第3話 大きな大きなお屋敷。圧倒されます、場違いです。
少し長めです。
広大な庭園を歩くこと20分。
やっと辿り着いたところは荘厳な日本家屋。曲線が見事な瓦屋根は、東京では滅多にお目にかかれないものではないだろうか。
畳3畳以上ありそうな玄関を入り、長い長い廊下を歩く。
庭に沿った廊下から外を見ると、ガイドブックに載っていそうな手入れをされた庭。
紅葉が色づき始めた庭は、まさに旅行のCMに出てきそうな風景である。
ここに着くまでの庭も荒れている様子は全く見られなかった。
専任の庭師がいて、毎日手入れをしているのかもしれない。
一瞬緊張を忘れて庭に見入ってしまう春子である。
(ふああ! よいところのお家です!別世界です!)
二階建て、洗濯物を干すくらいのスペースしかない庭。
そこで春子は、祖父母、父母、5人の兄弟姉妹で暮らしている。
今の暮らしに全く不満はないものの、叶うならお家一日見学させてもらえたら嬉しい。
(家の中じゃなくても、お庭を散策できたら、きっと一日楽しめます!)
できればお弁当など持って、ピクニックができれば最高である。
「柏葉さま?」
いつの間にか立ち止まってしまっていた春子に、先導していた男が振り返る。
「あ、すいません! 今行きます!」
春子は慌てて、男に追いつく。
(いけない、いけない。あんまりお庭が綺麗なので、見入ってしまいました。ちゃんとしなくちゃです!)
これからが春子の大一番。
穏便に平和に終わるか、それとも険悪になり、最悪つまみ出されるか。
(ちゃんとお話ししなきゃです! 最悪、お手紙さえ、渡せれば目標達成!の筈です!)
足を進めるごとに弱気になってしまいそうになる。
勇気を出してここまで来たのだ。踏ん張らなければならない。
「柏葉さま?」
「あ、はい! すいません!」
思わず立ち止まって、両腕をまげて両手をぐっと握りしめてしまった春子に、またも声がかかる。
再度駆け寄るも、男は歩き出す事なく、跪くと障子をすっと開けた。
「こちらでございます、どうぞ」
「ありがとうございます」
どうやら、春子の気持ちが、あっち行ったりこっち行ったりしているうちに、目的の部屋に着いたらしい。
春子はごくりと唾を飲み込むと、背筋をピンと伸ばして、中へと入った。
招かれた部屋は、30畳ほどの広い和室。
そこに置かれた一枚板の和卓の向こう側に、白髪を真ん中で分け、顎髭を豊かに蓄えた老人が腕を組んで座っていた。
「今、当主が不在のため、私が相手をする。私は岩月巌という。道寸は私の父だ。」
年の頃は70歳を過ぎていそうである。険のある皺が刻まれた額。口は横一文字に結ばれている。厳めしい。まさに名が体を表しているという諺を地で行っている老人である。
「初めまして! わ、私は柏葉春子と申します!」
座っているだけで、人を委縮させる。圧迫面接の面接官にはうってつけの人物だろう。
春子は、老人の真正面の席、おそらく春子用に置いてあった座布団を横にどけると、畳に座った。
春子を連れて来た男は老人の斜め後ろに進み、そこに控えた。
なんともテレビに出てくる昭和の風景だ。サスペンスドラマの舞台になりそうである。
「それで、父の、道寸の物を持って来たときいたが?」
世間話どころか、絶対零度の雰囲気の中、要件だけを尋ねられる。
「は、はい」
岩月老人に圧倒されて、当初の目的を忘れてしまっていた。
岩月老人の迫力に飲まれてしまっていたらしい。
(だめです! ちゃんと目的を果たさないといけません!)
