1羽
(今日もいる...)
図書館にはいくつかの閲覧ブースがあって、利用者は本を手に取って、各々好きな場所で本を読むことができる。
俺もその一人で、いつも通り気になった本を片手に持ち、窓辺にあるお気に入りの席に向かおうとしていた。
しかし、先を越されていたようだ。その席には白髪の少女が座っていた。
特徴的な見た目なので、遠目から見てもすぐ分かった。左右に跳ねた襟足に、文章を追う琥珀の瞳。その瞳に光は無く、朧げに霞んでいた。
(まだ、こんな小さいのに)
親は何をしてるんだと、心配で思わず声を掛けたくなってしまうが、それを心の中でグッと堪えた。いきなり知らない男から声を掛けられても怖いだけだろうし、悪手を踏めば俺が通報されて終わりだろう。仕方なく斜め向かいの席に座った。
この少女は数週間前から、図書館に通っている。正直最初は突然現れた少女に、お気に入りの席を取られ、不満を感じなかった訳ではない。
しかし、少女の手に取る本が年相応の内容でないため、興味が湧いて、ついつい気になって目で追ってしまうようになったのだ。彼女が読むのは古文書や事典、今日は鉱石の参考書だった。
...って、人の読む本を観察してる時点で俺すでにやべぇーヤツじゃん
でも面白いから仕方ない。むしろ最近では本を読むよりも、彼女が読んでいる本を見るのが目的で来館しつつある。それほど、俺は歳の離れた少女に人知れず興味を持っていた。
いつも通り図書館に行き、今日はどの本を読もうかと棚を見て回る。そのとき、いつもとは違う光景を目の当たりにした。
あの白髪の少女が本棚の前にいるのだ。
しかも、一人ではない。猫背の男が薄ら笑みを浮かべながら、少女を見下ろしていた。一瞬兄妹かとも思ったが、男の不自然な動きに違和感を感じて足を止める。何か話してるようだが、遠くて会話が聞こえない。男が一方的に話しかけてるようだ。少女は特に反応を示さないままボーっと男を見つめていた。
もしかしたら、恐怖で声が出ないのかもしれない。俺は声を掛けるべきかどうか迷った。しかし、考える暇もなく、男は少女の腕を掴んで、本棚の奥にある暗がりの隙間に追いやろうとする。
おいおい、あれはアウトだろッ...!!!
俺はすぐさま駆け寄って、二人の間に割って入った。男はまさか見られてるとは思わなかったようで、焦った様子でこちらに目を向けた。俺は一か八かハッタリをかまそうと、相手に聞こえるくらいの声量でこう呟いた。
「この子の兄ですが、何か?」
すると、男は動揺したのか少女には目もくれず一目散にその場から離れた。やはり読みは当たっていたようだ。大事になる前に収まってよかったが、本来なら捕まえて、スタッフか警察に突き出すべきなんだろう。しかし、そのときの俺にそれを考えるほどの余裕が無かった。
それから視線を感じ、下を見ると件の少女がこちらをジッと見つめていた。あんなことが起こったのに表情が変わらないなんて、幼いのに肝が据わってる。俺はしゃがんで、少女に目線を合わせた。
「さっきの、知らない人で合ってた?」
「...はい」
「それなら良かった」
「あの、助けてくださって、ありがとうございます」
いつも遠くから眺めていた琥珀色の瞳に自分の姿が映る。少女の声は思ったより、大人びてて落ち着いていた。少女は俺を見つめたまま、頭を下げてお礼を言う。礼儀の良い子だ。
「どういたしまして」
「ケガとかしてないですか?」
「いや、大丈夫だよ。君の方こそ掴まれた腕、痛くなかった?」
「ん、なんともないです」
「ブフッ!......そっか」
そう言って、腕をグルグルと回す様子が可愛らしくて思わず吹き出してしまった。不思議そうに首を傾げる少女を前に、肩を震わせながらなんとか言葉を返す。なんだ子供らしいところもあるじゃないか。俺は緊張感がほぐれて、もう少し彼女と話してみたくなった。
「いつも図書館に来てるよね。名前はなんて言うの?」
「私は...フクロウと呼んでください」
「(変わったネーミングセンスだな)じゃあ、フクちゃんか」
「他の子からもそう呼ばれてます」
「ははっやっぱり」
「お兄さんの名前は?」
「俺は謡一って言うんだ」
「よういち」
「そうそう」
少女はこの街に来たばかりで、探し物があってこの図書館を利用してるらしい。どうりで色んな本を読んでいるわけだ。
「探し物は見つかりそう?」
「いいえ、でも頑張ります」
私が見つけたいので
そう言って、フクロウは本棚から一冊の本を取り出した。
閉館の音楽が館内に流れ出した。周囲を見回すと、辺りの利用者もいそいそと帰る準備を始めている。俺も帰ろうと席を立ったその時、背後から声を掛けられた。
「おい...よくもやってくれたな」
「!?」
そこには先程、フクロウを連れ去ろうとした不審な男が立っていた。何故ここに戻ってきた。横槍を入れた俺に文句を言いに来たのだろうか、と思考に頭を巡らす。男が徐々にこちらへ近づいてきて、ゆっくりと口を開けた。
「もう、この際お前でいい...」
「......は?」
「本当は子供を連れてくるように言われていたが、俺には時間が無いんだ」
「...何を言ってるんだ?」
言葉の意図が分からず、困惑しながら距離を取る。しかし、男はそれに構わず歩幅を広げて、俺の両肩に手を置いた。そしてギョロッとこちらを見つめる。
「蜘蛛の餌になるんだよ」
目が合った瞬間、強い眠気に襲われた。立っていられなくなり、片膝をついて眉間を抑える。図書館のスタッフが駆けつけてくれたので助けを求めようとしたが、男に知人のフリをされて「心配ない。貧血気味なんだ」と軽くあしられてしまった。待って、行かないでくれ。
意識が、遠く...な...
意識を失う直前に見た男の怯えるような目が、嫌に脳裏から離れなかった。
「あら、貴女いつも来てくれる子?」
「こんにちは」
退勤後に、図書館の入口に目をやると常連の少女がひとり佇んでいた。
目立つ容姿をしているので、すぐに分かる。閉館した館内を見つめていたので、忘れ物でもしたのか?と声を掛ける。すると彼女は、少し考えてからコクンと頷いた。
生憎もう施錠が済んでいるので図書館に入ることは出来ない、そう彼女に伝えると「今日、変わったことがなかったか」と聞き返された。そういえば...と閉館時、貧血で倒れた人を付き添いの人が介抱していたことを思い出したので、その話をする。すると、少女はありがとうと一言残してどこかに行ってしまった。
変わった子だな...と思いながら、少女の背中を見送り、再び帰路に足を向けた。