奇妙な檻 奇妙な獣
「バイトくんさぁ〜。ぜんぜん怖がらないんだねぇ。お姉さんつまんないよ」
「それはお互い様です。もっとキャ〜怖い〜助けて〜とか、そういうのを期待してたんですが……」
東さんは、俺のその言葉を聞いてゲラゲラと笑っている。
そうだよね。日常的にこんな場所を取材するようなホラー専門チャンネルの制作プロダクション勤務だもん。
いや〜ん、お化け恐〜い的な反応があるはずがない。
外見は垂れ目が可愛らしいふんわり系の美人なんだけどな。
しかも、今日は探索のためなのか長袖姿。
期待はずれな反応以上に、エロス要素が皆無とは残念なことこの上ない。
これは失策だ。まったくもって無意味なバイトなんでは無いだろうか?
いやいや、バイト代は結構……。
「しっかしさぁ、例の被害者のリスト。3日もかけて成果ゼロとは恐れ入ったね。音無さんに至っては、生存者でやんの。私も長いことやってるけど、あんな肩すかしは初めてだわ」
「……そうすね。炎天下を歩き回って痩せただけっすね」
「そう言うなって。ダイエットには丁度いいと思いなよ。こういうのは運もあるんだからさ。だから、今日はしっかり探索して証拠を見つけよう!」
「はいはい……」
俺は仕方なく、無気力さを強調しつつ返事を返す。
ダイエット? 東さんは無闇にダイエットをしないほうがいい。
今のくらいのサイズが俺としては好み……。
さて。今、俺達は何処にいるのか?
――裏野ドリームランドにいる!
あまりの成果の無さに業を煮やした東さんは、あろうことか直接、"裏ド"に乗り込むという暴挙に出た。
昼だというのに薄暗い園内は、錆びた金属とうらぶれたファンシー世界が融合し、まったく別物のテーマパークに生まれ変わっている。
裏野ドリームランドは廃墟になって数十年が経過している。
日本がバブル期に入る前に廃園し、その後も債権者以外には買い手も付かずに放置されているのだ。
金がうなるほど余っていたというバブル期の間でも買い手が付かないのだから、相当にアレな物件なのだろう。
遊園地が数十年も放置されていると園内のアトラクションが老朽化して危険なため、仕方なく自治体が解体をしたりするのだが……。
この裏ドはそういった危機を免れ、人知れず最高のホラー環境を整えていったようだ。
ここまで条件が揃えば、極一部の廃墟マニア達から聖地のように崇められていてもおかしくはない。
しかし、そんなことにはなってはおらず、逆にここは洒落にならないほど危険だと噂され、地元の人々ですら近寄らない。
何が危険なのか?
それは……よくわからない。
あまりに噂が多岐に渡るため、何が真実なのやら全くわからないのだ。
「ん〜。地図を見ると、この裏ドって誉響神代の聖地である山の中にあるんだな。ということは……ここの地主は教主か団体の持ち物なんじゃないか? やっぱり、地元民が近寄らないのや、買い手が付かないのは、これが原因なんじゃないかな?」
「ああ、この間言ってた新興宗教のことですか?」
「ばっかも〜ん。歴史を遡れば仏教伝来以前からある伝承、風習らしいぞ。それに単純な宗教とはちょっとちがうようだけどね」
そうなのか……。まあ、どうでもいいんですがね。
俺的にはバイト代が貰えて、おまけに東さんとちょっとでも肌の触れあいとかがあれば。
人生には潤いが必要です。
「need Moisture」
「ん? なんか言った?」
「……いえ。何も」
――俺達は園内に入ると事故があったというジェットコースターのレールを追いながら探索をし始める。
ボロボロに朽ち果て、所々が崩落しているレールは園内全体に張り巡らされているようだ。
廃園当時は1980年後半だっけか。
色あせた壁のビックリハウスや、錆でまだら模様になったティーカップ遊具。
恐怖の館の看板に覆い被さる魔女の首は、風化のためか今にも落ちそうな感じがして違う意味の恐怖を漂わせている。
当時はかわいらしかったはずのパンダや熊の乗り物も、鉄錆と経年劣化で擦れた色彩を纏い、虚ろな瞳を虚空に晒し続けていた。
これが……廃遊園地。
これこそが、裏野ドリームランドの今の姿……。
「おお、あった、あった。これがアクアツアーだな。まずはここの噂を検証してみようか」
「ちょっと……検証って。好き好んで恐怖体験なんてしたくないですよ?」
「おいおい、心霊現象やオカルトなんて信じてないって言ってたでしょ? それにそういうのもバイト代に含まれてるに決まってるじゃない。あんたも撮影補助兼、ボディーガードなんだからさ。さあ、いくよ!」
そう言うと東さんはアクアツアーの入口に張られた板きれをバリバリと素手で剥がし始めた。
……俺よりも強そうなんですけど。
しかし、ボディーガードですと?
