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人の噂で人は死ぬ

作者: 砂虎

警察学校に通う後輩たちに向けて何かタメになるコラムをという話を頂いたのは春先のことだった。

お世話になった上司からの依頼だったので二つ返事で引き受けてしまったが、いざ書こうとすると筆が止まった。

何しろ私が警察官だったのは四半世紀も昔の話である。

当時はまだ少なかった女性警察官とコンビを組む際の注意点やパソコンで業務日誌をつける際のポイントといったノウハウは

とうの昔に時代遅れになっていて通用しないに決まっている。

それでは社会人としての一般常識は?出不精のミステリー作家にそんなものを期待されても困る。

私は未だに上座下座についてよく分かっていない(今の時代にこんな序列を気にする人間がいるんだろうか)


困った時は現場に戻れ、証拠を当たれというのが警察官の鉄則だ。

現職時代のメモを引っ張り出してみたところ「呪いは実在するか?」という一文を見つけた。

このコラムが掲載されるのは夏頃という話なので季節的にもちょうどよい。


まだ現場に出ていない学生諸君にはピンと来ないかもしれないが警察官と超常現象は密接な関係にある。

自分の身の回りで何か異常な出来事が発生した場合まず連絡するのは家族に友人そして警察だからだ。

そんな訳で現場で勤務する警官は年に数回はオカルト絡みの相談を受ける。


その事件の相談者は20代の若者3人だった。

彼らは名門R大学を卒業したばかりの新社会人で全員が同じゼミに所属していた。

ゼミの研究テーマは「情報の伝播と変質」

伝言ゲームをした際に「リンゴを渡す」といった行為の情報は保持されやすいのに対して

日時や場所に関する情報は簡略化や省略されやすいといったことを例に説明してもらったのを覚えている。

メモには「トリックに使えそう」と書かれているが未だに私はこのアイディアを料理できていない。


大抵のゼミ生は災害時におけるデマの流布や最近よく話題になるフェイクニュースを卒業研究にしていたが

彼らは少し変わっていて都市伝説を共同研究の題材に選んでいた。


都市伝説というのは非常に多くのバリエーションが存在する。

トイレの花子さんや口裂け女などの誰もが知っているような物語でも

被害者が助かる方法や怪異の正体が世代や住んでいる地域で全く違ったりするのだ。

「情報の伝播と変質」を研究するのにうってつけと彼らが考えたのも無理はない。


問題は都市伝説に体系的な資料が存在しないということだ。

調査をしても「1980年頃から雑誌に掲載され全国的に広まった」程度のことしか分からないことが多い。


そこで学生たちは自分たちで都市伝説を作り、それがどのように広がっていくかを観察することを考えた。

そのために彼らは彦姫様という怪異を創造した。


彦姫様は平安時代のお姫様だ。

その頃は当然ながらテレビもインターネットもない。

人々にとって最大の娯楽は噂話であり同時に人々に噂されるような存在になることが

多くの人間にとって憧れでありステータスだった。

彦姫様も平安京のポップスターを夢見た。

だが悲しいかな、彼女は貴族の家に生まれた上級国民という以外は何の取り柄もない人間だった。

美人ではないし不細工でもない。紫式部のような文才もなければ清少納言のようなキャラクター性もなかった。

結局彼女は屋敷に入り込んだ盗賊に殺されてしまうまで一度も人々の噂にはなれなかった。


皮肉にも彦姫様は死んだことで初めて「盗賊に殺されたかわいそうなお姫様」として噂になった。

彦姫様は殺されたのに大いに喜んだ。しかし人の噂も七十五日。

すぐに別の事件が起きて彼女はまた忘れ去られた。

