唄と栞と千切れた一節
彼女がまたいつものように、一昔前の流行歌を唄っていた。
廃線になった鉄道。淡色の青空の下、枯れた草原に囲まれた駅のホーム。彼女は白線の外側に足を投げ出して、楽しげに唄っている。
喪服を思わせるような、飾り気のない黒のクラシックワンピース。長い裾の先から覗く足は、服の黒さとは対照的に血を失ったかのように白い。厚手のワンピースにうっすらと見える体のラインは必要以上に細く、女性らしい豊かさも見られない。長袖の先から見える痩せこけた手を見て、もう長いことまともな食事をできていないことを思い出した。
ヒビだらけのコンクリートに無造作に散らされた髪先の遺灰のような色が、彼女が普通の人間でないことを示していた。元々生気の感じられない色をしていたが、この生活を始めてからより一層色褪せてきているように思える。
伸び放題の髪は顔のほとんどを隠している。唯一見えている小さな口は、流行歌を紡ぎ続けている。
ありふれた旋律。ありふれた歌詞。ある男が女への愛を謳う歌。彼女が何度も唄うものだから、すっかり覚えてしまった。
私が聞くのはかれこれ数千回目になるであろうその歌は、当然いつも通りの終わりを迎える。そう、
「世界の敵になろうとも、私がキミを守るから……と」
最後の歌詞を先回りすると、彼女は唄うのをピタリと止め、むすっとした様子で私を睨んできた。
「ちょっと、邪魔しないでよ。人がせっかくいい気持ちで唄ってたのに」
「生憎、キミの歌は何度も聴く価値のあるほど上手くはない。むしろ下手だ」
「何よそれ、失礼ね!」
「何千回も聞かされる方の身にもなってくれ」
「大げさすぎ! そんなにしょっちゅう唄ってないでしょ!」
キーキーと甲高い声をあげる。黙ってさえいればせいぜい「儚げな薄幸の美少女」といったところなのに、口を開けばこれだ。
「喧しいから無意味に口を開かないでくれないか。キミの声は耳に悪い」
「うっさいわよ、あたしの勝手でしょ! このキザ男!」
彼女は騒ぎ立てながら立ち上がると、乱暴に尻を払い、側に放り出してあった靴を足に引っ掛けた。それから、やれやれと溜息を付く。
「はぁ……。まあいいわ。あんたが失礼なのは今に始まったことじゃないし、許してあげる」
嘲笑うような生意気な笑顔と共にしれっと言い捨てながら、バサリと髪を払う。夜の闇よりなお深い黒の瞳が、ちらりと垣間見えた。
それは、あたかも彼女こそが私の上に立っていると主張するかのような言葉だった。しかし現実はそれとは異なる。
「キミの方こそ、好き勝手な行動をある程度黙認してやっていることに感謝しないか。キミの命は私に託されているということを忘れていないか?」
「恩着せがましい言い方ね。誰も頼んじゃいないわ」
「なら、また鳥カゴの中に戻るか?」
「嫌よ。あんたと一緒にいるのも面倒だけど、誰もあそこに帰りたいなんて言ってないし」
ツンと言ってのける。自分の立場が解っているのかいないのか。
平たく言えば、彼女はかつて囚われの身だった。それもお城に閉じ込められたお姫様などという生易しいものではない。彼女の持つ、言わば超常的な"力"を恐れた者たちが、彼女に"力"を封じる枷をかけ、物理的に隔離し、社会的に存在をもみ消したのだ。
殺しはしない。彼女の秘める絶大な"力"を恐れる一方で、その"力"を解明するべく、人体実験の限りを尽くされる。彼らからすれば、彼女は恐るべき魔物であると同時に、特異な性質を持つモルモットだった。頭を開いて解剖されなかっただけマシだろう。
"力"を恐れるのは一部の人間だけではない。彼女の"力"は世界をも脅かすほど強力だ。つまり、彼女は世界に恐れられている。
私はそんな彼女を連れ出し、こうして逃避行を続けていた。
……そういった意味では、彼女の歌は洒落になっていない。実際に世界を敵に回しているのだから。
「それをキミは、感謝の一言も言わずに……」
「だから頼んでないって言ってるでしょ。外に出られたんだから、もうあんたには用なしだもん」