自慢では無いが、俺の体は虚弱という言葉がジャストフィットするほどのナイスバディ。
小学校高学年とケンカをしたとしても、その日のコンディションによっては完敗を喫するほどだ。
安定して勝てるのは小学校3年生以下。もしくは室内用小型愛玩犬くらいまで。
人智の及ばない怪異が相手でも、その結果はさほど変わりはしないだろう。
――改めてアクアツアーの建物を眺めてみる。
ここは人口の河川やアクアリウムが設置された海洋生物ツアーを楽しめるアトラクション。
外周の川には人工的な熱帯林が生い茂り、カバやフラミンゴなどが棲息していたそうだ。
それを遊覧船で眺めながら巡ったり、中央の島にある水族館で様々な海洋生物の生態を観察できるのが売りだった。
特に水族館にある巨大アクアリウムは当時としては珍しく、裏野ドリームランドの目玉アトラクションとして話題になっていたらしい。
「よっしゃ。板を外したから入口から入れそうだよ」
「へ〜い」
俺はチラリと横を見ながら東さんの後に続く。
サイドの川方面から入れば入口の建物を通らなくても入れたと思うんだが。
まあ、それは言わないでおこう……。
入口の建物は改札口のようなもので、すぐに通り抜けて目の前に川が広がる桟橋の前へと出る。
アクアツアーの内部にある川は、ほとんどが干上がっており、奇妙なガス状の靄が川底に停滞している。
同時に腐敗したヘドロのような悪臭が立ちこめ、この先に入るべきではないと警告をされているような錯覚に陥ってしまう。
俺と東さんは野生動物の死骸や、野生化したフラミンゴに驚きながらも、中央の島にあるアクアリウムを目指す。
「フラミンゴいたな……。あれはさすがに肝を冷やしたよ。当時の子孫なのかねぇ?」
「たぶん生き残りです。大型鳥類は長生きなんですよ。フラミンゴは野生でも25年くらい生きますし。飼育されて外敵がいなければ50年ほど生きるとか」
「バイトくん詳しいな。それでこそ雇った甲斐があるってもんだ」
「たぶんここら辺は山や川も多いし、エサには困らないんでしょう。さっきフラミンゴ園のほうにネットの残骸が見えたから、断翼はしてないんじゃないですかね。飛べるなら生きててもおかしくはない。ここは習性でねぐらにしているだけなのかも」
「なんだい断翼って?」
「翼の片方を先端だけ切って一生飛べなくするんですよ。動物園なんかで野外に大型鳥を飼育していたら、大抵それをやってます。片方だけなのは両方切っちゃうと、バランスが取れて飛べちゃうからだとか」
「ふ〜ん」
とっておきの雑学ネタなのに、東さんからはさほど興味なさそうな反応が返ってくる。
ああ、くそ。こういう知識は来るべきデートのために取っておいたものなのに。
なぜ、業務用ハンディカムを片手に廃遊園地でビクビクしながら語らねばならんのか。
もっと雰囲気の良いところでなら、無様に聞き流されることもない……はずだったのに。
俺達はさらにずんずんと進み、ついに中央島の水族館の前へ。
ここはコンクリートで固められた立派な建物で、壁全体に蔦がビッシリと生い茂っている。
しかし、入口は厳重に封鎖されており、東さんでも破壊できそうにない。
園内の暗い陰鬱な雰囲気も相まって、まるで何かを閉じ込めておくための檻のようにも思えてしまう。
「む〜ん。こりゃまいった。さすがにチェーンで何重にも塞がれていたら、外せそうにもないね」
「ところで、なんでここに来たんですか? やっぱり噂があるとか?」