圧迫面接に負けるかと、気合をいれる。
のんびりとしているが、気が弱い訳ではない。
2人に気づかれないように、そっと呼吸を整えると、大事にしまっていた手紙を鞄の中で探る。
手紙は白い大きなハンカチに包んで、密閉できるビニール袋に入れていた。
万が一汚してしまう事がないようにだ。
鞄の中でビニール袋から出し、白いハンカチに包まれたままの手紙を、和卓の上に置いて、老人の方へと押し出した。
「これです」
「うむ」
巌はハンカチの四つ角を一つ一つよける。
そして大きく目を見開いた。
「これは、父の手紙か」
「はい。先日、私が行ったフリーマーケットで見つけたんです」
「フリーマーケットとはなんだ」
「旦那様、古物市のようなところでございます」
春子が説明する前に、執事のような男がすかさず説明をしてくれる。
何とも優秀である。
「差出人を見て、戦争中に出された手紙であるとわかりました。宛先人も同じ苗字でしたから、おそらくご家族に出された手紙であると推測しました。私なら遠い異国より家族が出した手紙だったら、絶対読みたいと思います。そう思ったら、どうしてもこの手紙を彼の家族に届けたくて、突然訪ねてしまいました」
「それだけで、わざわざ金を出して、これを手に入れ、ここまで来たと?」
「はい」
「どこから来た?」
「東京です」
「東京から。届けたいと気持ちだけで本当にここまで来たのか? 自分には縁も所縁もない他人のために大枚をはたいて来たというのか?」
「はい」
自分で説明しといてなんだが、言葉にすると胡散臭い。
(そうですよね。自分に何の得もないのに、一時の感情で遠路遥々来たのかと疑っちゃいますよねえ)
家族にも何もそこまでしなくてもと、言われたくらいだ。
(それでも私は届けたいと思ったんです! 辛い時、家族は一番の支えです! それが読まれないままなんていけません! 悲しすぎます!)
すべての宛所不明の郵送物を届けるのは無理だ。けれど、せめて偶然見つけたものだけでも届けたいと思ったのだ。
(最初にお手紙を見た時には、一瞬だが、喜んでもらえたと思ったのですけど)
すぐに巌は警戒するような雰囲気になった。
今も雰囲気は固いままだ。
(まあ、仕方ないのかもしれませんね。ドラマでもよくありますから)
こんな立派な屋敷に住んでいたら、色々あるのかもしれない。
ちなみに春子は、二時間サスペンスドラマを祖父母と一緒に結構見ている。
だから余計思う。疑われてもやむなしと。
想定して来たので、春子は傷つかない。
(それでも、残念には感じますね)
春子の目的は手紙を家族に届ける事。道寸の言葉を家族に伝える事だ。
(まだ読んでもらえていませんが)
春子が帰ったら、きっと読んでもらえる筈。
当初の目的は達成した。
よしとしよう。
もしもっと和やかな雰囲気だったなら、手紙の内容をちらりとでも教えてもらえれば嬉しかったが。それと受取人であるつやについても聞きたかった。
それこそ願いすぎか。
内容なんて家族が知っていればよいのだから。
(でも)
後一つ、できれば叶えたい事がある。
「あの、一つお願いがあります」
しまった。この言い方では、余計な疑いを更に深めてしまうと思ったが、遅かった。
巌の眉間が日本海溝並に深くなった。
「何が望みだ。言うがいい」
もういい。どうせ、今日を最後に、会わない人である。
「その前に、確認なのですが、道寸さんは、戦地から戻ったのでしょうか?」
「いや、父は外地で亡くなった」
「そうですか。残念です」
戻っていたら、更には生きていれば100歳近いだろうが、会えたらと思っていたが、やはり儚い希望だったらしい。
「私の願いですが、仏壇に線香をあげさせてください」
「父に線香を?」
「はい。この手紙に巡り会えたのも何かの縁です。せめてご冥福をお祈りさせてください」
春子は、祖父母と一緒に住んでいる。
仏壇もあり、必ず朝に手を合わせている。今となって珍しい習慣と言えるかもしれない。
それでも。ここまでたどり着いたのだ。手を合わせたい。
それで本当にミッション完了になる。
その思いをこめて、春子は巌を見つめた。
すると、巌はすっと立ち上がると、控えていた男がスッと障子を開けた。
「着いてきなさい」
ほどなくして着いたのは、10畳の仏間。
障子を開けた、奥中央に仏壇。春子の家にあるものより遙かに大きい。成人男子が立って大きく手を広げた位に縦も横幅もある。
歴史が長そうな家である。先祖代々を祀るには大きくなってしまうのかもしれない。
