第1話 未来
「どこだよ、ここ…」
眼を覚ますと、杏里の前に広がっていたのは薄暗い空間だった。
どうやら天を仰いでいるらしい。
体の周りには、一定のリズムで電子音が流れる装置がたくさん置いてある。その装置から出ている管が、腕、足、頭…、あちこちに繋がれている。身動きはとれるみたいだ。管を体から千切らないよう、ゆっくりと上半身を起こした。
眼をパチパチさせていると、その先に人影がうっすら見えた。その影は椅子から腰をあげると、おもむろにこちらに向かってきた。
「ようやく目を覚ましたみたいだね。」
口角が少し上がったように見えた。
『誰だ?」
杏里に繋がれている装置は、彼の心拍、血流、脳内に流れる情報の全てを読み、解析する。話しかけてきた相手は杏里の心の中を読み取り、少し笑って話を続けた。
「まぁ、驚くまでもないよね…。私はキエフ。よろしくね。んで、ここは君がもともといた世界から120年たった未来だよ。この部屋は一時的に君を閉じ込めるための場所〜」
身振り手振りが激しいこの女は、呑気な声でそう言った。杏里は何が起きているのか分からず、依然キョトンとしたままだ。
「アンリ。君は今、この世界の適応体質になるようにされているの。周りの大きな装置たちは、私の仲間が作った物なんだ。まぁ経緯とかはややこしくて口頭じゃ分からないだろうから…少し思い出してみて。」
女はそう言って杏里の額に手をかざした。
一瞬、視界が光に包まれた。
120年前の2030年9月2日。
杏里、日本に住む高校2年生。本名、雉賀杏里。
「杏里!!早く起きて!!先行くよ!!」
ボロボロの賃貸の外から、幼なじみであり、同級生である綾瀬三葉が大声で叫ぶ。
杏里はよろけながら玄関に向かい、重いドアを開けた。ギィっと錆びた金属の音と差し込む光が、空中を舞うホコリを光らせ、寝起きの杏里の心を滅入らせる。
「なんだよ…朝からでっけぇ声出して…。」
「もう8:00!!今日から学校!!新学期くらい遅刻しないd…」
ドアをバタンと閉める。三葉を怒らせたら怖い。
特に、この類の遅刻は既に両手の指では足りないほどしてきている。幾度となく自宅まで呼び出されたことか。杏里は慌てて身支度をしながらそこら中に散らばったプリントや教科書をリュックサックに詰め込み、家を飛び出した。
「遅いよ!!3分待った。ちょっとは「起こされないぞ、三葉を家まで来させないぞ」っていう努力ぐらいしてよねぇ〜」
三葉が少し顔をしかめる。
「悪い悪い。よし、早くいくぞ。」
「遅刻したのによく言うよ!!まったくもう…」
2人は通学路を全速力で駆けていく。
「待て三葉、お前、速すぎ…。」
「杏里が遅いだけでしょ。自分より小さな女の子の方が足速いなんていう男子、あんまいないんじゃない?」
「批判浴びそうな言い草だな…。そもそも、朝から軽トラと同じ速さで走る女子の方がいねぇよ。」
コンクリ歩道に足音が響く。
ちょうどその時、向こう側から黒髪長髪の女性が歩いてきた。その女性の前を杏里と三葉が通り過ぎたとき、女は反射的に走る2人を止めた。
「何ですか?」
杏里が振り向いて尋ねる。三葉は知り合いかと聞くが、杏里が首を横に振った。
「君、名前は?」女が杏里に問う。
「杏里、知らない人には名前教えちゃダメ。」
自称”道徳重要視主義のJK”のミツバがふくれっ面で言う。
「三葉、それ完全ブーメラン。名前言ってる。」
杏里が呆れた顔をする。 (そう言う杏里も三葉と言ってしまっているが。)
「君がアンリなんだね。やっぱりゼクさん飛ばすところぴったりだ。」
「ゼクさん?何のことだ?」
「こっちの話。」
それだけ言って、女は2人の顔の前に手をかざした。
視界が光に包まれた。
2人が気付いたときには、そこはもう先程の通学路ではなかった。
何もない、ただ真っ白な空間。扉もなく、壁もない。どこまでも続いているような不思議な空間。
立ち尽くしている杏里と三葉の前に、女が地面に座った。
「アンリ、ミツバ、座っていいよ。あと、フランクに話してくれていいから。…それで、少し信じがたい話をさせてもらう。でも、本当のことだから。とりあえず今は聞いて。まず私の名前はスィエル。わけあって、120年後の世界から来た。そのわけっていうのは、君たちを捕まえて未来に連れて行くというものだよ。」
アンリとミツバはキョトンとしている。
「未来では人々が"EB"という敵と魔法で戦っている。そこで君たちの魔力が私たちには必要なんだ。」
「魔力?私たちそんなの持っていないよ、普通の人間なんだから。第一、120年先の世界は魔法が使われる?ありえないよ。だって魔法なんて、神話とかおとぎ話の世界のものでしょ。」
三葉が答える。
「話を続けさせてもらう。私がいた国は、君たち2人が住んでいる時間軸には存在しない。というのも、そこの国だけ時間が止まっているんだ。しかし、2030年9月10日、つまり今から8日後、その国の時間は復活する。なぜだと思う?」
「その…、未来に生きる人が時間を取り戻したとか?」
「近い、けど逆だ。今を生きる人が時間を取り戻したんだ。8日後の9月10日、時間が動き出すことを預言者は語った。」
今までずっと黙っていた杏里がゆっくりと口を開いた。
「話をふりだしに戻すが、お前たちはなんで、俺等が必要なんだ?」
「私たちには大きく分けて、2つの目標がある。いや、使命と言った方が妥当だな。1つ目、敵である"EB"を消滅させること。2つ目、二度と魔法が生まれない世界を作ること。」
「その使命を達成するために、私たちの力が必要だと?」
スィエルが首をコクンと縦に振った。
「さっきも言ったけど、私たちには魔力もないし、その"EB"っていう敵と戦うだけの戦力もないよ。」
スィエルは少し黙って、天を見上げた。そして深く息を吸って、2人の方を見た。
「魔力を持つための必要条件。一つ、本人の存在する環境は一度でも時が止まったことがある。二つ、本人の先祖が魔力を持っている。三つ、本人が魔力を持つきっかけに出会う。」
「全て当てはまらないが…。」
「いや、全て当てはまっているんだ。1つ目の環境については、私がこれからここの時間を止めれば条件を満たす。2つ目の先祖について。これが一番の謎だろうが、実際本当のことなんだ。君たち2人の祖に魔力を持つ者がいた。そして3つ目、これが今だ。」
スィエルが一通り話し終わると、3人の間には沈黙が流れた。誰も微動だにしない。すると突然、見えないくらい高い天井から声がした。
「あ、あ、もしもし、スィエル。聞こえているかな?キエフだよ。こちらの準備は整った。引き渡しをお願いするよ。」
「誰の声?…分かった。さっきスィエルは、私"たち"って言ってた。複数形であった理由は、他にも同業者がいるからなんだね。」
「"EB"はEarth Breaker、つまり地球を破壊する者。対して私たちは、地球を守る者を意味するEarth Protector、"EP"。現在、EPは総勢3000人程度から成る。これは3000人と未来を生きる者からの願いだ。強引な方法で悪いが、これしか無いんだ。アンリ、ミツバ、これから君たちには、世界と未来を守るために一緒に戦ってもらう。」
そう言って、スィエルが両眼をカッと開いた。
「時空操術、時空変動」
3人の体は白い空間からすっと消えた。
ごめんね、命の保障は出来そうにないんだ…。