1:山猫
険しい山奥。うっそうと生い茂る木々。唯一の光源は月明かりのみだが、今日はそれすらも出ていない。そんな闇深い場所で活動できるのは夜行性の獣くらいだろう。
だが、その闇の中、何故か人間達の声が聞こえる。
「やっと大人しくなりやがったか。苦労かけやがって!」
吐き捨てるように言い放ったのは大柄で、いかにも粗暴な男だった。それを取り巻くように15人ほどの仲間がおり、どれも似たような身なりをしている。彼らは盗賊団であり、この山を根城に活動していた。
そんないかつい男達の真ん中に、一人だけまったく場違いな存在がいた。
それは少女だった。華奢で小柄で、男達が軽く握るだけで折れそうなほどにか細い。
顔立ちは恐ろしいほどに整っていて、特に短めの銀髪は磨けば光り輝くほど艶やかだ。
だが、その美しい少女は今、泥にまみれて地面に転がされている。
全身を荒縄で緊縛されたその少女は、男達に囲まれているというのに、怯えるどころか逆に睨み返す。
その眼光の鋭さに、ボス格の男以外は一歩引く。
「おいてめえら! こんなことしてどうなるか分かってんのか!」
少女が身を横たえながら怒鳴る。とはいえ、可愛らしい声なのであまり凄味が無い。
それを聞いて、周りの男達も少し安堵したらしい。
「へっ、山猫もこうなっちゃどうにもならねえな」
リュンクスと呼ばれた少女は、大柄な男にあざ笑われ、忌々しそうに舌打ちした。
「ふざけやがって……さっさとオレを元に戻しやがれ!」
なおもリュンクスは叫ぶが、盗賊団のボスらしき男は無視して彼女に蹴りを入れる。
そして、しゃがみこんで彼女の髪を乱暴に掴み、顔を近づける。
「おーおー、威勢がいいこって。オレなんて言葉遣いしちゃダメだぜ。リュンクス『ちゃん』」
「てめぇ……!」
リュンクスが今までで一番殺意を込めた表情をした。
視線で人を殺せるなら男は死んでいただろう。
とはいえ、縛りあげられた状態でリュンクスが出来るのはそれくらいしかない。
「いや、俺も驚いてんだ。まさかここまで上玉になるなんてな。そもそも、性別を変えられる薬があるなんて初耳だぜ」
「……チッ」
愉快げに笑う男達に囲まれ、リュンクスは舌打ちした。
リュンクスは孤児だ。生まれついてからほとんどを一人で生き抜いてきた。
だからまっとうに生きる方法が無く、気が付けば盗賊団に所属していた。
といっても、リュンクスは貧しい人から奪う事は無かった。狙うのはあくまで裏ルートの密輸をしている連中であり、その辺りは調べてから奪う。
リュンクスはほぼ野性児のせいか、その辺りの勘が異様にいい。
その点を買われ、盗賊団では団長ではなかったが、居なければ仕事が出来ないくらいの存在になっていた。何せ野生動物並の勘と身体能力を持っているのだ。
狙う獲物の調査から、追跡を免れるルートなど……リュンクスがいなければこの盗賊団はとっくに壊滅していただろう。そこがよくなかった。
リュンクスは必要最低限の物以外を奪わない。そこが強欲な他の連中と合わなかったのだ。
役立つ存在ではあるが、リュンクスのお陰で人員が増え、それなりの人数になってきた。
これだけいればもっと大きな仕事が出来るのだが、そのためにはリュンクスが邪魔だ。
とはいえ、リュンクスは戦闘能力も一級品だ。敵に回すと厄介である。
だからどうしたものかと悩んでいたのだが、数時間前についに転機が訪れる。
王国に向かっていた密輸馬車を襲った際、団長は偶然ある代物を手に入れた。それは、性別を変えるという薬だった。命乞いをする際に、非常に高額なものだから、これをやるから許して欲しいと渡されたのだ。