この身勝手さである。
もちろん、追手は今も私達の後ろにいる。いつ追いつかれるかも分からないし、一度捕らわれてしまえば私も彼女も無事ではいられまい。またカゴの中に放り込まれ、実験動物よろしく薬漬けにでもされてしまうだろう。
「では、私がいない時に追手に囲まれたらどうする」
「その時は世界ごと滅ぼすわよ。もう枷も外れてるし」
「本当に身勝手だな……」
彼女の"力"はコントロールが効かない。一度行使すれば至る結末は一つ。……世界の滅亡だ。
そんな爆弾のような少女を、私は必死に守り続けていた。
「……さあ、そろそろ行くぞ。休憩は終わりだ」
「あ、ちょっと、待ちなさいよ!」
さっさと駅のホームを立ち去る。彼女が慌てて着いてきた。
去り際に、駅を出てすぐのところに立つ一本の木に目をやる。そして、葉の落ちきった枝の中の一本が、中ほどで折れていることを確認した。
「……"栞"はちゃんと生きているな」
「それ、意味あるの?」
「まあ、な……。実際、この力のお陰で数えきれないほど助けられている」
「そうだったかしら? だって逃げるのには役立たずじゃない、そんな力」
「キミの知らない所で役立っているさ」
私も彼女のように、不思議な"力"を使える人間だ。彼女を連れ出したのも、元はといえば"力"を持つ数少ない同族を助けようとしたため。たとえ世界を敵に回す力でも、仲間は仲間だ。むしろこれだけの"力"の持ち主であるなら、私たちの中では特別な意味を持つ存在であるとすら言えるだろう。
もっとも、今ではそんな同族達も次々と敵に狩られ、わかる限りでは結局私達しか残っていないが。
……それに、私が彼女を守る理由も、すっかり変わってきている。
「…………」
「ちょっと?」
「いいや、何でもない。ただの考え事だ」
ともあれ、この"栞"が私の持つ力だ。言葉の原義通り、木の枝を折る「枝折」をすることで、まるで栞を挟んだ場所から本を読み返すように、いつでもこの場所に帰って来られるのだ。たとえその時私たちがどんな状況に陥っていようとも。
そしてこの枝が、さっき彼女が唄っている間に折っておいた物だった。
確かに彼女の言う通り、どこか一箇所にしか作ることができず、「以前通った場所へ立ち帰る」ことしかできないこの"力"は、「逃亡」にはいささか不向きなものではあるのだが。
「さ、行きましょ。あいつらしつこいし」
「ああ」
「あ、そうだ」
彼女の手を取り駅を離れようとしたその時、彼女が何か思いついたように声を上げる。
「どうせこの線路廃線でしょ。線路の上歩いて行かない? あたし、一度やってみたかったの!」
黒い瞳を爛々と輝かせる彼女。全く本当に、
「気まぐれだな、キミは」
「いいじゃない。どうせあんたならどんな時でもあたしを守れるでしょ? 今までだってそうだったじゃない」
……疎ましく思われているのか、信頼されているのか、彼女の感情は理解しかねる。
彼女の笑顔は、やっぱりどこかひねくれていて小生意気だ。それはいつもと変わらない。
「ふぅ……。承知したよ、姫君」
大げさに言ってのけてみせる。そして彼女の手を引いて、廃線となった線路に立った。
両腕を飛行機のように上げて、バランスを取りながらレールの上を歩く彼女。私はそれを見守りつつも、周囲に気を配る。
「さて、"今回"はどう来るかな……」
「ん? なんか言った?」
「何も」
左右に広がる枯れ草の草原。傍に立つと思いの外背が高く、何かが隠れていても気づくことはできなさそうだ。そんな場所に囲まれる中で無防備に体をさらけ出している私たちは、相手からすれば恰好の的だろう。……たとえ草原に身を隠したところで、連中相手では無意味なのだが。
しかし、私とて伊達に逃亡を続けてはいない。連中の出方を察知することくらいはできる。
神経を尖らせる。目を、耳を、鼻を、肌を、全ての感覚を研ぎ澄ませて警戒する。
そして……。
「あ……」
レール上を歩く彼女がバランスを崩してふらついた、その瞬間。
