2羽
意識が徐々に浮上していく。俺は何をしていたんだ。たしか図書館であの男と会って、それから
ズキィ
「ッ...うぅ」
鈍痛が頭に響いた。目が覚めたものの、痛みの所為で上手く頭が回らない。ここは何処だろう?ほの暗くて少し広い空間のようだ、あと埃っぽい気がする。
「おや、お目覚めかぇ」
「!!」
女性の声が、上から降ってきた。驚いて見上げると、そこには異形のモノが巣喰っていた。蜘蛛の糸が張り巡らされた場所にソレは腰を据え、こちらを愉快そうに見下ろしている。視界が霞んでてよく見えないが、上半身は女の形をしていて、下半身は蜘蛛そのものだった。あり得ない、と固唾を呑んで女蜘蛛を凝視する。
「良い顔をするのぅ。痛ぶり甲斐があるわい」
恐怖から後ずさろうとしたが、思うように体を動かすことができなかった。不審に思って、手足を見ると蜘蛛の糸で拘束されている。
「嗚呼、あまり動かない方が良い。蜘蛛の毒がまだ抜け切ってないのじゃろ?」
「ど、くだと?」
「そう麻痺または睡眠効果のある毒じゃ。ただし目覚めは最悪じゃがな」
「いったい、いつの間に」
「簡単な話よ。この男に妾の蜘蛛を貸して、餌を見つけたら蜘蛛の毒で弱らせ、此処に連れてくるように命じただけ」
男と対峙した時には、すでに蜘蛛を体に忍ばせていたのか。しかしなぁ...と女郎蜘蛛は不満の声を漏らしながら、男に視線を逸らす。
「妾は子供を連れて来いと言ったはずじゃが」
「す、すみません!!」
「全く、この心の渇きは誰が潤してくれるというのだ...そうじゃ!」
「?」
「男、この渇きはお前のその罪深い命で償え」
「は......?」
女郎蜘蛛が手を振り翳すと、配下の蜘蛛達が溢れ出し、あっという間に男を囲い込んだ。男は絶望的な表情をして、女郎蜘蛛に縋り付くように声を荒げた。
「待ってくれ、話が違うぞ!!身代わりを連れてくれば、俺は見逃してくれるんじゃなかったのか!?」
「はて?そんな約束したかのぅ」
「は...??お前、まさか最初から」
「妖との口約束なんて、そう易々と信じるものじゃないぞ?」
「くそッ!!!」
「興醒めじゃ。喰え」
グチュ ガシュッ
「ギャァあアあぁアア」
女郎蜘蛛の合図と同時に、蜘蛛達は男へ飛び掛かった。男の断末魔が響き渡る。俺は反射的に顔を背け、目を瞑った。血の匂いが鼻を掠めると、嫌でも相手の死に様を想像してしまう。このままでは俺も...と最悪なシナリオが頭を過ぎり、思わず顔を歪めた。
「さぁ、次はお主の番じゃ」
心臓が一際大きく鳴り響いた。ここにいる人間は俺だけだ、嫌でも指名されたのが自分だと分かる。恐る恐る目を開けると、男の姿は消え、血を啜る蜘蛛達だけが残っていた。謡一の頬に汗が一筋伝っていく。蜘蛛の巣から離れた女郎蜘蛛がこちらへと歩み寄ってきた。毒が薄まってきたせいか、朧気に見えた姿がハッキリしてくる。
「じゃが、妾も鬼ではない」
女郎蜘蛛は謡一の前で両肘をついて、意地悪そうな笑みを浮かべた。
「此処に子供の身代わりを連れて来い」
「身代わり...だと?」
「そうすれば、生かして帰してやるぞ?」
「.........ははは」
あの少女の顔が頭に浮かぶ。俺は可笑しくなったのか、口から笑いが零れた。女郎蜘蛛は突然笑い出した俺に、気を触れたのかと顔を覗き込んだ。身代わりに誰かを連れて来い?生きて帰れる?はははは
「嘘だね。アンタは俺を見逃す気なんてない」
「.........なんじゃと?」
「餌を持ってこさせて、最終的には何か理由を付けて俺を食べるんだろ?そして、今度は連れてきた餌の恐怖心を煽いで、再びその役をさせる」
「おそらく、アンタはその卑怯な手で繰り返し餌を喰い繋いできた。違うか?」
ガッ
「ぐっ、あ!?」
ギギギ...
女郎蜘蛛は間髪入れずに、謡一の首を両手で握り締めてきた。体が小刻みに震え出す。偶然合った女郎蜘蛛の目には、怒りの感情が滲んでいた。息が出来ず、苦しみながらも何とか抵抗しようとする。しかし、手足の拘束は一向に解けず、謡一の息も切れかけようとしていた。
もう、だめだ...
ドォン!!
