7:主従関係
※これまでのあらすじ
不慮の事故で女体化したので、原因を突き止めるためにメイド希望することにした
フィンケルの診療所にリュンクスが送り込まれて数時間、既に日は高く昇っていた。
「いい加減起きろ。もう昼になるぞ」
「起きてるよ」
ベッドの上で惰眠を貪っていると思っていたが、フィンケルが声を掛けるとリュンクスはすぐに身を起こした。寝ぼけ眼という訳でもなく、長いまつ毛を持った目は大きく見開いている。
「いきなり知らない男の家でぐうぐう眠ったと思えば、やたら寝ざめはいいし、よく分からんな君は」
「あーしはあんまり熟睡しないタイプでね」
そう言って、リュンクスは身軽にベッドから降りる。リュンクスは夜盗としての活動期間がほぼ人生と言っていい長さなので、感覚が野性動物に近い。浅い眠りを何度も繰り返し、とっさの危機に即座に対応出来るように身体が馴れている。
「そろそろアドニスが戻ってくる頃だ。最低限身なりは整えておけ」
「身なりって言われてもなあ……」
そう言って、リュンクスは改めて自分の全身を見直す。細身だが出るべきところはしっかりと出ている。理想的な体型の女性である。問題は女性じゃないところなのだが。
「それよりもあーし腹減ったよ。なあ、何か食べさせてくんない?」
「……図々しい女だ」
「女じゃねーし!」
フィンケルは溜め息を一つ吐きながらも、倉庫からリュンクスを連れ、本宅へと招き入れた。フィンケルいわく、医療助手や最低限の清掃員は必要に応じて雇っているらしく、基本的に一人で暮らしているらしい。
「俺は騒がしいのが嫌いでね。だから食事も自分で用意しているんだが……って、半分は俺のなんだが」
「えっ? あんたこれっぽっちしか食べないの!?」
トーストと紅茶、それにドライフルーツを二人分用意してくれたのだが、ろくに喋らないうちにリュンクスが一気に食いつくしてしまった。フィンケルとしては二人分よりかなり多めに用意したのだが。
「……それだけの食事を摂って今の体型が維持出来るか、定期的に身体測定をやらせてくれ」
フィンケルは食事を抜く事も多いので別段気にしないが、それよりもこの小柄な身体のどこに今の大量の食物が消えたのか興味がある。
「さて、それはさておき、アドニスが来たら俺の方から君をメイドに推薦するが。くれぐれも言っておくがトラブルは起こさないように。そもそも採用されるか分からんがな」
「うぅ……分かってるよ」
話題を切りかえられ、リュンクスはしぶしぶといった感じでうなずいた。月光薬を手に入れるために仕方ないとはいえ、やはりメイドとして働くというのは抵抗がある。
「……来たようだな」
それからしばらくの間、食事をした部屋でフィンケルは窓際で本を読んでいたが、不意に本を閉じた。そして、窓の外を眺め、リュンクスもそれにならう。
「ついて来い。君の売り込みタイムだ」
フィンケルがさっさと先に出ていってしまったので、リュンクスも慌てて追いかける。そして、フィンケルがドアを開けると、目の前にはちょうどアドニスが立っていた。
「ちょうど今ノックをする所だったんだが。君はいつも鋭いな」
「単にお前が目立つだけだ」
アドニスが柔和に笑う。フィンケルの方も無愛想な返事ではあるが、悪意が籠っている感じは無い。
「ところで、あの子、リュンクスの容体はどうなんだ? 大きな怪我や怯えていないといいのだが」
「怯えてる訳ないだろ! ここにいる!」
言うが早いか、リュンクスは壁の影から飛び出してきた。アドニスは騎士団長――つまり盗賊を処罰する側なので本能的に警戒していたのだが、たまらず飛び出してきてしまったらしい。
「……まあ見ての通りだ。すこぶる健康体だよ」
「そうか。それはよかった」
