2:保護
アドニスと名乗る青年がリュンクスを縛りあげていたロープを切った。
その直後、リュンクスは反射的に後ろに飛んで距離を取った。
「お前、何のつもりだ?」
リュンクスは警戒心を最大まで上げ、低い声……といっても少女になってしまったのでいまいち迫力が無いのだが、とりあえず問いただす。
向こうからすればリュンクスは盗賊団の一味だ。拘束を解いて有利にしてやる理由は無い。
自由に動けるようになったのはありがたいが、ここは洞窟の最奥部。リュンクスは壁を背後にしているが、袋の鼠状態なのは変わらない。
それに、ほとんどの武器は他の連中が持っていってしまった。近くにある道具箱を引っかき回せばナイフくらいは出てくるだろうが、騎士団員を相手にそんな事をしている余裕は無い。
(こいつ……隙がねえ)
ほとんど光源の無い洞窟に単身乗り込んでくるのだから、向こうもそれなりに夜目が利くのだろうが、リュンクスはそれ以上に目が利く。
目の前に立っている青年は長身痩躯の優男だ。剣など握らずに舞台にでも立っていたほうがお似合いの顔立ちで、ドレスでも着ていたら女性と間違えられるだろう。
にもかかわらず、まったくつけ込む隙が無い。平地であれば俊足を活かして逃げ切れるかもしれないが、洞窟という狭い場所、しかも自分は女にされている。
全身のバランスが男の時とはまるで違うので、後ろに飛んだ時も少しバランスを崩したくらいだ。この状態で目の前の男を撒ける自信が無い。
リュンクスは洞窟の隅でじっと貼りついていたが、ふと、おかしい事に気が付いた。
目の前の男は確かに油断をしていない。ここは敵陣なのだから当たり前だ。
けれど、不思議と敵意を感じない。それどころかこちらに同情するような困った表情を浮かべている。
「……よほど怖い思いをしたんだな。大丈夫、僕は国に所属する正式な騎士団だよ。ほら、胸元に印があるだろう」
そう言って、アドニスは胸当ての部分を指差した。銀で出来た胸当ての部分に、狼をあしらった紋章が刻まれている。この国の騎士団に伝わる刻印である。
「いや、そうじゃなくてなんで……あ」
そこでリュンクスはようやくピンと来た。
どうやらこの男、リュンクスを盗賊団に囚われた少女だと思い込んでいるらしい。
考えてみれば無理もない。アドニスがここに入り込んで来た時、リュンクスは拘束された状態で転がされていたのだ。しかも、男所帯に場違いな少女が一人だけである。
もしもリュンクスが先に縄抜けをして、武器でも持っていたらまた印象は違ったのかもしれないが、シチュエーション的には完全に被害者である。
だから、恐らくリュンクスがここまでアドニスを避けるのも、正体のわからない男がまた入りこんで来たと思い込んでいるのだろう。
アドニスは、まるで怯える子犬に接するようにリュンクスの警戒心を解こうとしている。だとしたら、ここは乗っておいた方が得だ。
「そ、そぉなんですぅ。あーしぃ、悪い男達に捕まって売り飛ばされそうになってたんですぅ。えへ、えへへ……」
リュンクスは強張った笑みを浮かべ、へたくそな女演技をした。自分を『私』と呼ぶと何かがへし折れそうな気がしたので、妥協案として『あーし』と名乗った。
それが今のリュンクスに出来る、男としての精神的な最終防衛ラインだった。
「……そうか。つらい目にあったね。幸い大きな怪我はしていないようで何よりだ。この中に他に仲間がいないか警戒していたんだが、誰も居ないようだね」
目の前に一番やばい奴がいるのだが、アドニスは全く気付く素振りは無い。
そりゃ洞窟の前でごつい男ばかりを倒し、残って縛られていた少女が一番の腕利きと考えろというほうが無理だ。
「ち、ちなみに何人くらい捕らえたんだ?」
「十五人。盗賊団の団長も含めたら十六人かな」
「全員捕まったんかい!」
リュンクスは思わずツッコミを入れてしまった。
「いや、ここは奴らの縄張りだから油断は出来ない。とはいえ、アジトの規模から見るにそれほど大集団ではないだろう。ほぼ殲滅出来た。他に部下を十名ほど連れてきているし、君の安全は保障する」
「さいですか……」
アドニスは冷静に分析しているが、メンバーの一員であるリュンクスは内心がく然としていた。まさか本当に正面切って騎士団に喧嘩を売って、全員捕まるとは間抜けすぎる。
あれだけ大見得を切った手前、部下全員に洞窟にある財産を全部捨てて逃げろなんて言えなかったのだろう。
