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第8話 ここは深海よりも更に深い闇の中

 篁の様子にすっかり気をとられて、気が付けば岸辺に誘われるままに、部屋へと通された春子は、岸辺の襖を閉める音ではっと我に返った。


「あう」


 部屋は8畳ほどの和室。その端にはホテルに預けて来ていた荷物が置いてある。

 おそらく衣笠が取りに行ってくれたのだろう。

 そしてその荷物があるということは、ホテルはキャンセルされたのだろう。

 午前中の巌の言動を考えたら、察しがつく。

 当日キャンセルは、料金は戻ってこない。

 そして巌の好意を拒否した場合、泊まるところもなくなってしまう。


「うう。これは素直に巌の申し出に甘えるしかないですよね」


 巌の勢いに押され、最初に断り切れなかったのが敗因である。

 春子は部屋の中央にある和卓の傍に座ると、和卓の上に置いてあった、ポットと湯呑、急須、茶筒に手を伸ばして、お茶を入れる。


「はあ。お世話をかけてしまいます」


 けれど、岩月の森の散策は楽しかった。

 きっと普通に観光で訪れたら、これほど自然を満喫できなかったのではないか。

 地元の、それも個人が所有する森だからこそ、ゆったりと楽しめたのではないだろうか。


「これも貴重な体験ですね」


 もうこうなったら、岩月家に思いっきり甘えさせてもらおう。

 春子はそう思い切ることにした。


「お夕食の時に、きちんとお礼を言わなきゃです。それとお母さんにも電話しておかないと」



 その後の夕食の席で、巌が春子が出かけている間に、親に電話して連休最終日まで岩月家に滞在させる旨の許可を取った事、明日は篁が付き合えぬ為、代わりに佐々木という巌付きの人間に町を案内させる旨が告げられた。


 春子はあまりの手際の良さに呆然としたものの、丁寧にお礼を言った。

 夕食の間、巌が岩月の森での出来事を詳しく聞きたがった為、春子は今日の出来事を話した。

 その間、篁が黙々と食事をして一言も話さなかったのが、どうにも気にかかった。

 春子にしてみれば、お昼に食べた昼食に匹敵するほどのおいしさなのに、篁は全然味わっていない。どこか機械的に食事をしているようだ。

 そう思いつつも、篁の状態を春子がどうにかできないのは明白で。

 悩んでも仕方がない。わかっている。春子はひと時でいなくなってしまう人間。あれこれ口を挟めない。

 春子は割り切る事にした。

 明日は、佐々木なる方が市内観光をしてくれる。

 せっかく遥々東京から来たのだ。明日は篁の事は一旦置いて、明日は思いっきり楽しもう。

 春子はそう自分に言い聞かせた。

 


 翌日、昼過ぎ。


「じじいは完全に眠ってるんだな」

「はい。一時間前から睡魔師(すいまし)が着き、深淵への導きは完了しております」

「まどろっこしい言い方はやめろ、西野。すっかり眠りこけてるんだな。もし、じじいが起きていたら、俺は帰るからな。じじいとは絶対話したくない」


 篁は長い廊下の先にある襖を乱暴に開け放つ。

 広さ100畳ほどの部屋。25メートルプール一つ分くらいか。家具は一つもなく、あるのは四方の間接照明のみ。

 その真ん中、一つ敷かれた布団に老齢の男が眠っていた。

 男の頭上付近には、女が1人座っている。


「ふん」


 篁は醜悪なものを視て、嫌悪に目を細めた。

 老人から黒く立ち上る大きい霊のかたまり。

 その一つ一つから憎悪、嫉妬、執着、妄執と負のエネルギーがどろどろと溢れでている。

 今から自分はそれに触れ、じじいから引き離さなくてはならない。


「このじじいも、これだけ憑かれると響くか」


 とはいっても、普通の人間なら狂ってしまうレベルである。

 流石に図太さは超一流と言ったところか。

 この部屋で、悪霊と化した霊を、一つ一つ見分けられるのは自分しかいない。西野も視えているのだろうが、篁の目や鼻、感覚には到底及ばない。


「じゃなきゃ、あんなにすまして、この部屋にいられるか」


 吐き気を催す臭気。おぞけを呼ぶ声。

 触った時の何とも言えない不快感。


 やりたくない。いやだ。

 そう思っても。

 悪霊や念に触れるのは、岩月の当主と自分だけだ。

 それが何よりも腹が立つ。

 なぜ兄や姉にその力が行かなかったのか。

 なぜ末の自分に。

 自分よりも遥かに精神力が強い兄や姉ならば、こんな弱音は吐かないだろうに。

 