リュンクスは既に帰還ルートを物色している最中で、その場にはいなかった。
そこで盗賊団の男達は、その薬をリュンクスに盛る事にしたのだ。
リュンクスは毒に対する耐性も高いが、これは毒では無いのだ。
今日の戦果で得た酒にその薬を盛り、リュンクスはまんまと騙され飲んでしまった。
これが通常の毒なら違和感に気付いただろうが、無味無臭かつ知りもしないものだ。
無理もない。
そうして出来上がったのが、少女と化したリュンクスというわけだ。
普段なら男達が束になっても捕らえるのは難しいが、女の身体に馴れていない状態では話は別。
こうしてリュンクスは、団員達の裏切りの真っ最中というわけだ。
「こうでもしなきゃオレに勝てねえってのか。情けねえ奴らだ」
リュンクスが縛られた状態で笑うと、団長は彼女を思いっきり踏みつけた。
「決めたぜ。本当は殺しちまうつもりだったんだが、おめえは貴族かなんかに売り飛ばしてやる。その方が屈辱的だろうからな」
「はぁ?」
突然妙な事を言い出した男に対し、リュンクスは空気の抜けた相槌を打つ。
「俺らはてめぇの元の姿を知ってるが、お客様は知らねえからなぁ。お前、かなりの上玉だぜ。見てくれだけならいくらでも買い手が付くだろうぜ」
「んなっ!? ふざけんな!」
この国で奴隷の売買は禁止されているが、どこにでも裏ルートというものはある。
そして、中には人間を取り扱っているものだってある。
猿ぐつわでも噛ませ、それなりに身なりを整えれば今のリュンクスならかなりの額で売れるだろう。
売った後に凶暴だと判明しても、盗賊団はアジトを教えないし、第一買う側も裏の人間なのだから大っぴらにも出来ない。かつ、リュンクスも奴隷として屈辱を味わわせる事が出来る。
「大体、てめぇの事は前から気に入らなかったんだ。ガキのくせにでけぇ面して指図しやがって。女子供は狙うなだとか、貧しい人間から取るなだとか、やりづらくって仕方がねぇ」
団長はリュンクスの胸倉を掴んでそう言った後、乱暴に地面に投げ捨てた。
「だがもうお前は必要ねえ。俺たちは結構な人数になったしな、もっとでけぇ仕事がしてぇのよ。じゃあな、もう会うこともねえだろうが……」
「お頭! 大変だ!」
圧倒的優位に立っている男に冷や水を掛けるように、アジトにしている洞窟に手下の一人が転がり込んできた。かなり慌てた様子である。
「なんだようるせえな。これからこいつを街に売り飛ばしに行くんだぞ」
「そ、それどころじゃねぇ! 山狩りが来てる! しかもただの調査隊じゃない。見た目からして騎士団だ!」
「騎士団だとぉ!?」
手下の報告を聞いた団長は目を見開く。通常、パトロールをしているのはあくまで調査隊だ。見回りがメインであって武装はそれほどでもない。
だが、騎士団は別だ。王国お抱えの戦闘集団であり、揉め事解決のエキスパートだ。つまり、本格的に盗賊を狩るために出向いてきている。
「く、クソっ! 痕跡の消し方が足りなかったか」
「仕事が甘いんだよ。バーカ」
「てめぇっ!」
リュンクスが小馬鹿にしたように笑うと、激昂した男が思わず彼女の顔を殴る。殴られたリュンクスは、多少頬が腫れた程度だ。むしろ殴った方の団長の拳が赤く腫れている。
「仕方ねえ。迎え撃つぞ!」
「ええっ!? た、戦うんですかい!?」
「当たりめえだ! 俺たちの財産は全部ここにあるんだぞ! 騎士団だかなんだか知らねえが、舐めんじゃねえぞ! 返事は!?」
「お、おう!!」
団長が半ば強引に号令を掛け、こん棒やら剣やらを担いで部下を追い立てる。
