第13話 マップと、赤い点と、追跡の始まり
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迷宮の次なる階層へ足を踏み入れた瞬間、全員が足を止めた。
空気が明らかに重い。温泉階層のぬくもりとは真逆の、ひんやりとした粘り気が肌にまとわりつく。
壁の発光石は不規則に明滅し、視界は常に揺らいでいるようだった。
「……うわ、なんかこの感じやだなぁ。じっとりしてて息苦しい」
ユナが顔をしかめながら、スマホを操作する。マップは起動していたが、画面はまだほとんどが灰色に染まっていた。
「スキャンモードは動いてるけど、表示範囲は全体の3分の1程度……か」
俺は画面を拡大しながら、視界の端に表示された通知を確認する。
『迷域マップ:スキャンモード起動中』
『警告:移動型強敵存在――追跡アルゴリズム稼働中』
表示された警告に、思わず指が止まった。
「……来たな。FOE系」
「またその単語出た。だからそれ何なのよ?」
ユナが不満そうに眉を寄せる。
「『こっちが動くたびに敵も動く』やつ。こっちの行動にシンクロしてくる強敵。見つかったら最後、追いかけられるタイプだ」
「なるほど……迷宮のサービス精神、ちょっと過剰だと思う」
ルルは軽口を叩きながらも、すでに短剣を握っていた。目は真剣そのもの。
何かを感じ取っているのか、視線をゆっくりと周囲へ巡らせていた。
「今いる場所から先、地形的に引き返しができない構造になってる。一方通行の一本道。戻るなら今のうちだ」
「戻るって選択肢、あった?」
「……なかったな」
「じゃ、行こう」
先頭に立ったルルの背中は小柄ながら頼もしかった。俺とユナもそれに続く。
しばらく歩くと、スマホのマップに『赤い点』が浮かび上がった。
点は俺たちが一歩進むたびに、まるで呼吸を合わせるかのように一歩移動する。
「赤点……こっち向かってきてない?」
「いや、まだ巡回ルートの範囲内だ。けど、動きに規則性がないな。まるで『探してる』みたいだ」
ユナが喉を鳴らす音が、やけに大きく聞こえた。
「ちょ、御崎くん……この階層、マジで怖い。赤点の移動に合わせてスマホまでブルッて震えるの、いらない演出すぎるんだけど!」
「うん、それは俺も思った。ゲーム性としては面白いけど、実際に追われると笑えない」
「え、これ笑えるやつだと思ってたの!?」
『接敵判定:視認圏内突入』
『追跡モード開始』
警告が浮かんだ瞬間、床が微かに揺れた。
振動はやがて足元から伝わる地鳴りとなり、次第に迫ってくる。
「来る……っ!」
ルルが一気に走り出した。俺とユナもそれに続く。
「御崎くん、最短ルート出して!」
「わかった! 右に3歩、すぐ左の分岐で次の回廊へ!」
指示を飛ばしながらも、赤点はどんどん距離を詰めてくる。
画面上の表示だけでなく、現実の空間にもその『気配』が満ちていた。
足音が重い。風圧を感じる。
音だけではなく臭いまでする。血と鉄と獣が混ざったような、鼻を突く匂いだった。
「うそでしょ!? 追いかけてくる音、完全に大型モンスターなんだけど!」
「中ボス階層にいたやつの比じゃないわね……っ!」
通路を曲がったとき、ルルが一瞬こちらを見て言った。
「って、ユナ! 走るたびに激しく揺れてんだけど!?」
「見てんじゃないわよ! ホールドしてるし! ちゃんと対策してるし!」
「いやいや、視界に自然に入るレベルで主張してくるんだけど!?」
「そ、それはあんたがスレンダーすぎるからよ! ない物ねだり禁止!」
(やめてくれ。走りながら目を逸らすの、わりとキツイんだ……)
「御崎くん! 見たらあとで怒るから!」
「見てない! むしろ今、閉じてる!」
「目は閉じちゃだめーっ!」
赤点はなおも追ってくる。
距離はすでに警告圏内。赤点が点滅している間は、『目視されている』ということ。
隠れようにも、遮蔽物がない。
だが、希望はある。マップの奥に、回廊がループしている場所があった。
敵をぐるぐると回らせるには、ここが最適だ。
「次、ふたつ先の角を曲がって、3つめの分岐で引き返す。そこで撒く!」
「了解!」
御崎が指示を出す間にも、振動は増してくる。
すぐ背後にいるのではないかと思えるほどだ。
ルルが前転しながら隠れた柱の裏に滑り込むと、すぐ後ろを赤い目が通り過ぎた。
「っっぶな……!」
全員が口を押さえて息を殺す。敵の足音が徐々に遠ざかっていく。
スマホの赤点がゆっくりと巡回モードに戻った。
「……ふぅ」
誰からともなく、長い息が漏れた。気が抜けた瞬間、膝ががくりと落ち床にへたり込む。
「追いかけられるのって、こんなに怖いのか……」
ユナが膝を抱えて小さく震えている。
「私、ああいうのは無理……脳内BGMがホラーゲーになってた……」
「俺なんて、途中で『マップの操作ミスったら終わる』ってプレッシャーで手汗すごかったぞ……」
ルルはひとり、まだ肩で息をしながらも笑っている。
「でもさ、楽しいよね。久々に、ゾクッとする迷宮だった」
その笑顔に、俺とユナは少しだけ肩の力を抜いた。
ひと息ついた俺たちは、近くの安全エリアまで移動した。
少し開けた空間があり、古びたベンチのような石が並んでいる。そこに腰を下ろして、再びマップを確認した。
「うーん、ここのルート、まだ未解明な部分が多いな。分岐の先に何かある気がする」
「ねぇ御崎くん。これ、敵の巡回ルートって固定?」
「いや、半分はランダムだと思う。『こっちが行った先』に現れる傾向がある」
「まるで私たちの動きに反応して、学習してるみたいだね」
ルルがそう言ったとき、不意に俺の視線が止まる。
「ルル、その言い方……どこかで聞いたような」
「え? あ、ごめん。適当に言っただけだけど……」
ルルは首を傾げたまま、視線を逸らした。一瞬、表情が曇ったように見えたのは――気のせいだろうか。
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