「なんじゃ!?」
大きな破壊音と共に、周囲に煙が立ち込めた。目眩しか何かだろうか、小賢しい真似をする。女郎蜘蛛は両手に痛みを覚えて、眉間に皺を寄せた。骨が折れておるな。しかも、この感触は...と蜘蛛の糸に意識を集中させる。やはり間違いない。この鼠めが、
「お兄ちゃん」
「ゲホッ...ゴホゴホ!!どうして、ここに」
蜘蛛の糸から餌を逃がしおった。
謡一の体を支えながら、フクロウは女郎蜘蛛に対峙する。一方で女郎蜘蛛は、謡一が拘束されていた糸を手に取って眺めていた。手で引き千切ったにしては断面が綺麗で、まるで刃物で使ったかのような切り口だった。だがこの糸は、子供の力で切れるほど柔な造りではない。
それにこの短時間で拘束を解いて、遠くの場所を移動するなど、子供が成せる業ではないな。
「妾の餌を横取りするとは。貴様、何者じゃ」
「フクロウ」
「!!!」
「この名前に聞き覚えはない?」
女郎蜘蛛の顔色が変わった。苦虫を噛み潰したような顔でフクロウを睨みつける。
「待って、きみには危険だ。早くにげ」
「お兄さん、大丈夫だよ」
「.........えっ?」
「だって私、
人間じゃないもの」
人間じゃない。ニンゲン、じゃない。
フクロウの言葉が自分の中で木霊する。そう言った少女の顔は暗闇に隠れていて、よく見えず、一抹の恐怖を感じた。
それから、フクロウの周りに強い風が巻き起こった。
勢いのある旋風に吹き飛ばされそうになるのを堪えて、謡一はフクロウがいる方向を見遣った。暫くすると風が静まって、視界がクリアになる。旋風の中心には、フクロウがいた。ただ、居るのは地面ではなく
「良い眺めね」
上空だった。俺は信じられず、目を擦って瞬きするが、その光景は変わらない。両腕の翼はその小さな体を覆ってしまうほど大きく、華奢な両脚は鋭い爪を持った獣の脚に変貌していた。そして少女の様子も先程とは異なっている。
「お主が噂に聞いていた同族封じじゃな!?」
「ご存知だったのね」
「クッ...妾の邪魔はさせんぞ!!!」
「貴方の事情なんて知らないわ。あたしは任された仕事をこなすだけだから」
そう言って、白衣の中から大きな厚い本を取り出した。
「させるか!!」
「あら怖い顔」
女郎蜘蛛の糸が、フクロウに向かって放たれた。それを硬化させた羽を飛ばして相殺させる。
本当は飛びながら避ける事も出来たが、リスクが高いと、この一瞬で判断した。辺り一面が蜘蛛の巣で囲われている今、飛べる範囲が限られている。無茶な旋回や翼を大きく広げたりすると、蜘蛛の巣に捕まって身動きが取れなくなってしまうだろう。
「ほう?退屈凌ぎにはなりそうじゃな」
「ッそれはこっちの台詞」
フクロウは女郎蜘蛛に接近して足蹴をするが、瞬時に避けられてしまったため、風を切るだけだった。さすがに一筋縄では行かない。続けて女郎蜘蛛が繰り出す糸を、爪で巧みに掻き切った。
「その爪で妾の糸を切ったつもりか?」
「どうゆう事かしら」
「残念じゃが、この糸は繊維が幾重にも重なっている上に粘着性が強くてのぅ。一度切ったり触れれば、目に見えないほど細い糸がずっと張り付いておる」
「ッ...!!」
「こんな風に、な!!!」
「なんだ!?これ」
フクロウの脚に絡みついた糸が勢いよく天井へと引っ張られ、宙吊りの状態になってしまった。
このままでは、頭に血が上る一方だ。
まともな戦闘ができなくなる。
抜け出そうともがいてみるが、糸は思いのほか頑丈で切れなかった。暴れる度に羽がいくつも抜けては宙に浮かんでゆく。
一度糸に触れていた謡一も、同じく天井まで引き上げられた。
「あまり抵抗せんほうがいいぞ?誤って、人間の糸を切ってしまいそうじゃ」
その言葉を聞いて、謡一は顔を真っ青にさせた。この高さでは敵との距離が空いてて、おそらく攻撃も届かない。女郎蜘蛛は勝ち誇った笑みを浮かべて、蜘蛛の巣にかかった餌を見上げた。
「姑息な手、人質が通用するとでも?」
「フッ、フクちゃん!?」
「あたしともう一人の私は、あくまで別物よ。私は人間が嫌いなの」
「ほう?では試しに落としてみせようか」
「.........やってみたら?」
「良かろう、血の花火を見せてやる」
「エ"、俺置いて話し進めないで」
人間がこの高さから落ちれば、ただでは済まないだろう。妾に盾突いたこと後悔させてやる。女郎蜘蛛は謡一の糸を切り離そうと腰を上げた。そのとき、
シュッ
白く美しい頬に赤い筋が入る。そこから少しずつ血液が零れ落ちた。女郎蜘蛛は頬に手を添えて、ゆっくりと傷口の感触をなぞる。
今、何が起こった。
あやつらは手も足も出ないはず、一体どこから攻撃してきた。
謡一はふと違和感を感じた。
(なんで、この羽落ちないんだ?)
先刻、フクロウが暴れて抜けた羽が地面に落ちることなく、ずっと浮いていた。そして、それが女郎蜘蛛の周囲を取り囲んでいるようにも見える。フクロウが唱え始めると、柔らかい羽は形状を変えて、徐々に鋭くなっていった。
「恨みつらみよ」
「何じゃ、いまのは」
「我が羽を呪い給え」
「答えよ!!!」
「呪羽剣山」
ズサッ ズサッ ズサズサッ
「ギャァア"ア"ア"ァア"ア"!!!!」
宙に留まった大量の羽が鋭い刃となり、女郎蜘蛛に向かって一斉に集まっていく。その様はさながら針山地獄が出来ていく過程のようだった。山の芯となるのは蜘蛛の体、針はフクロウの羽。羽は勢いを止めることなく、次々と女郎蜘蛛を貫いてゆく。
そして、地獄の剣山が完成した頃には、女郎蜘蛛の息も絶え絶えになっていた。周囲にいた配下の蜘蛛は、女郎蜘蛛に並び串刺しにされている。