彦姫様は怒り悲しみついには亡霊となった。

それから彼女は暗闇から人々の耳元に自分の噂を囁き続けている。

彦姫様の噂を聞いたら彼女の話を広めよう。そうすれば彦姫様が幸運をもたらしてくれる。

彦姫様の噂を止めてはならない。彦姫様が不幸と共にやってくる。



この設定は言うまでもなく研究テーマである「情報の伝播と変質」を考えてのものだ。

一年半後には卒業論文をまとめないといけないのだから噂は素早く拡散してもらう必要がある。

情報の拡散をしないと不幸になるという手口は当時問題になっていたスパムメールと同型のもので

迷惑メールに難儀していた私は説教してやろうかと思ったが彼らの顔色を見てやめた。

自分たちのやったことへの後悔などもう何百回としていることが新米警官の目にも明らかだった。



実験の最初のハードルは自作の都市伝説が目論見通りに広まるかどうか。

学生たちは大学の友人や高校時代の同級生などに噂を広めてくれるように協力を頼んだ。

当時の日本は空前のホラー映画ブームだったこともあり彦姫様の話は順調に広がっていった。

携帯電話が普及期にあったことも都市伝説の急速な拡散に貢献したに違いない。


事前に予想していた通り彦姫様の物語は拡散の過程でオリジナルにない要素が次々に加えられていった。

彦姫様の不幸が「耳を食い千切られる」と具体的になったもの。

75日間夜中に友達と口を利かなければ被害を避けられるという救済策。

彦姫様が大正時代のお嬢様で噂になるために自ら列車に飛び込んだという大幅な改変を施したものまであった。

このケースでは噂を広めなかった者は駅で後ろから押されて彦姫様と同じ運命を辿ることになる。

通勤通学に電車を利用する人の不安を煽るチューニングだ。


研究グループのメンバーは実験の成功と全国各地で話題となるような物語を自分たちが作り出した高揚感に浮かれ喜んだ。


雲行きが怪しくなってきたのは実験結果を論文としてまとめる準備を始めた頃だった。

彦姫様は大学生が研究のために作り出した架空の話だというバリエーションが登場したのだ。

メンバーたちはいきなり背中を叩かれたようなショックを受けて担当教授に相談したが

教授は想定の範囲内のケースに過ぎないと笑った。


その頃のインターネットでは自作自演が大きなトピックとなっていた。

電車で絡まれていた美女を助けたオタクがお礼のデートに誘われやがては結婚する。

公園で倒れていた老人を救ったら生き別れた実の両親だった。

感動の実話として映像化もされた「ネットの奇跡」が作り話だったとバレて炎上する事件が多発し

一儲けを企んだ犯人を探すことが流行していたのだ。

教授は今回のケースもその流行を都市伝説が取り込んだだけと解説し学生たちは安心した。



だがその安心も長くは続かなかった。

時を置かずに彦姫様を作り出したのは大学生のA、I、K、Mだとする噂が登場したのだ。

そのイニシャルは研究に参加していた学生のものと完全に一致していた。


そして夏がやってくる。

この頃には彦姫様は噂によって幸福と不幸をもたらす亡霊ではなく

実験のために「自分を殺した」大学生たちに復讐する怪物へと完全な変貌を遂げていた。

噂が広がるたびに彦姫様は力を得る。さぁみんなで彦姫様の復讐を手伝おう。


君たちの中には馬鹿馬鹿しいと笑うやつもいるかもしれないが

そういう者は自分に警官としての資質が足りていないことを反省するべきだ。

第三者からすれば何てことのない出来事でも犯罪被害者には大きな心の傷となってしまうことはいくらでもある。

市民に寄り添う警察官に共感性は必要不可欠な要素だとOBとして忠告しておく。

(よしこれでちゃんとタメになるコラムになったぞ)



