4:医者
エトリア王国――国としての規模は中堅といったところだが、周囲を山脈に囲まれた天然の要塞に加え、精強な騎士団を持っているため、立ち位置としては悪くない国である。
とはいえ、その険しい山を根城にする盗賊団も多く、リュンクスもいちおうそこに所属している。今回は街から比較的近い場所であったのと、盗賊団の討伐が想像以上に早く済んだので、日が変わる頃にはリュンクス達は街に到着した。
「想定よりも大分早く辿り着いたな。ここからは徒歩で大丈夫だ。ゴライアス、お前達はまず城の方に経緯の報告を頼む。僕も後から向かう」
「承知しました。団長はその子をお医者先生のとこに連れてくんですかい? だったら馬車で行った方が……」
「いや、この馬車は国の物だ。途中で寄り道をする訳にもいかない。本来なら僕が報告に向かうべきなのだが、この子を預かると決めたのも僕だからな」
そう言って、アドニスはリュンクスの方に視線を向ける。騎士団長であるアドニスは責務を全うしなければならないが、リュンクスを保護するという決定を下した以上、そちらにも義務が発生すると考えている。
まずは国からの優先事項である盗品の回収、および盗賊団の引き渡し。これらを副団長のゴライアスに委任し、細かい報告は後で自分が駆け付ける形するようだ。
「というわけで、君と僕で徒歩で向かうことになるが、リュンクス、君はそれでいいかな?」
「別にいい」
リュンクスからしたら情報を仕入れるために医者に行くのがメインだ。別段この程度の傷はどうという事もない。リュンクスの了承を得ると、アドニスとリュンクスを街の一角に下ろし、騎士団は城の方へと馬車を進めた。
「あいにく深夜になってしまったが、ここは街中だ。山の中よりはずっと安全だし、僕がついているから安心してくれていい」
「ふーん」
アドニスの言葉を話半分に流し、リュンクスは辺りをきょろきょろ見回す。ほとんど森に籠ってばかりだったので、こういった街に出向いてくるのはあまり経験が無い。
既に真夜中なので酒場すらほとんど閉まっていて、辺りは夜の闇に塗りつぶされている。
その闇に抵抗するように、街灯が弱い光で照らしている。
普通の人間にとっては気休め程度の明かりだが、リュンクスにとっては充分すぎる光源だ。
「はは、街に来るのはあまり経験が無いのかな」
「うん、まあ」
適当に相槌を打ちつつ、田舎者丸出しという感じのリュンクスにアドニスは優しく笑いかける。
アドニスは馴れない場所で怯えていると思っているが、単に逃走経路を物色しているだけだった。
「さて、ではそろそろ向かおう。少し歩くけれど、大丈夫かい?」
「問題ない」
アドニスに先導され、リュンクスはその後をついていく。
石畳の上をこつこつと歩く靴の音だけが響き、その間、二人とも無言だった。
そうして二十分ほど街中を歩き、二人はある屋敷へと到着した。
「ここだよ。ちょっと癖はあるけれど、腕は確かだ。僕もよく世話になっている」
「真っ暗だけど、入って大丈夫なのか?」
「平気だよ。多分まだ起きてる」
勝手知ったる我が家のように、アドニスは入口の鉄の扉を開く。
ドアの先には周りの家にはない庭園があり、ここの住人が周りより裕福な生活をしているのが見てとれた。
整備された庭園の奥には大きな石造りの家があり、そこから少し離れた場所には二まわりほど小さな四角い建物があった。アドニスはそちらの方に足を向ける。
「あっちのデカい家の方じゃないのか?」
「ああ、あっちは診療所兼自宅だよ。あいつはもっぱら倉庫のほうにいる事が多くてね」
どうやらアドニスが向かっているのは倉庫の方らしい。とはいえ、それなりの大きさがある建物だ。
倉庫と呼ばれた建物は木製のドアがあり、アドニスはその扉をノックした。
すると、少し間を置いて、その扉が開かれる。
「誰だこんな夜中に……っと、やはりお前か」
不満げな表情で姿を現したのは、白衣に身を包んだ、背の高い男だった。
細身だが鍛えられたアドニスと違い、運動が得意そうには見えない。
だが、鴉の濡羽色の黒髪と、鋭い目つきのせいか弱弱しい印象は全く無い。
「夜分遅くすまない。診て欲しい用件があってね」
「盗賊達を討伐しに行ったんだろう? 怪我でもしたのか。一応そのために待機はしていたから問題は無いが」
二人の口ぶりからお互い顔見知りなのだろう。年齢もお互い二十代の同世代に見える。
ちなみにリュンクスは本人の覚えている範囲では十五、六くらいだ。
「僕は問題無い。別の子をお願いしたい」