「――来たか」
私は彼女を抱きかかえ、草むらの中に飛び込んだ。
「ちょ、何よいきなり……」
「敵襲だ」
「え……?」
一瞬後、私達がいたレール上に、網のようなものが降ってきた。それは地に落ちた途端、強力な電撃を放つ。レールにも電流が流れていくのが見えた。連中の使う、拘束用の電磁ネットだ。
「よく気づくわね。まるで野生の獣みたい」
「言っていろ」
なるべく姿勢を低くし、草むらに紛れながら逃げ続ける。追手の数は……ざっと十はいそうだ。
一体作るのに莫大なコストがかかる機械装甲。追手はすべてそれで武装した機甲兵だろう。
片手で彼女を脇に抱え、コートから銃を取り出す。マガジンに込められているのは、かつての同胞が"力"を宿して託してくれた魔の弾丸。
「……そこか!」
横から迫る敵の先手を取る。音も無く放たれた弾丸が、「機甲兵という存在」を抉り取る。
腰から上が消滅し、機甲兵は悲鳴すら上げられずに死んだ。
「……何度見ても不気味な弾丸ね」
「この力を託してくれたのは私の同胞であり、キミの同族。そんなことを言うものではない」
彼女の軽口に答えながら、周囲の気配を探る。……一発たりとも無駄には出来ない。
「っ!」
私は次の相手の立ち位置を気取り、瞬時に動いて大きく立ち位置を変える。
「きゃああ!? ちょ、いきなり動かないでよ!」
「喋るな、舌を噛むぞ」
相手も特別な訓練を受けた兵士。この程度の動きで意表を突けるはずもない。
だが……。
「フッ!」
私と二体の機甲兵がほぼ一直線上に並ぶ。その瞬間に引き金を引いた。一人は胸から上が完全に消滅し、貫通した弾丸が後ろの機甲兵の上半身を大きく抉り取る。
「これでキミが自力で動ければもっと戦いやすいのだがな」
「ふん。あたしをこんな風に乱暴に抱きかかえることを認めてあげてるんだから、むしろ感謝してほしいわ」
「減らず口を……」
なるべく最小限の消費で機甲兵の数を減らしながら、草むらの中を駆け続ける。四方八方から銃弾が飛んでくるが、この草むらで狙いが定まらないのか、直撃を食らうことはない。
「あははっ。このまま逃げ切れるんじゃない?」
呑気に彼女が笑う。
……そう、ここまでは私もそう思っていられたのだ。
「…………」
私は無言で、彼女をその場に下ろす。彼女はきょとんとして私を見上げた。
「ここでじっとしていろ」
「な、何よ突然」
敵の機甲兵の数は十は下らない。同胞の"力"を持ってしても、規格外の戦闘力を持つ機甲兵の軍団を単独で捌ききれるはずがないのだ。
故に。
「……ここからが、戦いなのだ」
外套の内側から、もう一丁の銃を取り出す。同じ型、同じ刻印、同じ傷跡の、同じ銃を。
「あんた、それ……?」
「ここから先は一丁では足りない」
「え?」
「絶対に動くな」
「ちょっあんた……!」
彼女をその場に置き去りに、二丁の銃を手に疾走する。
「かかってくるが良い。私はここにいるぞ!」
大声で挑発し、両手の銃を乱射する。決して途切れること無く、しかし一発の無駄もなく、正確無比に。
敵の動きも、私の動きへの反応も、連携も、フェイントも、放たれる銃弾の弾道さえも読み切る。その全てに対する最適な対処法を引き出し、それを寸分の狂いもなく執行する。
彼女には一歩たりとも近づけさせない。
戦闘は続いていく。機甲兵の数を淡々と減らしていき、私は何時間もの間、彼女を守り続けながら戦い続けた。
機甲兵は、頭を、足を、あるいは全身を消滅させられ、次々と倒れていく。そしていつしか草原には、無数の奇形死体が転がっていた。
……"無数の"死体だ。
「チッ……」
壊れた銃を捨て、また新しい同じ銃を取り出す。
一丁の銃では足りなかった。二丁でも三丁でも足りなかった。だから私は、自分で数えるのも億劫になるほどの武器をこの戦場に持ち込んだ。
それでも。
「どうあっても、この先へは行かせないつもりか……」