春子は仏壇の前に座ると、その脇に巌が横向きに座った。その後ろに執事の男も控える。
仏壇の中に20代くらいだろうか。軍服を着た凛々しい姿の男性と、着物姿の女性の白黒写真があった。
「こちらはもしかして」
「父とその横の写真は母のつやだ」
つやが何者かわかった。そしてここに写真が置かれているということは、亡くなっているという事だ。
「道寸さんとつやさん」
若くても流石巌の父。鋭い眼差しで春子を見下ろしている。生きていたらきっと今の巌のようにどっしりとした老人なっていたかもしれない。一方つやのほうも少し上がった眦で、しっかりとした女性に見える。きっと男手のない中、懸命に家族を支えていたのかもしれない。
春子はカバンからお供え用にと、買ってきた小さな菓子折りを供える。
それから執事らしき男がつけてくれた蝋燭から、線香に火をつけあげると、手を合わせた。
(貴方の最後のお手紙、つやさんには届けられませんでしたが、ご家族に届けられてよかったです。ご夫婦で安らかに眠ってください)
会った事もない人だ。春子にできるのは、ここまでである。
春子は、巌に向き直ると、頭を下げた。
「ありがとうございました。来た甲斐がありました」
そう告げると、早々に退散しようと春子は立ち上がって障子開けた。
(う)
ここで、すっと帰れたら、格好良かったのであるが、一つの重大な問題が生じた。
(玄関までの道のりが分からないですぅ)
春子はこそっと振り返ると、巌の後ろに控えている男にお願いした。
「すいません。玄関まで連れて行ってもらえないでしょうか?」
格好悪すぎる最後である。しかし帰る経路がわからないのだがら仕方がない。
するとそれまで黙っていた巌が春子を呼び止めた。
「待ってくれ。君は本当に善意で、父の手紙を届けてくれたのだな」
どうやらわかってくれたらしい。
春子は答える代わりににこりと笑った。ここで言葉を出したら、野暮というものだろう。
巌は顔を緩め、深々と頭を下げた。
「申し訳ない。私は随分非礼な態度を取っていた。詫びさせてくれ」
「頭を上げてください! 警戒されて当然ですから! 私もそれ覚悟で来たんです!」
春子は慌てて、巌の傍にしゃがみ込んだ。
「嫌な思いをする覚悟で来たと?」
「はい。だって、見ず知らずの人間がお父さんの物を届けに来たなんて言われても、すぐには信じられないでしょう? ましてや遠いところから。何かあるかもと思うのが普通です。でも私はどうしてもこの手紙を、道寸さんの手紙を届けたかったから、来ただけです。自己満足ですから! だから、頭なんて下げないでください!」
「しかし」
「本当にいいんです! こちらこそ時間を取らせてすいません。すぐ、お暇しますから」
「待ってくれ! このまま君を返すわけにはいかない! どうか、礼をさせて欲しい」
「お礼なんて! さっきも言った通り自己満足ですから」
「いや、そういう訳にはいかん!そうだ、幸い連休だ。ここに泊まって行きなさい。もてなしをさせてほしい」
「いえ! ホテルもとってあるので大丈夫です! 荷物もすでに預けてありますし!」
「なんというホテルだ」
「駅前にあるキサンホテルです」
「あそこか。よいホテルだが、娘一人で泊まるなんてあぶない。衣笠、春子さんの荷物をホテルから引き取ってこい。それと篁を呼べ! 春子さんにこの町の案内をして差し上げるのだ!」
「は!」
衣笠と、ここで初めて判明した執事な男は、止める間もなく颯爽と出て行ってしまう。
「あの! 本当に大丈夫ですから! 私はそういったもてなしを期待して来た訳じゃないので! お構いなくです!」
「いや、このまま帰しては、父に叱られてしまう !是非に滞在してくれ」
巌の目はただでは帰さんと強く語っている。
警戒を解いた巌は、春子の祖父母と同じように、義理堅いのかもしれない。
(どうしよう! どうしたら断れるのでしょうか?)
多少の危険は有っても、一人の方が気が楽である。
任務を果たした今、後は観光を楽しむだけだったのに。
「全く! 篁の奴め遅いわ! すまんが、春子さん、一緒に来てくれ。すぐに孫に町を案内させる!」
「は、はい!」
(帰るタイミングを逃しました)
巌に手首をがっちり掴まれて廊下に連れ出されながら、スマートに帰れなかった自分を、春子は心の中で蹴とばした。
今どき、巌ご隠居みたいなおじいさんはいるのでしょうか?
フレンドリーなおじいさんが多い気がします(*^-^*)