それでも撤退するべきだったのだが、あわれな事に、リュンクスを追放した新生盗賊団は、結成から一時間も経たずに崩壊した。
(ま、いいか。どうせ元々長居する気も無かったし)
まさか女にされるとは思ってもいなかったが、リュンクスは一時的に雨風を凌ぐために間借りしていた。その対価代わりに働いてやっていたのだが、最近はどうにもきな臭い動きをし始めたので、見切りを付けるつもりだった。
後腐れが無くなったという意味では、このアドニスという青年に感謝しなければならないだろう。
「団長。連中の拘束が終わりました。全員馬車に押し込めました……って、その女の子は?」
リュンクスがアドニスと話していると、洞窟に大男が入りこんで来た。盗賊団の団長も大柄だったが、さらに巨体で、鍛え抜かれた岩のような男だ。アドニスを団長と呼んだと言う事は、恐らく部下なのだろう。
「ご苦労。この子は盗賊団に捕らえられていたらしくてな。もう少し遅れていたらどうなっていた事か」
「そうですかい。お嬢ちゃん、俺たちが来たからにはもう安心していいぞ!」
「はぁ、どーも……」
ごつい男がリュンクスの手を握ると、すっぽりと収まってしまった。
激励してくれているのだろうが、リュンクスからしたら敵がもう一人増えただけなので非常に困る。
「しかし、えらいすんなり片付きましたね。最近勢力を伸ばしてるって噂だったんで、うちらも結構警戒してたんですが」
「何があったのか知らないが、まさか真正面から突っ込んでくるとは思わなかったな。お陰で討伐まで出来てしまった」
アドニスが苦笑しながら部下にそう答えた。基本的に闇打ちがメインの盗賊団が、まっとうに鍛えている奴と打ち合って勝てるはずが無い。
その会話を聞いていたリュンクスだったが、ある事に気付き、アドニスに質問する。
「討伐までって、そっちがメインじゃないのか?」
「ん? ああ、実は国の上層部から緊急の依頼が出ていてね。盗賊団の討伐ではなく、奴らに奪われた物資の回収作業なんだ。真っ向勝負をする気は無かったよ」
やはりさっさと逃げておくべきだったのだが、わざわざ踏まなくていい虎の尾を踏んでしまったらしい。まあなんにせよ、リュンクスからすれば鬱陶しい連中が居なくなったのは助かる。
あとは一刻も早くこいつらから離れ、元の姿に戻る方法を探らねばならない。
「じゃ、じゃあ。用も済んだみたいだし、あーしはこれで……」
「待ちなさい」
そそくさと洞窟の外に逃げ出そうとするリュンクスの肩をアドニスが優しく掴む。
リュンクスは盗賊一味だとバレたのかと、思わずびくりと震わせたが、その様子を見て男に恐怖を感じたと思ったのか、アドニスは慌てて手を話す。
「すまない。怖がらせる気は無かったんだ。でも、ここはまだ盗賊団の縄張りだ。夜もふけている。一人で出歩くのは危険だよ」
「いやいや、あーしはほら、馴れてるんで」
「遠慮しないでいい。僕たちは弱きものを守ることも仕事だからね」
アドニスは腹立たしいほど爽やかな笑みを浮かべるが、リュンクスからすると非常に困る。何せ今はバレていないし愛着も無いが、盗賊団の一味なのだ。
「い、いや、そうは言っても、仕事の邪魔になるっていうか……そういうのあるじゃん?」
「そんな事を気にしていたのかい。それなら大丈夫。先ほども言ったけれど、僕達が命令されたのは奴らに奪われた物資の回収作業。つまり、ここにある盗品を国に持ち帰るんだ。そこには君も含まれている」
「……あーしが?」
「だって君はアジトに囚われていたのだろう。つまり、奴らの盗品だ。僕たちは君を安全に届る義務がある」
「なるほど! 団長、そりゃいいアイディアですぜ。とんちみたいだけど一応筋は通ってる」
横で控えていた大男が満面の笑みを浮かべる。
ちっともいいアイディアじゃねえよコノヤローと言いたかったが、リュンクスはなんとかそれをこらえた。
本来なら盗品だけ回収し、リュンクスのような明らかに出自不明の少女など放っておいてもいい。
だが、国からの命令に抱き合わせる形にしてしまえば、アドニス達は軍紀違反を犯している事にはならない。
アドニス達からすれば余計な荷物を抱え込む事になりメリットは皆無。それでも申し出たのは、彼らが百パーセント善意でリュンクスを救おうとしてくれているからだ。
こうまでされてしまうと、下手に断ったら余計に盗賊団との関係性を疑われる危険がある。
「……よろしくお願いします」
こうして、リュンクスはしぶしぶアドニス達に保護された。