5:月光薬
「あーしは本当に男なんだ! 見れば分かるだろォ!?」
「見れば見るほど女にしか見えんが」
リュンクスの痛切な訴えを、医師フィンケルはばっさり切り捨てた。
愛くるしい少女の姿をしていたら説得力など皆無なのだから仕方ない。
「本当なんだって! 胸だってほら……あった!」
なんとか男としての自分を表現しようと、リュンクスは服の前をはだけさせた。しかし、そこにはふんわりまんまるお山が二つ、しっかりと自己主張していた。
「錯乱しているな……少し落ち着きたまえ」
「うう……あーしは本当に男なんだ。盗賊団のアホどもが変な薬を盛ったせいでこうなったんだ!」
「変な薬?」
悔し涙を浮かべるリュンクスの言葉に、フィンケルが少し反応する。
「その薬、匂いや味はどうだった?」
「何も無かった。あったら気がついてる」
「……なるほど。君の話、あながち嘘でもないかもな」
「は?」
フィンケルの態度が急に変わったので、リュンクスは逆に面食らう。
「改めて触診をする。今度はさっきと違って本格的に触れるが、本当にいいんだな」
「お、おう」
リュンクスが首を縦に振ると、フィンケルは倉庫に備え付けてあるベッドにリュンクスを寝かしつける。それからフィンケルは精神を集中させるように目を閉じた。
すると、彼の手のひらに淡い光が纏わりつく。
「ん? 魔力でも使うのか?」
「ああ、探知を使う。体内の状況を透かして把握する魔法だが、君の身体に起こっている事を調べる」
そう言って、フィンケルはリュンクスの身体に手を伸ばす。先ほどは手先や背中程度だったが、今度は胸元にも遠慮なく手を伸ばしている。
「な、なんか触り方がやらしーぞ」
「騒ぐな。女体になったのなら重点的に調べねばならん部位だ」
「……早くしろよ」
リュンクスはぷいっとそっぽを向く。ついさっきまで無かった部分をもにもに触られると、何だか妙な気分になってくるので早く終わらせて欲しい。
「……なるほど。君の言っている事はどうやら本当らしいな」
「はぁ……やっと信じてくれたかインテリ先生」
「フィンケルだ」
名前を間違えられて若干いらついたのか、ぶっきらぼうにフィンケルが答える。
触診を終えた後、手のひらの魔力を抑えてフィンケルが椅子に腰を下ろす。魔力は体力と同じで消耗するので、額にはうっすらと汗が浮かんでいる。
「身体からごくわずかに魔力が感知できる。君が本来魔力を持っていないとすると、魔力を付与されて肉体が変化したということだ。恐らくは月光薬だな」
「げっこうやく?」
ベッドから身を起こし、リュンクスがオウム返しに聞き返す。
「貴族の間でごくわずかに取引される薬だ。効果は君も体験したとおり。後天的に性別を変換するというものだ」
「なるほど。さすが医者だ。詳しいな。どうすれば治せるんだ?」
「治せんな」
「…………は?」
リュンクスは一瞬固まった後、空気が抜けるような返事をした。
そして、少し経ってからものすごい速度でフィンケルに詰め寄った。
「ふざけんな! あんた医者だろ! 原因も分かってるのに治せないとかヤブ医者か!」
「残念だが、俺の家系は昔から王都の中心で医者として活動している名門だ。俺自身もアドニスはじめ多くの患者を見ている。よって、君の言うヤブ医者という罵倒は当てはまらん」
「ムカつくなー……あんた」
「それはこっちのセリフだ。深夜に叩き起こされ、謎の野良猫を預けられてるんだ。本来なら時間外診療代を取るところだぞ」
リュンクスの悪態を軽く流し、フィンケルは事務的にそう述べた。
頭に血が昇っていたリュンクスもそれを見て冷静さを取り戻し、少し離れた椅子に腰を下ろして対面する形を取る。
「頼むよ。一生このまんまなんて嫌だよ。なんか治す方法とか本当にないの?」
「肉体的に男から女になっただけだ。病気でないのだから医学的に治しようがない。幸い、君はかなりの美人だ。適当な男を引っかけるくらい造作も無いだろう。まあ上位の男となると、それ相応の品性が必要だし君にそれは無理そうだが」
「いちいちムカつく言い回しはやめろ」
「事実を述べたまでだ」
相変わらずの無表情でフィンケルは呟くが、リュンクスからしたらそんな生活まっぴらである。
「まあ、元に戻る方法が全く無いわけではないが」
「あるんじゃん!」
