牛の首
――、件の屋敷で歩き神主と面白い事があってね。涼を取りに来ないか。
粘着く様な重い風が吹く日、ヤツの身の回りの世話をしている小僧が文を携えやってきた。退屈していた事もあり、伽羅が涼やかに香る、文の余白に『参る』と返事を書き小僧に渡す。
手ぶらだとあれなので、家令に命じて土産の用意。ヤツが入った寺の座主に幾ばくかの銭。ヤツには水菓子を。
じーわ、じー、じーわじーわ、じー……
御簾の向こう側から気怠い鳴き声。下男が雨の毎、伸びる夏草の草刈りをしたのだろうか、青臭く薄ら甘い草の香が流れてきていた。
友は何かと柵の多い、時の関白殿の総領の地位をうっちゃり、僧籍に入った酔狂人。地獄の沙汰も金次第、入門の折、金銀黄金を山と寄進をしたため、小僧のように修行を課せられることもなく、僧侶の地位を与えられた。
坊主になったからには、朝夕の読経、仏様の教えを破らぬ事。との言葉と小さな庵、世話をする小僧ひとりを早々に与えられ、そこで風に流るる雲の如く過ごしていた。
「ここも暑いな。都と変わらん」
「ハハ。心身滅却をすれば火もまた涼し」
「呼び出したのはこれが目当てか」
「小僧に美味いヤマモモを食わせたくてな。お前の庭のやつは美味い」
竹籠にちんまり盛られた、熟して赤黒いヤマモモをひとつ摘むと美味そうに食う。
「小僧にやってもいいか?」
「お前に持ってきた土産だ。構わん」
お客様からお許しが出たよ。ほら、皆でお食べとヤツは小僧に渡す。ぱっと、弾ける、年相応の子の笑顔を浮かべた小僧。ありがとうございます。ありがとうございます。幾度も礼を述べると茶の支度を整えた後、籠を大切に抱いて部屋を出ていった。
カナカナカナ……。開け放した濡れ縁からひぐらし。
「して。何があった?」
「ああ。この間、座主に頼まれ外出をしたんだよ」
「歩き神主とか、書いてあったが」
「うん。妖かし祓いを専門にやっているとの触れの、
神主とね。件の屋敷に行ってきた」
ほお……。赤錆色の茶を含む。薬草茶なのだろうか、仄かに甘く、芳しい香りが口中と鼻に広かった。
「お化け屋敷と有名な河原の大屋敷。春夏秋冬趣を凝らした庭を有する、美を競った女主達がとぐろをまいていた各々の寝殿は程よく崩れ、夜にはオウオウと人魂が飛び回ると噂の、件の屋敷さ」
「きっかけは?」
「聞きたいか?」
ニヤリと下卑た笑みを浮かべる、紗の袈裟を着込み、涼し気な坊主頭のヤツ。部屋の中に染みつく線香の香りが、一気に紅白粉に取って代わる。
「そう。事の始まりは、某大臣家には、帝から賜ったという『牽牛』という御大層な名を持つ牛がいた。牛には当然、牛飼い童がつけられ世話を任されていた」
カナカナカナ……。深山を震わせる様な、ひぐらし。
――、なに。神主から聞いた話によると、この牽牛、見事な体躯を持ち、背中の毛は青く光る黒牛。当然ながら大食らい。そして乾草、刈草、糠の類は食わぬワガママな牛。
帝の賜り物、やせ衰えさせるなと、命を受けていた牛飼い童は、雨の日も大嵐の日も。霜柱立つ寒い日も、地に生える青草を求め、紅と金で組まれた手綱を引きひたすら歩く毎日。
あっちにこっちに、歩き回る内に件の屋敷に、たどり着いたのは寄せられたか、偶然か。大雨が降り続いた事により、築地の崩れが広がりかっぽりと穴が空いたそうだ。
そこからちろろと、伸びた茅が誘うように葉先を出していたのだろうか。とにかく牛飼い童と牽牛はそこに入ったのは、違いない。足跡がくっきり残っていたそうだ。
それっきり……。牽牛も牛飼い童も屋敷に帰って来なかった。当然ながら大騒ぎになった。なにせ帝から賜った牛だ。なんとしてでも、早急にこれだけは探し出さねば。
牛飼い童の行き先はすぐに分かった。見惚れる体躯と毛並みを持つ、黒牛は都の中でもひときわ目を引く存在。河原の屋敷に早速、護衛達が数名、向かったのだが。
