5話 バニラアイス
「おはようございます、リッチ王子」
黒と白のハチワレ柄のネコ、リッチは無言でうなずく。
もう慣れたという風に良子は立ち上がり、アレクサンドラにも挨拶する。
「えっ、今日は特にスケジュール無し、ですか?」
「ああ。ゆっくりと休め」
「でしたら…」
良子が手にしている小袋を見たリッチは、良子の説明を聞く前に立ち上がった。
「行くぞ」
――――――――――
「もう、どこに向かいたいか言わなくても、キッチンに連れてきてもらえるようになっちゃいました…!」
すっかり顔なじみになったシェフ達と笑いながら話す。
「ところで、ネコ王国では食材を冷やしたいとき、どうしているんですか?」
「冷蔵庫がありますよ」
「電気で動く道具もあるんですね!」
「電気?あれは毛を逆立てたり、バチっとくるヤツですよね?いいえ、冷蔵庫は魔法道具ですよ」
「あっ…なるほど異世界…」
良子が許可を取って冷蔵庫を開けてみると、中にはカチコチになった食材と共に、氷が入っていた。
「これはどちらかと言うと冷凍庫ですね。今日はバニラビーンズを持ってきたので、バニラアイスを作りましょう!ちなみに冷蔵庫だったらプリンを作ろうと思ってました」
良子はバニラの鞘から細かい粒状の種を出し、シェフ達に嗅がせる。
わぁ!と歓声が上がった。
――――――――――
「…うん、いいお味です。冷凍庫で冷やして、食べやすいように小さめのお皿に盛りつければ完成ですので、後で皆さんで食べてください。氷と同じで、常温だと溶けちゃうので食べる直前に冷凍庫から出すといいですよ」
「聖女様、ありがとうございました!」
「…」
壁にもたれかかって見ていたリッチが近づいてくる。
「今日は…何も食べないのか?」
「2、3時間冷やす必要があるので、私は食べません。きっと夕食には間に合うはずですから、リッチ王子は召し上がってくださいね。さて、何をしましょう」
「お前のやりたいことだ」
「なら…お城見学ツアーなんてよろしいですか?」
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リッチと良子は並んで歩き、その後ろから従者とアレクサンドラがついてくる。
「ステキなお庭ですね」
「…」
その時。
庭で見張りをしていたはずのネコ兵士が素早く近づき、良子の手を引いて自分の側に寄せた。
「キャっ!!!!」
「!!」
アレクサンドラが慌てる。
「せ、聖女様!」
「近寄るな!聖女がどうなってもいいのか!?」
兵士は彼女の首に手を回し、後ろに引っ張ってリッチ達から離れていく。
ただ事ではない雰囲気に良子も焦る。
「み、みんな…!っ?!」
リッチは瞬時に剣を抜こうと構えたが、何とか堪えた。
その様子を見て兵士が叫ぶ。
「賢明な判断だ!抜けば聖女の命はなかったぞ!!」
良子が衝撃を感じると体は横になっていた。
背と足が手で支えられ、抱きかかえられたとわかる。
バサッという音と共に兵士の背中から羽が生えて、空中に浮かぶ。
「追ってくれば聖女を落とす。いいな!?」
アレクサンドラが泣き叫ぶ声が小さくなる。
「聖女さまーーーーっ!」
ぐんぐん高度が上がり、目を開けられない程の風圧の中、リッチの声が届く。
「聖女!!!!」
そこから何も聞こえなくなった。
――――――――――
風が冷たく、目を細く開けるのがやっとの空中。
横抱きされているので下を見ることはできないが、かなりの高さだとわかる。
「…」
「騒がないのは流石だな」
何とか口を開け、声を絞り出す。
「…どこへ?」
「話してもいいだろう。もうお前があの国に戻ることもないしな」