「現実的でないから言わない方がいいと思っていた。聞くと多分後悔するぞ?」
「そこまで言われて、はい聞きませんなんて言う奴がいるか!」
リュンクスが不満げに言うと、フィンケルは深い溜め息を吐き、口を開く。
「さっきも言ったが、君の状態は病気ではなく魔力付与だ。医学的にはどうにもならない。だが、同じ魔力をぶつける事で相殺は出来る」
「つまり……どういう事?」
「月光薬をもう一つ手に入れろという事だ。あるいは、素材を揃えるだけでもいい。精製自体は俺が出来るからな。本体が手に入るのがベストだが、素材があれば作ってやらん事もない」
「ほんと!? さすが名医!」
「さっきヤブ医者と言ってただろうが」
「ごめん。謝るから。で、どこで手に入れればいいんだ?」
「言っておくが高額だぞ」
「金は何とかする。でも、具体的な金額が分からないと」
リュンクスがそう言うと、フィンケルは黙って立ち上がり、倉庫の雨戸を開く。
そして、リュンクスを手招きしたので、彼女は黙ってそれに従う。
「そうだな……あれを手に入れられるくらいの財力は必要だな」
「あれって……あれ!?」
「そう、あれだ」
窓の外のフィンケルの視線の先には、この国で一番大きな建物――王城があった。
夜の闇が深いのではっきりとは見えないが、魔力灯や松明で夜も照らされているので、その大きさは遠くからでもよく分かる。
「城じゃん!」
「先ほど伝えたが、月光薬は貴族の間で使われる薬だ。薬というより、魔力付与用の道具と言った方がいいかな。道楽で使えるくらい財力のある変態貴族か、あるいは政略結婚などで使う。性別が同じでは色々不都合が出るからな」
「えぇ……」
リュンクスは元々盗賊なので、金の工面に関してはある程度目星は付けられる。だが、さすがに国を傾けるほどの財力を一人で集めるのは無理すぎる。
「さらにもう一つ」
「まだ条件あんの!?」
無理ゲーを突きつけられているのに、フィンケルが追い打ちを掛ける。鬼畜である。
「君に使われた月光薬はかなり上質な代物だろう。先ほどの探知で分かったが、君は完璧に女性化している。表面だけ女になったり、身体は女だが顔は男のままという粗悪品もあるんだ。用意した貴族はさぞかし気合を入れていたのだろうな。だから城レベルの財力だと言っている」
「そんな気合入れなくていーよ!」
「俺に言われてももう遅い。投与はされてしまったのだからな」
フィンケルからすれば他人事なのでさらりと言うが、リュンクスからしたら悶絶である。
どこの変態だか分からんが、余計な事に気合入れやがって。
「分かった、分かったよ! なんとかしてその薬か素材、もしくは買えるだけの金を持ってくればいいんだろ!」
「言っておくが、俺は盗品の類は受け取らんぞ。協力はするが共犯はしない」
「分かってるよ」
忍び込んでなんとか月光薬をぶん捕っておしまい、という訳にもいかないようだ。
リュンクスは頭を抱えたが、ここでこうしていても仕方がない。
「しょうがない、明日になったら街で仕事探すか……」
リュンクスはがっくりとうなだれた。肩を落とすと胸が重力に引っ張られ、精神的にも物理的にも重い。今まで盗賊稼業で生活をしてきたが、冷静に考えたら贅沢はした事が無かった。
あまり貯蓄やカタギの仕事に縁は無いが、金が必要ならば貯めるしかないだろう。
リュンクスがそう考えていると、フィンケルが苦笑する。
この男が笑うのを初めて見たが、リュンクスは綺麗に整った顔をしかめる。
「なんだよ。人が真面目に考えてるのに」
「いや、それは大変結構だが、街中で働いて城が手に入るほどの金が手に入るなら、この国の住人はみな城に住んでいるんじゃないかなと思ってな」
遠まわしに馬鹿にされ、リュンクスは腹が立ったがこらえた。
フィンケルの言っていることはごもっともだからだ。
「じゃあどうすりゃいいんだよ! ちょっとずつでも貯めるしかないじゃん!」
「まあそれはそうなんだが……少しだけ短縮できる可能性もある」
「ほんとか!?」
フィンケルの言葉に、リュンクスはぱっと表情を輝かせる。
さすがは医者。頭がよく回るとリュンクスは感心した。
「君はアドニスの所でメイドをやるといい」
「……は?」
フィンケルの言葉に、リュンクスの表情が一気に曇る。
何言ってんだこいつ。頭おかしいのか。