「なんだ? 猫でも拾ったのか?」
「ああ、ちょっと怪我をしている子猫さ。少し怯えているから優しくしてやって欲しい」
アドニスが後ろを振り向くと、少し離れた暗がりにいるリュンクスを見た。
リュンクスは念のため距離を置いて警戒していたので、怖がっているように見えなくもない。
「なるほど。なかなか警戒心の強い野良猫だ。心配するな、俺はフィンケル。偉大なる騎士団長アドニス様のお抱えの医師だ。別に君を解剖したりはしない」
フィンケルと名乗った医者は淡々とした口調で呟いた。
「……すまない。無愛想だが、これでもこいつなりに冗談を言ったつもりなんだ」
アドニスがフォローを入れた。どうやらフィンケルはあまり愛想のいいタイプではないようで、一応リュンクスに対して冗談を言ったつもりだったらしい。
だが、冷静かつ無表情なのでむしろ凄味がある。
「リュンクス、すまないが僕はそろそろゴライアス達に追いつかないといけない。今夜は診療がてらフィンケルの家に泊まってもらいたい。明日、また改めて会いに来るよ」
「分かった」
明日の朝までここにいるつもりは無かったので、リュンクスはあっさり肯定した。
アドニスは厄介だが、さすがに医者一人に遅れを取ることはないだろう。
情報さえ聞き出してしまえば、後はさっさと逃げ出せばいい。
「フィンケル、彼女の事をよろしく頼む。お礼は後でする」
「分かったよ。念のためお前の診療のために起きていたんだ。乗り掛かった船だ」
突然の申し出にフィンケルは嫌な顔一つせず了承した。
といっても、さっきからずっと表情が変わらないので、嫌がっているのかはっきり分からないのだが。
アドニスはぺこりと頭を下げ、リュンクスの背を軽く押してフィンケルに近づけた後、風のように走り去っていった。
「他の団員達に走って追いつくつもりか? あいつ」
「いつもの事だ。あいつはたまに俺の所に怪我人を連れてきてな、自分は後から走って馬車に追いつく。討伐後で自分も動き回った後だというのに、馬鹿な奴だ」
フィンケルはそう答えたが、その口調は馬鹿にしている空気は一切無かった。
そしてちらりとリュンクスを見た後、顎でしゃくって建物の入り口を向く。
「入れ」
そう言って、フィンケルはさっさと背を向けて部屋の中に引っ込んだので、リュンクスも慌ててその背を追う。
建物の中は魔力灯と呼ばれる、魔力を籠める事で明かりを灯す道具が置かれていて、昼のように明るかった。高額な品ではあるが、魔力が無いと使えない。
「あんた、魔力持ちなのか?」
「ああ、一応な」
リュンクスの問いに対し、フィンケルはさらっと答える。
この世界で魔力を持っている人間は特権階級に行きやすい。何せ、なかなか出回らない異能である。能力にもよるが、貴族は魔力持ちである事が多い。
そんな中で、住居は広いとはいえ、フィンケルが街医者をやっているというのは、リュンクスからしたら少し意外だった。
「ま、俺の事はどうでもいい。まずは怪我の具合を確かめなければな。少し身体に触れるが大丈夫か?」
「ん? ああ、別にいいけど」
「……意外と反応が無いな」
「……?」
リュンクスは首を傾げるが、フィンケルはそれ以上何も言わなかった。
触診をする際、フィンケルが若い女性を相手にすると、恥ずかしがったり、場合によっては喜ばれるという謎の反応をされるので、ここまで無頓着な奴は珍しい。
まあ仕事がやりやすいのは助かるので、フィンケルは彼なりに気遣いしつつ、リュンクスの全身の怪我を探っていく。
「ふむ、見た所、大きな怪我は無いようだ。だが、外見上は問題無くても、内部で出血していたりといった物もある。何か気になる事はあるか?」
「そう! そこなんだよ! そこ!」
さっきまで大人しくしていたリュンクスが急に大きな声を出したので、フィンケルは少しだけ目を見開いたが、すぐに元の無表情に戻る。
「どこか痛い場所でもあるのか? 場合によっては薬を処方するが」
「いや、痛い所っていうか……その、なんというか……」
そこまで言って、リュンクスは急に口ごもった。
「なんだ? 症状が分からないと対処のしようが無い。はっきりと言え」
フィンケルがそう促すと、リュンクスは覚悟を決め、拳をぎゅっと握る。
「実はあーし……男なんだ!」
沈黙。
少し間が空いた後、フィンケルはリュンクスの額に手を伸ばす。
「熱は無し。肉体的には問題無いが、脳に重篤な後遺症あり、と」
「何メモってんだー!」
フィンケルが同情するようにカルテに書きこみ始めると、リュンクスはその紙をひったくった。