無数の死体を踏み越えて迫る、無数の軍勢。その数は、百か、二百か。それどころでは済まないかもしれない。見渡す限りを真っ黒に埋め尽くすそれらはもはや人間とは思えず、何かこの世の理を外れた異質な存在ですらあるように思えた。
「……卑怯な手を使って乗り越えようとしても、結局同じ結末に至るしか無いのか……」
「さ、さっきから何ぶつぶつ言ってんのよ! ねえ、どうなってるのこれ!? なんで機甲兵がこんなにいるのよ!」
彼女もこの光景の異常さに気付いているのだろう。怯えたように声を震わせていた。
「無数の機甲兵」などいるはずがないのだ。……私が、「無数の銃」を持っているはずが無いのと同じように。
「ねえ、何か策があるんでしょ? ねえったら!?」
彼女は私にすがりついて喚く。
「どうするのよ! なんとかしなさいよ! 今までだって何とかしてきたでしょ!?」
彼女がここまで上辺だけの余裕を保てていたのは、今までの逃避行が結果として上手くいっていたからだろう。これまでは奇跡的に、こうまで追い詰められることはなかったのだ。
だが、今私達はこうして追い詰められている。その途端、彼女の薄氷のような儚い余裕は、呆気無く砕け散ったのだ。
「ねえ、お願いよ……」
それまで怒りと戸惑いをはらんでいた彼女の声が、色を変える。
「ここまであたしを守ってくれたじゃない。あきらめないでよ……あたしを、助けてよ……!」
絶望、悲嘆、そして、手放せずにいる一握の希望。
ああ……私は……"一体、何度君にその表情をさせてきたのだろうか"。
「…………」
私は周囲を取り囲む機甲兵の群れを見渡す。悪い冗談のような光景を、まるで安全な場所からガラス越しに眺めるかのように、傍観者めいた感覚で。
やはり、どうあがいても、"この先"には行けない。この世界はそう出来ているのだろう……。
「……ねえ。本当に逃げ切れないの? あんたでも?」
いつになく神妙に、彼女が問う。
どんな闇よりも暗い黒眼が、鏡面のように私を映す。硬く紡いだ口には、彼女の抱く覚悟がにじみ出ていた。
……これもまた、私が幾度と無く見た表情。
「……すまない」
ただ一言。それで伝わる。
「…………」
彼女は、大きく目を見開く。珠のような眼球が零れ落ちそうなほどに、大きく。
そして全てを飲み込むように、ゆっくりとまぶたを閉じた。
「……すぅ……」
胸いっぱいに空気を吸い込んで、空に顔を向ける。閉じた時と同じように、ゆっくりと目を開いた。
私も一緒になって上を見上げる。代わり映えのしない色褪せた空が、そこにあった。
「……しょうがないわね」
そう言った彼女は、まるで絶望など忘れてしまうような、晴れやかな表情で。
その表情が、私の頭の中の無数のフィルムとピッタリ重なる。
「…………。……そっか…………」
ただ、一言。
その一言に込められた想いははかり知れないほどに深く、重く。
ザァっと草原を吹き抜けた風が、彼女の遺灰色の髪を揺らす。その大気の流れを体いっぱいに感じながら、彼女は小さな口を開く。
……そして、彼女は紡ぎだす。
「……――♪」
あの、幾度と無く繰り返してきた、調子はずれの歌を。
「…………」
彼女は私の前に出て、いつものように楽しげに唄う。
場違いな歌声が響く。エンドロールを飾るにはあまりに稚拙で、幼稚な歌声が。
この瞬間、この一時だけは、まるで時間を止めたように、動くものは何もなかった。
草も、風も、機甲兵も、私さえ、ただその歌に耳を傾ける。
「私がキミを――守るから」
ありふれた流行歌の旋律は、いつものあの歌詞で、いつものように終わる。
彼女は私に振り向く。そしていつものように、生意気に笑うのだ。
「いつも言ってるでしょ。『世界の敵』になってでも、あたしがあんたを守るって」
「……そうだな。キミはいつも、そう唄っていた」
「ふん。上っ面だけじゃないわよ、ばーか」
……知っている。
この後に何をするかも、私は全て知っているのだ。
「あんたとの旅、案外悪くなかったわ」
「…………」
「……そんな顔をして。いつものあんたらしく、生意気に言い返してくれればいいのに」
