10:公爵家の当主
リュンクスはマルティナの服を借りた上、彼女の部屋まで借りることになった。
「やっぱりいいよ。あーしは別に部屋なんか無くても外で寝れば」
「ダメったらダメ! さっきも言ったけど、あたし達はこの屋敷の使用人。あたし達がいい加減な振る舞いをすると、雇い主も舐められるの。だからちゃーんとメイドとしての作法は覚えてもらうから」
リュンクスは渋ったが、仕方なくマルティナの部屋まで付いていく。屋敷とは別の建物があり、どうやらそこが住みこみの寮になっているようだ。
建物は二つあり、男子と女子で別れている。リュンクスとしては男子寮に行きたいのだが、仕方が無いので踏み込む。建物自体は屋敷の本館より小さいが、むしろ本館よりも新しく見えた。
「住み込みの寮はアドニス様達のお父さま達が建ててくれたらしいのよ。だから、本家よりも綺麗なの。住み込みで働かせてくれる場所なんてなかなかないし、あんたラッキーよぉ」
マルティナはどこかうきうきした様子で解説してくれたが、リュンクスは居心地が悪い。あまりこういった人間らしい生活をした事が無かったし、そもそも女子と相部屋だ。
「あのさ……廊下とかで寝るとかじゃダメ?」
「くどい! 第一、なんでそんなに部屋に入るのが嫌なのよ。あ……もしかして、あたしと一緒が嫌とか?」
マルティナは急にしょぼくれたように、上目づかいでリュンクスを見る。
「そうよね……会ってまだ数時間しか経ってないのに馴れ馴れしいし。ごめんね。たまに注意されるんだけど、なかなか直らなくって」
「ち、違うってば!」
「本当?」
「本当」
マルティナは不安そうにしていたが、リュンクスが慌てて否定すると、ぱっと表情を輝かせる。
「よかったぁ。じゃあ、なんでそんなに嫌なの? 相部屋だけど部屋自体はとっても居心地がいいわよ。私物も非合法な物じゃなきゃ持ち込んでいいし」
むしろリュンクス自身が非合法な存在なのだが、それを自分から言う訳にもいかないのがつらいところ。
「だってほら……マルティナは女だし。あーしと一緒だと不安でしょ」
「なんで? 女の子同士じゃない」
「そ、そうだった!」
「大丈夫? 頭打ったとか、熱とかない?」
リュンクスは未だに女の身体になった自覚があんまり無い。平気で部屋に招き入れるマルティナに疑問を抱いていたが、冷静に考えたらリュンクスは女なのだ。
さらに言うと、パーツの一部を除いてはリュンクスの方がマルティナより小柄だし童顔だ。凄まれてもちっとも怖くないというのも拍車を掛けている。
「分かったよ。別に変な事とかしないから」
「……? あ! もしかしてそっちの人!? だ、大丈夫。あたしはリュンクスの事嫌いじゃないし!」
「は?」
マルティナは少し沈黙した後、急に顔を真っ赤にして大声で謎の解釈をした。リュンクスは首を傾げるが、何故かマルティナはそそくさと階段を昇っていったので、リュンクスもそれに追随する。
「ここがあたし達の部屋よ。角部屋でちょっと狭いけど、ベッドはギリギリ二つ置けるから」
マルティナの言う通り、他の開いている部屋と比べ、ちょっと狭めではある。ちなみにベッドは男子寮で余っている物を後で持ってきてくれるとのことだ。
「一階には調理場があって、各自好きに作っていいの。というより、あたし達自身の生活は基本的に自分達でやるの。あ、そうだ。調理場が混む前に何か作ってきてあげるわ」
「ほんとか!?」
「ふふん、こう見えてマルティナちゃんは寮の中でも料理がかなり上手いのです。といっても、今は時間が半端だし簡単な物しか作れないけどね」
「全然いいよ。腹減っちゃった」
「ふふ、じゃ、ちょっと待っててね。明日以降は手伝いしてもらうけど、今日は歓迎も兼ねてあたしがやるから」
そう言い残し、マルティナはぱたぱたと部屋を出ていった。そして、すぐに戻ってきて顔だけをひょっこり出す。
「あ、そうそう。頼んでたベッドが女子寮に届くかもだから。そしたら男の人に設置して貰っといてね」
「あいよー」
言伝を言い残し、今度こそマルティナは一階に向かったらしい。本来なら荷ほどきなどをやるはずなのだが、リュンクスは経緯の関係で何も持っていない。
「あー……ほんとにメイドとしてやっていくのかぁ……」
今まで流されっぱなしだったが、どっと疲れたので思わずベッドに倒れ伏す。そして、すぐにがばっと顔を上げる。
「なんかいい匂いがする!」
リュンクスは五感が尋常じゃ無いほど敏感だ。今までマルティナが寝ていたベッドには若い女性の香りが染みついている。
「や、やめよう。このベッドに寝るのは危険だ」
何が危険なんだかよく分からないが、とりあえずリュンクスは身を起こし、隣にあった椅子に腰かけた。やる事が無いので手持ち無沙汰だ。
その時、ドアを軽くノックする音が聞こえた。恐らく、先ほど言っていた男子寮のベッドが運ばれてきたのだろう。
「はいはい。今開けますよ……って、誰も居ないな」
「あの……いるんですけど」
ドアを開けた先には誰も居なかったのだが、すぐに下の方から声が掛けられた。リュンクスが顔を下に向けると、リュンクスの顔を見上げる少女の姿があった。
西日を反射して輝く、銀糸のようなさらさらの長い髪をした綺麗な子だ。身に付けている服は少し大人びている感じがして、あどけない少女には若干不釣り合いに見えた。
「あなたがリュンクスですか?」
「人に名を尋ねるときは自分から名乗るもんだろ」
リュンクスは平然とそう言い切った。少女の方は目を丸くしていたが、それからくすりと笑う。
「そうですね。私の名前は……」
「ちょおおおおおおおおお!?」
銀髪の少女が名乗ろうとした瞬間、遠くから奇声が聞こえた。そっちの方を見ると、ティーポットとカップ、それにスクランブルエッグの乗ったトレイを持ったマルティナの姿が見えた。
マルティナは超スピードで廊下を走って来た後、スライディング土下座をした。その瞬間、持っていたトレイの料理を一切こぼさずに背中に乗せたので、リュンクスはその神業に感嘆するほどだった。
「も、申し訳ありませんお嬢様! なにぶんリュンクスは今日来たばかりで、お嬢様に不遜な態度を取ってしまって申し訳ありません!」
「お嬢様? このチビが?」
「あ、あんたねぇ! ほら! あんたもさっさと頭下げなさい!」
リュンクスは相変わらず突っ立ったままで、マルティナは土下座したままリュンクスの方を見て、顔を青ざめさせている。
「いいのですよマルティナ。何も言わずに急に来てしまいましたし。そんな畏まらなくても大丈夫です」
慌てふためくマルティナに対し、少女はにこやかかつ冷静に対処した。まだ年端もいかない少女だというのに、ずいぶんと落ち着いた態度だ。
「で、ですが! ご当主様にこんな傲慢な態度を取っていますし!」
「ご当主!?」
よく分からないので適当に流していたリュンクスも、マルティナの今の発言には驚いた。そして、少女の方を振り返る。少女は特に気を悪くした風でもなく、ぺこりと一礼する。
「申し遅れました。わたくし、アルディエル・リュミエールと申します。このリュミエール公爵家の当主を務めさせていただいております」
そう言って、アルディエルは実に優雅な佇まいで挨拶をした。