「(バニラアイス作りはさっさと終わっちゃったから、庭を散歩した時間を含めても、1時間ぐらいしか経ってないな…)」
「ウサギ帝国へ連れていく。そこで一生、帝国のために祈りを捧げてもらおう」
「(ウサギの国は隣国だったはず。飛んだら障害物もなく移動できるし、ネコ王国って日本でいうところの市ぐらいの広さしかないから、起きてる間に着けるかも…)」
「まずは城に連れていく。無駄な抵抗はするなよ、待遇が悪くなるぞ」
身を任せ、運ばれるがままにしていると、城の尖塔のような建物に着いた。
誘拐犯はバルコニーにふわっと着地する。
窓から入ると、殺風景な石造りの部屋があった。
「数か月はここで暮らしてもらう。ネコ共も騒がしくしているだろうしな」
そう話す男性は、庭で見た時のネコではなく、ウサギの顔になっていた。
良子は深いため息を吐いた後、胸いっぱい空気を吸い込む。
「聖女もおなかが空くのです。美味しい食事を用意してもらわないと、祈るものも祈れません」
「な、なんというか、かなり図太いやつだな…聖女のイメージと違うが、まあいい。最初からもてなすつもりで食事は作らせてある。中へ運べ!」
人さらいウサギの命令でテーブルに料理が次々と乗せられる。
切ったレタス、茹でて切った卵、そのままのトマト、茹でた肉、切ったキュウリ、茹でた魚、切ったニンジン、茹でたジャガイモ、そのままのイチゴ、切ったオレンジ、茹でたエビ、切ったブロッコリー、茹でた海藻、切った玉ねぎ、焼いたキノコ、茹でたトウモロコシ、切ったカブ、茹でたマメ…
「あまりに 豪華で 驚きました」
良子の棒読みが光る。
「そうだろう。国で一番豪華な食事だ。じゃあな、ゆっくり食べろよ」
人さらいウサギは部屋から出て行く。
足音が完全に遠ざかったことを確認すると、良子は部屋に残された侍女らしき女性と、見張りの兵士2人に、食事をすすめる。
「よ、よろしいのですか?」
「ええ。ネコ王国ではいつも大勢で食事をしていましたから、1人では食べ物がのどを通らないのです。私を助けると思って、一緒に食べていただけるとありがたいのですが」
良子がエビをつまむのを見ると、3人はバクバクと食べ始めた。
「(やっぱり茹でられただけのエビだ…キュウリも切ったまま、味付けがない)」
「ゴホゴホッ!」
のどに詰まったのか、苦しそうにしている侍女に水のグラスを差し出した。
「おなかが空いていたんですか?」
「はい…い、いいえ!皇帝は我々を素晴らしい能力で統治し、理想的な生活を送れるように尽力してくださっているので、空腹などは感じたことがありません」
ものすごく嫌な予感がして、良子は顔をしかめた。
「聖女の誘拐を企てるほど国中が飢えてる、ってことはないですよね?」
「…」
「…」
「…」
3匹のウサギは顔を見合わせた。
「皇帝は我々を素晴らしい能力で統治し、理想的な生活を送れるように尽力してくださっているので、空腹などは感じたことがありません」
「皇帝は我々を素晴らしい能力で統治し、理想的な生活を送れるように尽力してくださっているので…」
「皇帝は我々を素晴らしい能力で統治し…」
「わ、わかりました!」
3人同時に同じ文章を喋り出し、エコーで耳がぞわっとする恐怖を感じながら、良子は椅子から立ち上がる。
「おなか一杯になったら眠くなってしまったのですが、どこか横になれる場所はありませんか?」
「それなら、寝室がございます」
案内された場所で横になった。
緊張の糸が切れたのか、活動限界時間の2時間を超過していたのか、一瞬で眠ってしまった。
聖女様が消えてしまった!と叫ぶ侍女の声が遠くから聞こえる。
「(どうか、彼女ら彼らに厳しい罰が下りませんように…)」