数日、空に雲は見ていない。
そのまた数日後、「住宅街の路上に、水死体」というニュースが、2日ほど、世間を占めていた。
「住宅街でカフェを営む、52歳の男性_さんが、路上で水死体として発見されました。路上で、水死体として発見されました。」
「こちら、現地の丸山です。近隣住民の方によると、数日前の雨から、晴れていたのに、ある水たまりだけが無くならなかったと、数日後、その位置に、男性が、服を着た状態で寝そべっており、警察に通報したということです。また、発見された方によると、見た瞬間に、もう亡くなっているということが判断できたそうです。」
「また、発見された男性が経営していたであろうカフェでですね、飲みかけのコーヒーと、その代金がカウンターのテーブルに置かれており、そのような状態が他に2箇所、あったそうです。警察は、防犯カメラなど確認し、捜査に当たるということです。」
「はい、丸山さんありがとうございました…不思議ですね、岩田さん、事件性はあるのでしょうか…」
私はテレビを消して、布団へ潜った。
次の日、朝から警察が家に来た。
服の肩の部分や、スボンの裾あたりが濡れている…今日は、久々の雨みたいだ。ちょっと、強めの。
「すみません、この付近で男性のご遺体が発見されまして、少し、お話伺ってもよろしいでしょうか…」
「はい…」