後に残されたのは、縛られたままのリュンクスのみだ。
「あーあ、あいつら馬鹿じゃねえの」
リュンクスは溜め息を一つ吐いた。普段はリュンクスが仕事の下準備から後始末まで全部しているので、今まで尻尾を掴まれた事が無かった。
だが、今日はリュンクスを陥れるのに夢中で、そっちをいい加減に処理したのだろう。
こうもあっさり見つかるとは。リュンクスは思わず苦笑する。
「ま、いーや。あいつらがぶっ殺されてる間にとっととズラかるか」
はっきり言って、単なる荒くれ者と戦闘技術を磨いている騎士団とではお話にならない。
正面切ってぶつかれば確実に負けるだろう。
とはいえ、この状況はリュンクスにとっては非常にありがたい。
奴らが見ている前ではさすがに無理だが、誰も見ていなければこの程度の緊縛なら簡単に縄抜け出来る。
彼女は強靭かつしなやかな肉体を持っている。関節を外してすり抜ける事だって容易……なはずだった。
「あれ!? くそ! 胸が邪魔で抜けられねえ!」
本来なら縄抜けなど楽勝なのだが、女になったせいで体格が変わってしまっている。特に、胸の部分の柔らかなふくらみが引っかかって非常に邪魔くさい。
「ちっ……こりゃちょっと時間が掛かる……ん?」
しばらくもぞもぞ動いていたリュンクスだが、不意に動きを止め、息を潜める。
「誰か来やがった……くそ、予定より大分早い」
洞窟の入り口に何者かの気配を感じる。最奥部にいるリュンクスからは大分離れているが、彼女はほとんど野生動物並の鋭さを持っている。
そして最悪なのが、感じる気配が明らかに団員とは違う、研ぎ澄まされたものなのだ。
(って事は、騎士団の奴が突破して来たのかよ。役に立たねーな……)
外で騒いでる連中が囮くらいになると思っていたが、それにしたって早すぎる。
騎士団の連中が優秀なのか、盗賊団員が弱すぎるのか、はたまた両方か。
外の気配は少しずつ、しかし確実にリュンクスに迫ってくる。
普段なら余裕で縄抜けし、たとえ騎士団相手だろうがリュンクス一人なら余裕で逃げおおせるだろう。
だが、今の状況でそれはとても無理だ。
「年貢の納め時、か」
リュンクスは慌てるどころか、逆に落ち着いていた。
別段何がしたいという訳でもなく、生きるために生きるという行為でこれまで過ごしてきた。
盗賊団の仲間として捕まるというのは、ある意味自分らしい末路と言えるだろう。
そして、ついにリュンクスのいるエリアに一人の男性が入りこんで来た。
暗がりでよく見えないが、まだかなり若い青年に見える。
「君は……」
向こうは少し驚いたようにそう呟いた。もぬけの殻だと思っていたのに、予想外に一人残っていた。
とはいえ、完全に縛られている状態では抵抗など出来ない。
「……好きにしやがれ」
リュンクスはそれだけぽつりと呟いた。騎士団員らしき青年は腰に立派な剣を下げている。
それを振りおろされる覚悟は出来ている。
騎士団の青年が近付いてきて剣を握る。そしてその剣を構え、リュンクスに向けて振る。
その刃はリュンクスではなく、彼女を戒めていた縄を切り裂いた。
「……は?」
一瞬、何が起こったのか分からず、リュンクスは敵だと分かっているのに彼の顔を見る。
腹立たしい事に、騎士は甘いマスクの好青年だ。
そして、その騎士はリュンクスに向かって安心させるような笑みを浮かべた。
「怖かっただろう。もう大丈夫。僕の名はアドニス。盗賊団の排除を命じられて来たものだ。もう安心だよ」
こうして、盗賊リュンクスと騎士アドニスは、奇妙な邂逅を果たした。