落渦星(らっかせい)
ラシェルさんが浮遊フロートを呼び寄せて、バネトビ草で打ち上げられる虫玉や獣玉を避けられる高さを維持して次の目的地へと向かっていく、
浮遊フロートは黒い円盤に水色の光が幾何学模様を描き、魔力で作り出された透明な膜で包まれている移動用の乗り物で、透明な空気の層と違って視覚でも足を置いている感覚が実感できて心強い。
「んー、これは思ったより荒れるかもしれませんね」
「どうしたんですか?」
「空を見ていただけると分かるんですけど、雲の所々が下に紐みたいなものが飛び出てきているのが見えると思うんですけど…」
ラシェルさんの言葉通り、空を覆う雲から生クリームを作る時のツノのようなものがいくつも下に見えている。
「あれは『落渦星』と言いまして、竜巻や『空落ち』という空へと物が落ちる現象によって、空に上がった様々な物が一斉に落ちてくるんですよ」
「空に…落ちる?」
「ええ、文字通りに。岩や地面、川や海、森や岩など、そこにあるものの重さに関係なく、空にゆっくりと舞い上がって加速していくんですよ。まるで、空に落ちるみたいに。それはそれで綺麗な光景なんですけど、空に停滞していた物がある程度の質量や規模に達すると、この『落渦星』という現象が起こるんです。一般的な雨と一緒ですね」
「雨ですか…なるほど」
「ただ…問題は『落渦星』でして…規模によって周りに出る被害は変わるんですよね。空から山が落ちてくるのと変わりませんから。それで、『落渦星』というのは、規模の大きさを知るのに分かりやすい指標があってですね。雲の下に出てくる紐みたいなものの数なんですよ。『雲槍』って言うんですけど」
紐の数…。
いち、にい、さん…私から見える数だけでも、軽く10はある。
「え…っと。10以上ありますけど…ラシェルさんから見て、規模はどれぐらいになりそうですか?」
「この辺りが丸っきり埋まるんじゃないですかね。過去最大規模です」
「え?」
過去…最大?
「紐の数が多ければ多いほど規模が大きくなるんですけど、私が今までに見たことのある紐の数は多くても5~8本までです。今回の規模は、はっきり言いますと…この辺り一帯が埋まるだけでは済まないかもしれませんね」
「だ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫ではありますが、念の為に巻き込まれない内に離れておきましょう。スピードを出すためにちょっと揺れると思いますが、ご容赦を」
「は、はいっ!」
この辺りが埋まるって…。
ラシェルさんの言葉を機に、浮遊フロートがより速く…より高く上昇する。
「うーん、この先にあるものもお見せしたかったんですけど、『落渦星』の方が早いですかね…」
「この辺りは何かあるんですか?」
「そうですね。そろそろ見えてくると思うのですが…。あ、丁度、下に見えますね」
ラシェルさんに言われて下を見ると、森の木々を透明な塊が凹ませながら通り抜けていく。
収穫時期の米や麦畑に、波の様に風が通り抜けるみたいに、一つの生物のように繰り返し揺れて波を作っていた。
「この辺りは、ああいった風の塊が木の中を通り抜ける『風塊通圧』が多いんですよ。それが『空落ち』や『落渦星』を起こしているのではないか…と言われていますね」
森の木が波を作るように繰り返し揺れて、後ろへと何度も流れていく。
この風って進んでる先から…?
目を凝らして前を睨むと、太陽に反射する湖…なのか海なのか、水辺が見えてくる。
そのすぐ手前、緑色の手のような形をしたものが風に揺られて踊っていた。
「ラシェルさん、水際に見える手みたいなのは…」
「あれが『風塊通圧』を作り出している原因の一つ、扇竹です。水辺によく生える竹なんですけど、湖や海などの水のある方向から吹いてくる風を受けて、その風をさらに加速して送り出すという性質がある厄介な竹なんですよ…っとと」
「うわ…っと!」
水辺が近付いてくるにつれて、浮遊フロートの揺れが激しいものになってくる。
一応身体を固定する安全装置があるお陰で、身体をぶつけたりはしていないけど、左右に激しく揺られて絶叫系のアトラクションのようだ。
「『落渦星』が始まりそうなので、さらにもう少しスピードと高度を上げますね」
ラシェルさんが言い終わるかどうかというタイミングで、───ドンッと空気が激しく震えた。
「っ! 私は運転に集中しますから、掴まっててくださいっ!」
「は、はいっ!」
手すりに掴まって後ろを振り返れば、雲から降りてきていた白い紐を起点に、白い竜巻が地面へと伸びていくのが見えた。
それが森の表面に届いたとき、空を覆う雲に穴が開いて次々と大小様々なものが、流砂の如く地面へとなだれ込んできた。
高層ビルをいくつも爆破して崩したような物量を以って、さっきまでいた風景を一瞬にして黒く塗りつぶしていく。
「抜けたっ! …っと、失礼しました」
扇竹が作り出している『風塊通圧』を抜けて、今まであった揺れがなくなり、一気に加速する。
「っふぅー…。無事抜けられましたね」
湖をかなりの距離抜けきり、速度はそのままにラシェルさんが振り返る。
「いやいや、すごい規模でしたね。あ、そのまま手すりを掴んでいてくださいね。一応、そういったものを防いでくれる機能がありますけど、あれだけの規模ですから、衝撃が0とはいかないと思います」
「わ、分かりました」
砂埃の津波が湖の上まで広がり、その余波で浮遊フロートがガタガタと少し揺れる。
その言葉を示すように、空の雲を全て飲み込むように灰黒いキノコ雲が突き立っている。
「す、すごかったですけど、大丈夫なんですか?」
「自然のことですから。浮遊フロートには映像や様々なデータが記録されますから、これは良いボーナスが出そうですね」
え、そんな感想?
「あ、巻き込まれなくて良かったですね」
「………」
案内人さんって、すごいなぁ…。