それにこの噂は実際に現実化した。

都市伝説を知った人間がインディーズのホラー映画として「彦姫様」を制作。

映画の中でA、I、K、Mの4人は陰惨な最期を迎えることになる。

Mこと宮田明美がビルから転落したのは映画の制作が発表されてから1ヶ月後のことだった。



それでも残った3人、私の前へ相談に訪れたA、I、Kは研究を続け卒業論文を完成させた。

大学4年生だった彼らを責めることは出来ない。

既に内定先も決まっているというのに卒論が未提出となれば留年になってしまう。

これから別の研究へ鞍替えする時間はなかったし彼らの選択はしごく真っ当で現実的だったといえよう。



3人は過去の事件を忘れて生きようと誓ったが1週間前にあるネット上の投稿を見つけて絶望した。

その彦姫様に登場する大学生たちはイニシャルではなく名前を得ていた。

青木、板垣、木村、宮田。彼らの本名だった。



宮田明美の転落は自殺として処理されたがそれは間違いだ。

あれはきっと彦姫様の仕業に違いない。

どうか自分たちを警護して欲しい。それが彼らの要求だった。



これがホラー小説ならばここからが物語の本番だろうが残念ながらこれはコラムである。

紙面も残り少なくなってきたのでもったいぶらずに結果を書いてしまう。


私は再調査を行うと言って彼らを帰してから1週間後に再び3人を集め

宮田明美の死は自殺であり彦姫様なる怪異は存在しないと告げた。

明美は「もう誰も信じられない」という自筆の遺書を残していたし

4人の名字はごく一般的なもので、しかも人気漫画「はじめの一歩」の主要人物たちと同じだ。

これはよくある名字と連想しやすい並びが重なった偶然の一致に過ぎないのだと説明した。


3人は納得がいかない様子だったが1週間の冷却期間が置かれたことで多少は冷静さを取り戻したのだろう。

実際に物的な被害が出ればすぐに駆けつけるという約束を得て去っていった。



さて後輩諸君はここまで読んできて私がこのコラムで伝えたかったことは何か分かるだろうか?

なつかしの平成エピソード?オカルト妄想に取りつかれた相談者の追い返し方?

まったく違う。



呪いが実在するかは分からないが呪いを悪用する人間は実在する。



これが本コラムで君たちが学ぶべき教訓だ。

そう、この事件には血肉の通った生者の犯人がいる。



彦姫様が実験のための都市伝説であり作ったのが大学生というころまではいい。

当時の流行に合致しているし実験ならばやっているのは教授か学生となるのは自然な流れ。

しかし研究メンバーの人数、イニシャル、はては本名までが偶然に一致するなんてことは

天文学的な確率でほとんどあり得ないといっていい。



そこで思い出して欲しいのが彦姫様の拡散は4人が現実の知り合いに依頼する形でスタートしたという事実だ。

つまりその時に協力した何十人かは彦姫様の真相を最初から知っていたことになる。

彼らの通うR大学は名門で就職氷河期でどこにも採用されない学生が続出する中でも

4人は早々に誰もが羨む一流企業への内定を確定させていた。

そんな勝ち組に対していつまでの仕事が決まらず将来に絶望する同世代の負け組が嫉妬から嫌がらせに走る姿は容易に想像できる。

宮田明美が「もう誰も信じられない」と自殺してしまったのはその事実に気がついたからだろう。



物的証拠こそないが私はこの推理にかなりの自信を持っている。

だが真相を3人伝えることはしなかった。

彦姫様への恐怖はいつか忘れ笑い話にすることも出来るかもしれない。

しかし周囲に自分の不幸を願う「友人」が潜んでいると知ってしまえばそれは生涯忘れることの出来ない傷になる。

それが私の出した結論だった。



警察学校を卒業し現場に出た警官は様々な超常現象にまつわる事件と遭遇することになる。

君たちは相談に訪れた人々の話に笑ってしまうかもしれない。

科学全盛の令和の時代にお化けや呪いのあるものかと。

だが忘れないで欲しい。超常現象が実在しなくともその裏に人間の悪意が潜んでいることは決して珍しくない。

そのことを肝に命じて若い力でオカルトに悩む市民たちを悪意から守って欲しい。


諸君の健闘を祈る。


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― 新着の感想 ―
[良い点] かなり皮肉がきいていて味のある作品だと思いました。新しいものには特に尾鰭がつきやすいもので、あの有名な「八尺様」も2008年に初出の21世紀発妖怪だとか。噂や都市伝説に惑わされないことも大…
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