彼女はからかうように笑い、私に背を向けた。
静かに両腕を広げる。それを合図にしたように、彼女の中で膨大な何かが膨れ上がっていく。
周囲の機甲兵たちが、声もあげずに銃を放つ。せき止められていた物が一斉に爆ぜるように、狂ったような弾丸の嵐が一点を目掛けて襲いかかる。
その一瞬、彼女はわずかにだけ、顔を私に向ける。
長い髪がいつものように目を覆い隠して、口元だけが覗いていた。
彼女は、私にだけ見えるように、唇を小さく動かす。
「――――」
……その言葉だけは、何度繰り返しても聞き取れない。
「っ……」
それは、何度繰り返し、何度終わりを迎えても、私に未練を打ち付けていく。
「――――ッ!」
そして私が、彼女の名を叫んだ瞬間。
――世界が、破れた。
世界が崩壊していく。彼女の、世界を滅ぼす力で。
まるで写真をビリビリと引き裂くように、世界が千切れていく。引き裂かれた写真がゴミ箱にばらまかれるように、何もない虚無の中へと、消えて行く。
視界の先で、力を失った彼女が倒れるのが見えた。壊れ行く世界の先で、虚無の中へと消えようとしていた。
「あああああああああああああああああああッ!!」
力の限りに声を上げ、手を伸ばす。
目の前で、崩壊した世界が闇に飲まれて消えていく。
手は届かない。声も、きっと届かない。虚無の奥底にある彼女に届くものは何もなく、やがて私も飲み込まれていく。
そうなる前に。
「――……"もう一度だけ"」
私は、"この世界を捨てる"。
――闇に飲まれる意識は、白い光に包み込まれる。
……彼女の歌が聞こえていた。
淡色の青空。枯れた草原。廃線になった駅。
傍らに立つのは、私が枝を折った木。……私の"栞"。
世界は平穏そのものだった。まるで何事もなかったかのように。
いいや、その表現には語弊がある。
"何も起こっていないのだ"。この世界では、まだ、何も。
……私の力は、「"栞"の下へ帰る」というもの。もしも帰るべき"栞"が無くなっていれば、時間さえも超えて、"栞"がある場所……私が"栞"を作った瞬間に帰ってくる。
まるで同じ場所から本を読み返すように、私は何度も同じ事を繰り返していた。
しかし、同じ本を何度読み返したところでバッドエンドの物語は書き換わらない。どんなに結末が気に入らない本であっても、その物語の世界は、その結末で閉じるしか無い。巡る運命の末路も、それと同じだった。
草原の中を駆けても、道を遡り戦っても、線路の上を歩いても。この"力"を駆使して世の理を外れた力を手にしたところで、至る結末は、全く同じ。こちらがこの世の理を破れば、世界もまた秩序を狂わせてまで、決められた結末へと導く。為す術も無く繰り返し、どうあがいても逃げられない。そして最後を悟った彼女が、世界を壊す。
「…………」
……私は一体、何を繰り返しているのだろうか。
救いたいのか、それとも救われたいのか。
あるいは、彼女が最後に決まって遺すあの言葉を知りたい……ただそれだけなのかもしれない。
初めの頃は、もっと別の理由があったのだろうか。彼女に対して、何か特別な感情でも抱いていたのだろうか。ともすれば、それはもっと人間らしい理由であったのかもしれない。
今となっては、もはや思い出せない。遠い昔に大切な何かを手放してしまったのだろう。
こうしている間も、彼女の歌が聞こえていた。
何千回と聞いた歌だ。ひょっとしたら、何万回かもしれない。あるいは、もはや言葉に言い表せないほどか。
数えきれぬほどに聞いた歌。その数はすなわち、私が捨てた世界の数。
「……世界の敵になろうとも、私がキミを守る、か……」
私は、何回この世界を壊したのだろう。
あと何回この世界を壊すのだろう。
……私は、あと何回彼女を殺すのだろう。
「……もう一度」
そう、もう一度。そう決めて、私はまた本を読み返す。
駅の階段を登り、また同じ物語の冒頭へと立ち返る。
その先に、今度こそは幸せな結末が書かれていると信じて――。