本当によかったという感じで、アドニスは笑みを浮かべる。恐らく昨夜からずっと働きづめだろうに、見ず知らずの人間を気遣えるのは大したものだとリュンクスは少し感心した。
「昨日の討伐から報告までの間、少しは休めたのか?」
「いや、あいにくそんな暇は無くてね。どうやらこの国は僕を過労死させたいらしい」
アドニスは軽口を叩く。恐らく普段から働きづめなのだろう。馴れてはいるが疲れの色は隠しきれないといった感じだ。
「なら、丁度いい補助道具があるんだが。購入してみないか?」
「補助道具?」
アドニスが首を傾げると、フィンケルはリュンクスの背中に手を回し、アドニスの前に突き出した。
「この子をメイドとして雇ってはどうだ。お前の家で今、メイドを募集中だっただろう」
「確かに人は探しているが……メイドというのは結構重労働だぞ」
アドニスは少し困惑しているようだ。アドニスの家では確かに現在メイドを募集しているのだが、家の関係で普通のメイドよりも体力を求めている。なかなか見合う人材がいないので困っている状態だ。
リュンクスは確かに若く健康かもしれないが、女性の中でもかなり小柄な部類だ。
「まさかあんた……あーしを見くびってるんじゃないだろうな? 言っておくけど、体力には自信あるぞ」
「そうは言ってもね。うちは騎士の家だから扱うものも重いし……って、うわっ!?」
不意を突くように、リュンクスは姿勢を低くしてアドニスをお姫様抱っこした。アドニスの方が頭一つ分以上背が高い上に、軽鎧まで見に着けている状態でだ。
「どーよ?」
驚いた表情のアドニスを、リュンクスが得意げに見下ろす。そしてすぐに地面に下ろし、三回バック宙をして、元の位置に戻った。
「……驚いたな。大した身体能力だ」
「へへ、そりゃどーも」
「とまあ、体力に関しては群を抜いている。それに、特に行く場所も無いらしい。何かの縁だと思って拾ってみるのもいいかもしれないぞ。いらなければ捨てればいい」
「人を物みたいに言うんじゃない!」
フィンケルがさらっと鬼畜発言をしたので、リュンクスは思わず言い返す。その様子がおかしかったのか、アドニスはぷっと吹き出す。
「はは、すまないね。フィンケルは昔からそういう物言いをする奴なんだ。ただ、いい奴だし腕は一流だよ。彼がそういうのなら、そうだね。君を拾ってみようじゃないか」
「本当か!?」
アドニスの言葉にリュンクスはぱっと表情を輝かせる。ころころ変わる表情を見ていると、不思議とアドニスの疲れも癒されていくようだった。
「どちらにせよ、ゴライアスも言っていたが君の事はある程度は保護するつもりだった。なら、しばらくの間うちでメイドとして働いてもらうとしよう。もちろん仕事に応じて給金は出すよ」
「へへ、ありがとさん」
礼を言ったリュンクスの後頭部に、フィンケルがチョップを叩きこんだ。
「なにすんだー!」
「ありがとうございます。ご主人様だろうが」
口の利き方がなっとらんと言いたかったらしい、リュンクスはフィンケルを睨みつけるが、アドニスは再び爆笑した。
「ははは! 別にそんなに堅苦しくする必要は無いよ。ただ、僕は構わないけど、客人のもてなしの時は困るかな。でも最初はそんな仕事は任せないから、徐々に慣れていけばいい」
「う~……」
そもそもメイドとして働くのはあくまで手段であって目的じゃないのだが、当面はアドニスの家に仕えるしかなさそうだ。だとしたら、ここで雇い主の機嫌を損ねるのは得策ではない。
「……ありがとうごぜーます。ご主人様」
「ああ、こちらこそよろしく頼むよ」
リュンクスはしぶしぶ、彼女なりのかしこまった挨拶をした。
この日、リュンクスは貴族社会に一歩だけ脚を踏み入れることとなった。