6:メイド
騎士団長アドニスの元でメイドをやれ。フィンケルの謎の提案にリュンクスは一瞬固まる。そして、すぐに激昂する。
「なんであーしがメイドなんかやらなきゃならんのだ!」
「極めて合理的な提案だと思うがね」
声を荒げるリュンクスに対し、淡々とした口調でフィンケルが返答をする。
「アドニスは騎士団を束ねると同時に、この国では公爵家の人間でね。さっきも言ったが、月光薬は貴族間で使われる事がほとんどだ。アドニスの所に所属すれば、末端も末端だが君は公爵家の一員となる」
「一員っても、ただのメイドだろ?」
「確かにそうだ。だが、アドニスは職業柄、王城に出向いて国王や王子といった一流どころと触れ合う機会も多い。君がアドニスの従者として付いていく可能性もある」
「……なるほど。街で仕事するよりは情報が仕入れやすいってことか」
「そういう事だ。それとも、街の居酒屋で飲んだくれの親父相手に、尻や乳でも見せながら小銭を稼いだ方がいいかね?」
「冗談じゃない! でもメイドはちょっと……門番とかじゃダメ? 腕っ節はそれなりに自信があるんだけど」
「その見た目で門番希望で通ると思うか? 俺なら笑うぞ」
フィンケルに言われ、リュンクスは改めて自分の身体に目を落とす。元々男性としては細身で小柄だったが、薬の影響でさらに小柄になってしまった。背丈だけでもフィンケルとは頭一つ分は違う。
その割に胸は大きくなるし、肉付きも全体的にもちっとした感じになってしまった。まだ試していないが、男のときと同じ動きをするのは難しいだろう。
それ以前に、屈強な筋肉ダルマの男と、ほっそりとした小鳥のような乙女のどっちを門番に置くかという話である。その事を想像し、リュンクスは歯噛みする。
「ちっきしょう! どこの誰だか分かんないが、くだらない薬作りやがって!」
「だからその薬の出所を調べる道で、現状最短なのがアドニスのメイドになる事だと言ってるだろう。口利きは俺がしてやる」
「なあ、ちょっといいか?」
「……何だ?」
リュンクスにはさっきから疑問に思っている事があった。少し危険だが、今のうちに確認しておかねばならない。
「あんた気付いてるんだろ? あーしが盗賊の一味だってこと」
「当たり前だ。あの話の流れで気付かない訳が無いだろう。アドニスは状況証拠しか見ていないから分からんだろうがな。安心しろ、誰にも言わないでおいてやる」
とりあえずリュンクスの疑問の一つは解けた。状況的にアドニスはリュンクスが囚われのいたいけな少女だと思っても仕方ないが、フィンケルには盗賊団の事を一通り話している。
月光薬を盛られて女になったのだから、リュンクスは男として盗賊団のアジトに居たことになる。となれば、盗賊団の揉め事と考えるほうが普通だ。
と、さらにもう一つ疑問が湧く。
「じゃあ、なんでわざわざアドニスの所にあーしを送り込むんだ? だってどっちかというと敵側の人間だろ? あんたはアドニスの友人じゃなかったのか?」
「理由はいくつかあるが、君はこの提案を断らない……もとい断れないという事が一番だな。アドニスの元でおとなしくしていなければ被害を被るのは君だ。それすらも思いつかず提案を断るほどの馬鹿なら、そもそもアドニスの脅威にならん」
「ふーん、信頼してるんだな」
さらっと言い放ったが、フィンケルはそれだけアドニスを買っているという事だろう。舐められているようで少し面白くないが、現状ではこの提案に乗るのがベストだろう。
「……分かったよ。メイドでも何でもやるよ。その代わり、ちゃんと月光薬の材料取ってきたら作ってよな」
「理由の二つ目はそれだな。月光薬は非常に貴重な代物だ。精製する機会など滅多にない。医師として非常に興味深い」
「てめぇ……興味本位であーしを利用する気か!」
「それくらいのメリットがあってもいいだろう。世の中は等価交換だ」
「うぅ~……ムカつく! ムカつく!」
リュンクスは地団太を踏んで悔しがった。完全に流されるがままになっているが、これ以外に選択肢が無いのが腹立たしい。
「覚えてろよ。このリュンクス様が受けた屈辱は百倍にして返す!」
リュンクスは、誰だか分からないが、月光薬を手配した存在を最大の敵と認識した。今は地べたに叩き落とされたが、絶対に這い上がって復讐する。そう決めた。
「決意が固まったようで何よりだ。俺は外で一服してくる。朝にはアドニスも戻るだろうから、話はそこからだな。ああ、俺がいない間に部屋の物は弄るなよ。医療器具を壊されでもしたらたまらんからな」
「壊すか!」
リュンクスは不満げにそう言うと、診察用のベッドにさっさと潜り込んでしまった。そして、そのまますぐに寝息を立てた。
「図太い女だ」
呆れたようにそう言って、フィンケルは外に出ると、後ろ手にドアを閉めた。そのままドアに背を預け、白衣の内ポケットに仕込んでいた葉巻をくわえる。フィンケルは魔力を扱えるので、調整次第でほんの少しだけ炎を出す事が出来る。
自衛するほどの火力はないが、これだけで充分すぎるほどの恩恵を受けている。
「……面倒な事になったな」
夜空に向かって煙を吐きつつ、フィンケルは眉間にしわを寄せてそう呟いた。
リュンクスには大まかにしか伝えていないが、月光薬はリュンクスの想像以上に重大な役割を担っている。
記憶と能力はそのままで性別を変えてしまう薬である。政略結婚の道具として使えば、これ以上ないほど強力な切り札となる。今回のリュンクスのように、都合のいい一般人を存在しない貴族の娘や息子と偽って送り込む事だって可能だ。
「誰が何の目的でそれを仕込んだのか……分からんな」
変態貴族の道楽という言葉を混ぜたが、可能性は限りなくゼロに近い。良質な月光薬を用意出来る程の立場の何者かが、何かの目的を達成するために調達したのだろう。
相手側の誤算は、輸送中に腕利きのいる盗賊団に馬車が襲撃され、さらにリュンクスに投与されてしまったことだろうが、何が狙いなのかはっきりしない以上推測でしかない。
「いずれにせよ、国の根幹にかかわる何かだろうが……」
フィンケルはひとりごちながらあれこれ考察するが、どれもしっくりこない。リュンクスをアドニスの元に送り込むのは、はっきり言って試金石だ。
月光薬がリュンクスに投与されている事が分かれば、元々使う予定だった何者かが動く可能性がある。そうでなくとも、既に国の中で立ち位置を固定されているアドニスや自分たちより自由に動けるだろう。
「理想を言えば、あの盗賊お嬢様がシンデレラ街道を歩み、上位貴族と接触出来ればいいのだが……ま、無理か」
自分で言っておきながら、フィンケルは苦笑する。外見だけならフィンケルが見てきた中でも最上位クラスだが、淑女の対極の位置にいるような女だ。というより、元々女ですらない。
とはいえ、あの奇怪な盗賊メイドはある程度波乱を起こしてくれるだろう。その時、何かしらの情報をキャッチできれば儲け物だ。
「ま、上手い事アドニスに使わせてやるとするか」
葉巻を半分ほど吸い終わると、フィンケルは残り半分を宙に投げ、そのまま魔力で燃やし灰にした。あと数時間もしたらアドニスが戻ってくる。それまで、フィンケルはあのメイド希望の凶暴女を売り込む文句を考えることにした。