第5話 霧の中に、誰かがいる
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扉の先に広がっていたのは、霧だった。濃密で、どこまでも続く白いもや。先の景色はほとんど見えない。
「……わっ、なにこれ。視界悪すぎ……」
「足元は見えるけど、5メートル先は真っ白だな」
ユナが前髪を払うようにしながら顔をしかめる。
空気はひんやりとしていて、かすかに金属臭が混ざっていた。
床は前の階層と同じくタイル状だが、少しだけ踏みしめる感触が違う。
まるで地面そのものが、呼吸しているような気さえした。
「マップ、反応ある?」
「……うん。あるにはあるけど、表示がすっごく重たい。もたついてる」
俺の《迷域マップ》にも、ユナの《簡易マップ》にも、
目の前の通路が『ブロックノイズ』のように断続的に表示されていた。
「このフロア、妨害されてる……?」
「可能性あるな。霧がセンサーを狂わせてるかもしれない」
「もう、視界悪いわ地図バグるわ、サービス悪すぎー!」
ユナが半泣きでスマホをつつく。
と、そのとき――。俺の画面に、ポップアップがひとつ浮かび上がった。
『一定条件を満たしました。新スキルが使用可能になりました』
「……お?」
「何? またなんか出た?」
「スキルの……拡張? 『局所スキャン:周囲3マス』ってのが出た」
「えっ、それ超便利じゃん!」
「使ってみるか」
俺はスマホを持ち直し、表示されたボタンをタップした。ピン、と高い音が鳴ると、周囲に淡い光の輪が広がる。
次の瞬間、足元にマップが即座に描かれた。
3マス先までの通路、隠しルート、さらには……微かに移動する『影』。
「……動いてる点がある。こっちに近づいてるっぽい」
「え……え、それって敵?」
「まだ識別不能。けど……、人の動きに近い」
思わず、ユナと顔を見合わせる。この階層には、俺たち以外にも誰かがいるのかもしれない――。
「……どうする? 行ってみる?」
「いったん近づいて、様子見。万一のときはすぐ引くぞ」
「ラジャー!」
俺たちは慎重に、マップに示された『点』の方向へ進み始めた。霧の中、わずかな視界を頼りに一歩ずつ進む。
そして――。
「……あれ、誰か倒れてる?」
通路の角を曲がった瞬間、ユナが声をあげた。
霧の中に、うずくまるように人影があった。黒っぽいコート、ぐったりとした体勢。まだ息はあるように見える。
「おい、大丈夫か!」
近づいて呼びかけると、その人影がゆっくりと顔を上げた。
「……たすけ、て……」
青年だった。年齢はたぶん20代前半。額には汗が滲み、手には俺たちと同じスマホが握られている。
「ユナ、回復魔法とか……」
「ないよ! そんな便利なもの最初から配布されてたら苦労しないっての!」
「だよな……」
俺はポーチから水のボトルを取り出し、彼の口元に持っていった。
青年はわずかに口を動かして、数口だけ飲むと少し落ち着いたように見える。
「……ありが、と。君たち、もしかして……『新人探索者』?」
「お前は?」
「……違う。俺は、探索者支援チームの『運営側』だ。
本来、ここに来る予定はなかった……。けど、アプリの異常で巻き込まれて……」
断片的ではあるが、彼の話から分かったことがあった。
どうやらMapphoriaは政府の探索支援ツールであり、もともとは限られた人間にしか配布されない試験運用中のアプリだった。
だが、何らかのバグか外部干渉によって、関係のない一般人――。俺たちのスマホにまで拡散してしまったらしい。
「え、つまりあたしたち、ガチで事故なんじゃ……?」
「いや、それだけじゃない……」
青年は震える声で続けた。
「……この迷宮そのものがおかしい。設計したはずの構造じゃない。記録されていない階層が、どんどん生成されてる。
このままじゃ……、取り込まれる。迷宮に『食われる』……!」
その瞬間、ピピッと俺のスマホが警告音を鳴らした。
『構造変化の兆候を検出。マップをリセットします』
「マップ、消えた……!」
目の前の床が揺れ、通路の形が歪む。
まるでパズルのピースがずれ動くように、石のブロックが勝手に並び替えられていく。
「御崎くんっ、早くここ離れよう!」
「ユナ、あいつ背負うから手伝ってくれ!」
「おっけー。ちょっと重そうだけど、やる!」
ふたりで青年の身体を支え、俺たちは霧の奥へと走り出した。
――ダンジョンが、自分で形を変えてる。
地図が、あてにならない。けど、それでも進まなきゃ帰れない。
走るたびに、床が組み変わっていく。この世界は、ルールを『誰か』が書き換えている。
ならば――。
「そんなもん、俺のマップで上書きしてやるよ」
俺のスキルは『迷宮の形を暴く』ものだ。動こうが変わろうが、何度でも塗り直してやる。
それがこのアプリの力であり、俺の『武器』だ。
やっとの思いで、安全そうな広間にたどり着いた。
霧はまだ濃いが、少しだけ空気が落ち着いている。俺たちは壁際に青年を寝かせ、息を整えた。
「はぁ……はぁ……あいつ、思ったより重かったな……」
「うん。でも、ああいうときって力出るよね……。アドレナリン的なやつ?」
「いやもう、ユナの肩プルプルしてたぞ」
「し、してないし!」
お互いに顔を見合わせて、少しだけ笑った。
でも、その笑いの裏には確かにあった。『この先、もっとやばいものが待ってる』って、直感めいた不安が。
青年の言葉。
『迷宮に取り込まれる』『形が勝手に生成されている』。
それがもし、ただのプログラムの暴走なんかじゃなく、
この空間そのものが『何か』意志を持って動いているとしたら――。
「ねぇ御崎くん。……このダンジョン、ただの人工物じゃないかもね?」
「……ああ。もしかしたら、何かの『入り口』なのかもしれない」
誰かが仕掛けた招かれざる扉。その先に俺たちは今、立っているのかもしれなかった。
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