「伽藍」住人は東中野・新宿を楽しむ
連載第3回 <「伽藍」住人は東中野・新宿を楽しむ>
康一が日大建築科同級生達とシェアして住んでいる「伽藍工房」は、東中野駅のすぐ近くで、総武線で新宿駅まで5分程度。隣の中野駅までは3分弱だ。住人たちは、東中野を中心にこれらの地域での生活を思い思いに楽しんで暮らしていた。
彼らは、ほとんど自室のドアのロックをすることない自由で開放的な空間の中で暮らしていた。議論はすることもあっても争いごとは起きることなく、お互いの自由を尊重していた。そういった開放的な雰囲気なので、男だけが暮らすこの建物に多くの女性も気軽に来ていた。多くの女性が訪れるとは言ってもいたく健全なシェアハウスであった。
康一が心を惑わされたさくら、ミー子、由紀子などのほかにも多くの女性の訪問があり、気の多い康一はますます落ち着かない日々であった。
ある日、「伽藍」によく出入りしていた「辻春樹」が交通事故にあい、入院したという緊急の知らせが届いた。辻と親しい仲間が、貧しい辻の入院費を工面しようと「伽藍」関係者でカンパしようということになり、その日の夜に緊急の会合を開くことになった。住人や出入り知人たちは「伽藍」の近くでそれぞれ夕食や一杯やっていてほとんど出払っていた。
「伽藍」にいた康一と数人で手分けして、皆がよく行くい店に探しに行くことにした。
嶋田は東中野駅の改札の近くにある小さなお好み焼きの「みすず」のママを気に入って通っていた。ママは、ちょっと色気のある魅力的な年上の女性。一人で店を切りもりしている。嶋田は一見穏やかだが、女性へのアプローチは強力だ。嶋田につられて康一や石川など何度もこの店に通った。時には、ママは、「伽藍」の若者に説教したりしていた。ある日、嶋田と彼女が店の近くの通りで仲良く二人でいるところに出くわした。二人は悪びれもせず康一に挨拶していった。どちらが先に声をかけたのかわからないが、息の合った二人に思えた。康一は、お好み焼きを作りながら「恋の相手は一人だけではだめよ。何人も経験しなさい」とママにアドバイスされたが、とりあえず一人でもいいんだ、一人でも恋人がほしいと心の中でつぶやいていた。由紀子がその「一人」になってほしいと心から願った。
案の定、島田はこの店に居たので、会合のことを伝えた。
平は、このお好み焼きの店のはす向かいにあるサイフォンコーヒー店「パンセ」に入り浸り、店員のバイトまでやっていた。サイフォンでじっくり煎れてくれるコーヒーは康一もお気に入りで何度も通った。平自身が言っていたが、この店の二人の女性の内の一人を気に入ったとのことだ。10歳は年上に思える落ち着いた理知的な美人だった。そして嶋田と同じように、恋愛に積極的で相手の女たちの心をつかんでいる。それに比べて康一はなんて成果を上げられないのか忸怩たる思いがある。この日も平はパンセでアルバイトしていたので、捕まえることが出来た。
建築科の同級生岩井のお気に入りは駅の改札近くにあるおしゃれなスナック「深海魚」で女性が接待する店ではないが、雰囲気があり美人の店員がいた。もっぱら洋酒が飲める店で、康一も何度か通った。今日も岩井はここにいるかもしれないと考えた康一が尋ねると定員相手にウイスキーを飲んでいた。
岩井は、すでに相当に女性経験を積んだプレイボーイだった。「伽藍」で一緒に暮らし始めたころからずっとそのような浮ついた様子は見せなかったが、実はその正体はドンファンだったようである。ある時にちらっと彼の性生活の様子を聞いたが、康一がポルノ映画でみたような世界だった。だが、普段の生活では毅然としていて、彼の部屋には、ながく居候の間島が暮らすなど、面倒見もよかったようだ。
康一は、線路わきの居酒屋「三平」にも覗きに行った。
この主人には康一のデザイン力があると見込まれて、店内のおすすめメニューのデザインを頼まれたのだった。この店のもつ鍋は安くてボリュームがあり、康一や石川など居酒屋好きが通った。しかし、この店には若い女性店員はいなかったのが残念なところではあった。ここには、ミー子からどこかで飲みたいと言われたので、低価格の店優先ということで選んで一緒に行ったことがあるが、珍しいことであった。この日は「伽藍」の住人などはいなかった。
鈴木が自宅へ帰る途中で新宿の店を探してみると言った。