帰って来なかった。
次の者達が得物を手に向かう。
帰って来なかった。
更に屈強な護衛が選ばれ向かったのだが。
帰って来なかった。誰一人として、帰って来なかったのだ。そこで巷で有名になりつつあった、祓いを専門にやっていた、歩き神主の登場。ヤツは座主に、この度の討伐には寺の助けが必要と、金を積んで頼んできた。
憑き物落としで神主と手を組む等、もってのほかと座主は、一度はねのけたのだが、金子は欲しい。寺の改修工事が近に来ているからね。なまぐさだが一応、ここの坊主のはしくれ。世話になっている手前、その役目をかってでたのさ。
「では、精進潔斎をしますゆえ、三日三晩、時をくださいまし」
「お引き受け頂けるならば、待ちましょう」
ふふ。こう見えてもなまぐさ坊主はね。陰陽道も少しばかりかじっていた。だから備えに備えたよ、神主に憑いてる穢れがそら恐ろしかったからね。何をしてきたのか。
私達は向かったのだよ。件の屋敷に。
築地の大穴の前に祭壇を組み、その前で幣を大仰に振り祝詞を上げる神主。場に駆けつけた大臣家の者達。牽牛を取り返せねば、家運衰退と思っている顔をしていたね。
とぽとぽと御神酒を地に撒くと私に目配せ。
「では。お牛様を探しに、行ってまいりまする」
私達は入ったんだよ。件の屋敷の内に。
グブウ、グブウ、グブウ、グブウ……ガマが腹膨らませ鳴く。
夏草が伸び放題に四方八方に暴れる中を、神主が懐から取り出した小太刀でバッサバッサと刈り、ぼちぼち進んでいると……、時がぐにゃりと戻った気がしたのだよ。
グブウ、グブウ、グブウ、グブウ……ガマが腹膨らませ鳴く。
『けんぎゅう、もうかえろ』
おや。視えたよ。私は立ち止まる。声を立ててはいけない。過去と交わってしまった。私は無言の術を己に掛ける。数珠玉をクルクル回す。
神主は何やらつぶやきながら、ゆるりゆるりと進んでいる。
「けんぎゅう、もう腹いっぱいだろ、ここ。草いっぱいだから。明日もここに連れて来るから、帰ろう」
手綱をしっかりと握る牛飼い童がいる……。角を地面に突くように上下させ、いじましく草を喰む黒牛。
「ん?けんぎゅう。くさ、食べてたんじゃ。何なめてるの?」
牛飼い童が地面を舐めるような動きをしている、牛の口元を見ようとしゃがみ込むと……。
『うわぁぁぁぁ!ガイコツなんか、なめちゃだめだよ!けんぎゅうぅ!帰ろう!はやくぅぅう!うごいてぇぇぇ、ねえ、うごけぇぇぇ!かみさまぁぁ!ほとけさまぁぁ!たすけてぇぇ』
天に助けを求める子の声。
『ンモォォォォォォ!』
吠える牛。そして首を上下左右に激しく振り出す。手首にしっかりと手綱を絡めていたのだろう、体躯の軽い牛飼い童は振り回され、手の骨が折れたのか、悲鳴を上げ続けている。
『イタイイタイ、痛い痛いよぉ!けんぎゅう!と、とまってぇぇ、ぎゃぁぁぁ!イタイィィあー!!』
断末魔とはこのことか!牛飼い童がブンと真紅に糸引き空に放り出されたよ。手綱が切れたのかと思いきや、腕が千切れてしまったのか!
ドサリと草むらの中に消えた牛飼い童。
ダンダン!ダンダン!
地面を激しく蹴る牛の足元を見れば……。
骸骨がある……、あ。こちらが混ざる。クソ!神主のやろう、やっぱり視えていないのか。とんだ詐欺師だな。どんどん近づいていって。どうする。止めようか、いや動けん。無理だ。
フゥ……、フゥ……、フゥ……。
牛が苦しみだした。ガクガクと震えている……。眼の前の展開から目が離せないとはこのこと。
フゥ……、フゥ……、フゥ……。
前足を窮屈に折り曲げ、首筋を地面にゴリゴリ、ズリズリ……、幾度も幾度も、擦りつけている牽牛。奇妙な動きを繰り返していると……。
『ンモォォォォォ!!』
牛も嘶くのか!馬のように後ろ脚で立ち上がると、夕暮れ色した空に首を伸ばした!そして。
ブチン!
奇妙な音が大きく響く!
