2024年夏 望
真夏のウエディングドレスショップは冷房がよく効いていて、寒がりの私には少し肌寒いくらいだ。私の担当をしてくれているドレススタイリストの安本さんも冷え性なのか、指先が冷えている。
ドレスのくるみボタンを留める為に冷たい指が私の背中に当たる度、ほんの少しだけ体がびくりと動いてしまう。毎回申し訳なさそうに「すみません」と小柄な体を更に縮こませて謝罪するので、私もさすがに気まずくなり「大丈夫ですよ。安本さんも冷え性ですか?」と頬を緩ませながら会話の糸口を探す。
私の声色が明るいことに安心したのか、彼女はぱあっと花が開くように笑顔になり、そしてすぐに子犬のようにしゅんとして「そうなんです。店内の空調効き過ぎていることが多いんですけど、一括管理なので変更も私の一存では出来なくて。申し訳ないです。指、冷たいですよね。すぐに終わらせますね」とテキパキ器用に手を動かしながら答えてくれる。自己紹介の時にちらりと新人なんです、と照れ笑いで言っていた安本さん。私は、彼女の素直そうな雰囲気に好感を抱いていた。
***
「はい、出来ました。堀川様、とってもよくお似合いですね」ドレスの裾を整えてもらいながら満面の笑みでそう言われると、前方の全身鏡に映る自分はこのドレスが本当に似合っている気がしてくる。
繊細なレースがふんだんにあしらわれたアンティーク調のマーメイドドレス。
本当の私はお姫様みたいなふわふわしたドレスに小さい頃から憧れていて、いつか結婚するときはそんなドレスが着てみたいと思っていた。けれど、彼に結婚式場を探し始めた段階で「望にはマーメイドラインっていうの? ああいうドレスが似合いそうだよな。細身ですらっとしてるから、うん絶対似合う」と言われたから、何となく自分からはふわふわしたドレスを試着してみたい、と言えないでいる。
それに、自分の着たいドレスが自分に似合うドレスとは限らないとも思うし。実際、安本さんに提案されるのもシンプルだったりボリュームの少ないものが多い。
これでいい、これがいいんだよね?
自分の中で無意識に浮かんできそうになる疑問符を閉じ込めるようとしていると「では、ご婚約者様にも見ていただきましょうか」とソプラノの声が届く。一拍置いて「はい」と答えれば、私の意識はこの場所にちゃんと戻ってきた。
私と彼を隔てていたカーテンが開かれると、婚約者は私の姿をみて、「おおー」と感心したような声を出した。
「めちゃくちゃいいじゃん。今まで着た中で一番似合ってるかも」そう言いながら、スマホであらゆる角度から私の姿を記録に残そうとする優しい彼。そして白いドレスに包まれた私は、幸せだ。幸せなんだ。幸せに違いない。
「そうかな? じゃあドレスはこれで決まりかな?」あまりに連写されるので恥ずかしくなってきた私がそう言うと、彼は「これで決まりってくらい似合ってるんだけど、さっき望が好きそうなの見つけたんだよ。あの、このドレスも着られますか?」私には見せず安本さんへと傾けられたスマホの中に写っているのであろうドレスは、本当に私の好みなのだろうか?
「はい。店内にございますのでご試着頂けますよ。お持ちしましょうか?」私に問うてくれる彼女へ彼が「お願いします」と答え、私が次に試着するドレスは決まった。
***
2着試着しただけでずっしりとした疲労を感じた私は、今日はもうギブアップだと安本さんのいない隙に彼へとこっそりと告げ、今日もどのドレスを本番に着るか最終決定はせずにドレスショップを後にした。
ちょうど夕飯時だったので吸い込まれるように近くにあった町中華へと入り、二人でラーメンをすすっているとおもむろに店主らしき貫禄のあるおじさんがテレビのリモコンを手にし、チャンネルをザッピングし始めた。そして、お目当てだったのか高校野球を流し始める。
「ああ、ナイターが導入されたんだっけ?」彼がいつものように先に食べ終わり、手持ち無沙汰そうにカウンターからテレビへと視線を向ける。
「らしいね。酷暑の影響とか? 何だか夜にかけて高校野球が行われるのも変な感じするけど、そのうち見慣れるのかな?」私のふわっとした言葉を受け止めたのか受け止めていないのか、彼は視線をそのままでぽつりと呟いた。
「まだ高校生で子供なんだよな。こうやって観るとすごい大人っぽく感じるけど」
そう言われてはっとした。高校生。私が高校生でまだ少女だった頃、こんな風にひたむきに、真っ直ぐと、一心不乱に何かに向かっていただろうか?
向かっていた。私の心を掴んで離さなかったあいつに――。
未だに心のど真ん中で薄くも居座り続けるあいつに、私は確かに夢中だった。