紀伊国屋書店近くの「公明酒場」は、何といってもつまみは30円から格安のメニュー構成で、合成酒も100円程度だった。財布がさみしくてもこの酒場に顔出すと、たいていは「伽藍」の住人や出入りの知人が飲んでいて、奢ってもらうことができた。こういう店は貴重だった。やはり、鈴木はこの店でトミーを探し当てた。
新宿の中心から少し離れた新宿御苑入り口近くの飲み屋が集まる路地に小さな「セラビィ」というスナックがあった。勝則のなじみの店で康一や「伽藍」の連中もよく通っていた。鈴木はこの店にも顔を出してみると、石川とミー子が二人で飲んでいた。
鈴木は二人に会合のことを話すと、代々木の自宅に戻るために店を後にした。
二人がいることは、康一には言わないでおこうと思った。
この店は、歌手の浅川マキも来るらしいということだったが、康一が出会うことは無かった。魅力的な女オーナーの「モモちゃん」は浅川マキと仲が良いそうだ。
彼女がいつもチンザノ一杯でねばる康一のことを
「彼は飲めないのね」
と勝則に言っているのを聞いた。
康一は彼女が「未熟者め」というようなニュアンス言っているように感じたが、そうだとしてもその通りだと思っていた。彼女は独特の雰囲気のある魅力的な女性であったのであまり不快には思わなかった。魅力的ではあっても、お付き合いの相手とは恐れ多い存在だった。
ある時、彼女が能登半島に旅するという話を聞いたが、旅先で偶然にあったら楽しいだろうな等と妄想した。数年後に能登半島に旅行することになるとその妄想を思い出すのであった。
モモちゃんのその時の評価は正しかったが、その後の由紀子との大失恋を契機に飲める男に変った。その変わった姿を「セラビィ」で飲みまくって見せつけたかったが、その機会は訪れなかった。
「伽藍工房」の住人たちは、住み始めて東中野に徐々になじんでいった。駅の近くには様々な飲食店があり、「伽藍」の住人達はそれらの店によく通った。
駅から山手通りを渡った東中野銀座商店街には「十番」、とんかつの「もちだ」などがある。「伽藍」への入居を検討していた頃、勝則に紹介されていった中華の「十番」は1960年代に開店した老舗で、現在でも行列ができる人気の店だ。タンメンのおいしい店と紹介されているが、康一はここの餃子が大好きだ。めずらしいレバ入り焼きそばとセットで頼むことが多い。テレビなどで餃子のうまい店のランキングが紹介されたりしたが、康一にとっては皮のモチモチ感と甘みが絶品と思い、今でも必ず注文する。
「伽藍」に住み始めてから、住人たちは「十番」からよく出前を取った。大した量ではなくても配達にきてくれた。出前をお願いした初めのころ、注文料理を届けに来てくれた「十番」の店員は、
「ここはなぜ『伽藍工房』と言うのかい?」
と尋ねた。
康一はその由来を説明したが、店員が一応聞いてはくれたものの本当に理解してくれたかは定かではない。
「伽藍」の風呂場は木造の桶があるものの使える状態では無かったので近くの銭湯に出向いたが、時々この「十番」の調理人達と洗い場で出会ったことがあった。
康一は「伽藍」に戻る前にこの「十番」に誰かいないかと覗いてみたが、いなかったので、餃子を食べて捜索を終えた。
この翌日、会合を開いてできる限りの支援をすることとし、康一は自分のデザインのA2サイズ6枚の組み合わせ大版ヌードポスター(セットで2000円)をみんなで売ってその売り上げを全額を寄付することとしたのだった。
東中野駅の隣の中野駅には1966年にオープンした中野ブロードウェイセンターがあり、住人たちはよく出かけていった。後日康一を惑わすことになる訳アリの女「真奈美」がバイトしていたシークレットのある中野サンモールの奥にあり、中野駅の北口からすぐという便利なアクセスだったので、康一もレコード店や模型店に通った。真奈美がやめてしまった後にシークレットの前を通ると、胸がうずいた。
「まんだらけ」という店の開店を皮切りに訪れたサブカルチャーブームは「伽藍」工房閉鎖後のことだった。
「伽藍工房」で住人たちが暮らしていたころにブロードウェイセンターの近くで工事中だった「中野サンプラザ」が完成し1973年に開業した。特徴のある外観デザインは建築を目指す康一には新鮮に映った。康一はのちに大好きなバンド「サンタナ」の日本公演をサンプラザホールに見に行った。また、大分あとのことだが、講師を務めていた御茶ノ水のデザイナー学校の教え子が、ここで結婚式を挙げて招かれたこともあった。建築的に見て内部構成もなかなか興味を引いたのであった。
つづく