ズシャァァ……ズシンンン……ボトボトボトボト。
グブウ、グブウ、グブウ、グブウ……ガマが腹膨らませ鳴く。
「おお!こ、これは。お坊様、お坊様!哀れな髑髏が!こちらに来てくださいまし!」
気楽な神主が、地面から半分姿を出している髑髏を見つけて、その場にしゃがみこんでいる。
彼の……、真上に浮かぶ、目を真っ赤に染めた牛の首から、ボトボトと血の滴が神主に降り注いでいる。
ヒュゥイ、スゥゥイ。
牛の首が上下に動く。駄目だ。喰われる。カタカタと歯が鳴る、ガクガクと体が震える。ズリと足が来た道に戻ろうと勝手に動く。
グブウ、グブウ、グブウ、グブウ……ガマが腹膨らませ鳴く。
「この髑髏が怪異の元か……。お牛様は何処に?これだけ広い屋敷跡だと、何処かでお過ごしなのか。水も草もあるし……。お坊様!こちらに来て、読経のひとつを!我はお牛様を探しに向かわねば!」
頭から牛の血を浴び、顔は赤い糸が引き水干はドス黒く染まっている事に気づかない神主は、やはり私の卦は正しかった。僧侶を連れてきて正解。ブツブツつぶやいている。
ヒュゥイ、スゥゥイ。
牛の首が神主の耳元に近づく……。目がクニャリと笑う。
ベロリと舌を出した。ベロリとくねらす。くねらす、くねら……!大蛇のように長々と伸びる伸びる伸びる!
グルン……、クルン……、無防備な無能な神主の首に、ズルリと伸びた舌が絡まる。ボトトと糸引き落ちる、涎が神官の血に染まった水干に染み込んで行く……。
「お坊様?」
牛の目が嗤う。
私はそれ以上見ることが出来なかった。踵を返すとそのまま、一目散に逃げ出したのだ!
……、おんぼうぢしったぼだはだやみ、おんぼうぢしったぼだはだやみ、おんぼうぢしったぼだはだやみ。発菩提心真言を必死に口の中でモゴモゴ唱え……、後は思浮かんだままに……、
おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん、 おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん、 おんあぼきゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん……
グブウ、グブウ、グブウ、グブウ……ガマが腹膨らませ鳴く。
ふぐぇぇぇぇぇ!ぇぇぇぇぇ!!
ガマが握られ潰される時に発する様な声が……!ボキベキ……振り向いてはいけない!止まっては!
髑髏が何かはわからない。
だだ、悪しきモノだけなのだろうとは辛うじてわかった。牛と縁がある、この世に恨み辛みを抱いている者の成れの果てなのか。
ドサリ……、ボチャボチャボチャ。近くて遠い場で牛と同じく己の首と別れを告げた、胴体が落ちて崩れた音、血が流れる音が……。
クチャクチャ、コリコリガリゴリ。
何かを……、咀嚼する音が。
「ンモォォォォォ!……ヒヒ!」
人間の満足そうな嗤い声が……。
グブウ、グブウ、グブウ、グブウ……ガマが腹膨らませ鳴く。
「それで。どうなったのだ」
私は友に問う。
「穴を潜りこちらに戻っただけだ。外で待つ者達に、時間がかかるゆえに出るよう言われたと告げた。明日の朝来るようにと……」
そう話すと、友はひと息に赤錆色の茶を煽る。
「私は皆が帰ると……、用意していた札を築地に貼った。中に入っても、あの場へと向かえぬ様に」
「何故」
カナカナカナ……。開け放した濡れ縁からひぐらし。
「アレは……、これ以上喰ったら、贄を求めて外に出ると踏んだからだ。曲りなりにもカスカスだが、霊力を持つ血肉を喰ったし……。ほとぼりが冷めたら。帝からの賜った牛を求めてきっと、入るだろう。殿上人は」
「その呪符はいつまで持つのだ。それに髑髏は、何なのだ?何処の奴なのだ?何故、首だけになったのだ?牽牛は……」
腑に落ちない私は矢継ぎ早に問うたのだか。
「さあ。わからぬ。ただ……。呪符の効力は……」
「それほど、強うは無い。私は半端者だしな」
空の湯呑をくるりと回しポツリと呟く出家をした、私の友。
カナカナカナ……。深山を震わせる様な、ひぐらし。
終。
お読み頂きありがとうございました。
書いてて久しぶりに怖かったのです。
なので日中に投稿済ましておくのです。
( ゜д゜)ハッ!
ひぐらしがカナカナカナと。なきはじめました。
追記。
ウシガエルから、ガマに変えることにしました!
(やっぱり時代はガマだわ。)