 なぜ、自分に。


 篁はぎりっと唇を噛んだ。


 聞きたくない。触れたくない。今すぐ逃げたい。

 なぜしなくてはならないのか。

 こんなじじいのために。


 これだけ毎回憑かれるのは、こいつが悪党だからではないのか。

 なぜ当主は、父は、毎回仕事を受けるのか。

 篁にはわからない。

 これだけ人から恨みを買う人間など、放っておけばいいのに。


「くそ!」


 しかし篁は知っている。

 自分はこの仕事から逃れられない。

 逃れても、この力が消えない限り、普通の生活など送れはしないのだから。

 ならばさっさと終わらせるしかない。


「始めるよ」


 篁が寝ている老人の横に座ると、西野が篁の左手付近に玉虫色の大きな袋を、右手付近に紫紺の袋が置いた。

 篁は玉虫色の袋から一つ、黄色味がかった3センチ程の石を取り出すと、寝ている老人の腹の上を右手で握る。

 傍から見れば、空気を掴んでいるだけに見えるだろう。

 しかし、篁は確実に掴んでいた。それは篁だけにはっきり視える女の悪霊。更に悪霊を掴むことによって、篁にはその憎悪や女の過去までもが視えてしまう。

 吐き気がするほど、欲に塗れた汚らしい過去が。

 篁は嫌悪と顔を歪める。


「くっ!」


 篁は無理やりどす黒い(もや)から、女の霊だけ引きずりだし、短く呟いた。


「開」


 すると、左手に握られた石がほのかに光り出す。

 その石に暴れる女の霊を近づける。


「封縛」


 刹那、悪霊は石に吸い込まれた。石は石炭のように歪に黒く変色する。

 篁は石の前で右手の人差し指と中指を立てる。


「閉」


 すると石は、丸く一回り小さい石へと姿を変えた。

 篁はさっさと紫紺の袋に石を押し込む。


(やっと一つ)


 まだまだ老人に取り憑いた霊は何十とある。

 これらの半分は、今日処理しなければならない。

 それは即ち、目を背けたくなるような人間の負の感情を見続ける事で。

 そしてそれは、夜に悪夢となって篁を苦しめ続ける。

 彼らのかけらは封印した篁を呪い続ける。


「いつまで俺はもつかな」


 早々に死んでやれば、少しは父親も自分を思いやってくれるだろうか。


「それはないか。お家、大事だもんな。それに」


 父は自分よりも能力が劣る。

 誰も自分の苦しみなどわかりはしない。


 その時、ふと能天気に笑う少女の顔が浮かんだ。

 顔色が悪く愛想もない自分に、気兼ねなく話しかけて来た年上の女。

 彼女の傍で、なぜかいつも毎夜悩まされる悪夢を見ることなく眠れた。

 柏葉春子。あの女の隣は、なぜか心地よくて。

 眠れたのは、あののほほんとした空気の為か。

 それともただの偶然か。

 篁は考えを振り払った。

 どちらにしても、今考えるべきじゃない。


「いやな仕事は、さっさと終わらせるか」

「そうですよ! そして柏葉様とデートを楽しみましょう!」

「うるさい!」


 いつもなら黙って控えている西野が、今日に限り篁の呟きを拾う。

 見透かされたようで、じわじわと顔が熱くなる。


「こいつめ!」


 篁は八つ当たり気味に、新たな小悪党の霊をむんずと掴んだ。


次回少し春子と篁が絡む、かな。


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