「うん。アクアツアーには開園していた当時から噂があってね。謎の生物がいるって噂だったんだ。細長い海竜みたいなヤツだったかな? 当時は園でもその噂に便乗して"ウラッシー"とか名付けてキャラクター化してたみたいだよ」
「なんか、仕込み臭いですね」
「……それがさ。廃園してからも出るらしいんだよ。噂ではこの中の巨大アクアリウムはまだ残っていて、そこを泳ぐ姿が目撃されてるとか」
「な、なるほど……」
なんだよ。お化けだけじゃなく、クリーチャーもいるってか。
だが、そういう噂が立っているのなら……すでに誰かがここに入っているはず。
案の定、裏口に回ると事務員用の通用口を発見。
この扉がバタリと倒されており、簡単に中へ入れるようになっていた。
「なんだ、やっぱり入れるところがあったんだ」
「なんか、地面がヌルヌルするね。気持ち悪いなぁ……」
「入るのよします?」
「何言ってんの! できるだけ明るいうちに探索しないとね。行くわよ」
俺は東さんに首根っこを掴まれ、ずるずるとアクアリウム内へ引き摺られていく。
そろそろ俺は、巨乳からの誘いを断れるようになるべきだ。
どうにもこの先は……嫌な予感がして先に進む気になれない。
建物の中に入ると、ムワっと獣臭い異臭が立ちこめる。
水族館の廃墟なので多少の臭いは予測していたが、これは……想像以上だ。
警備室とスタッフルームを抜け、水族館の売店の前に出る。
ここは水族館の最終地点だな。
通用口から入ったから、ルートが逆なのか。
様々な土産物が陳列棚から崩れ落ち、薄汚れたまま朽ち果てている。
動物の縫いぐるみが、無数に転がり飛び散っているのが目に付く。
数個が、まるで獰猛な犬がじゃれついたように、バラバラになって綿を飛び散らせていた。
野犬なんかが山奥に住み着いて問題になったりしてたよな。
いや、野犬ならまだいいのだが……。
「お〜い。ちょっとバイトくん。これを見てくれ!」
東さんが売店の隅でしゃがみながら何かを見つめている。
それは……ブルーシートや毛布などを重ねて敷いた寝床のようなもの。
人の手によるものというより、猿や犬程度の知能の動物がこしらえた巣のような印象を受ける。
「これってさ……なんかいるってことだよね。ん? なんだこのビニールの塊は? なんかの本かな?」
「そう思うんなら帰りましょうよ。野犬程度ならまだいいですが、ここらには……」
――そう言いかけた瞬間。
奥の方でガタンと何かの物音が聞こえる。
おいおい、いよいよマズイことになってきた……。
東さんは拾ったビニールの塊を太腿に括り付けた作業バッグに押し込みながら、泣き言をいい出している俺を叱責し始める。
「そんなわけにはいかないでしょ。まだアクアリウムも見てないんだし」
「今の音、聞こえたでしょ? やっぱ何かいますって!」
「あのね。何かいてくれなきゃ来た意味がないでしょ。いまさらビビってるの? さあ、行くわよ!」
どうも東さんの様子がおかしい。
これまでも男勝りな面はあったが、今の状態は何か……興奮しているというか。
まるで、何かに取り憑かれてしまったかのように先を急いでいる。
俺は彼女の行動を気に掛けながら、なるべく離れないように東さんの後を追う。
廃水族館の中はほとんどもぬけの殻で、壁に仕込まれた小型、中型の水槽のガラスはすべて割られているか抜き取られていた。
想像していた様な魚類の死骸などはなく、ただ外からの日差しに照らされた廃墟が続くのみ。
この様子だと、数十mもあるという巨大水槽は残ってはいないのでは……。
そう感じ始めた頃、突如開けた大広間に出る。
そして直前の予感を裏切るかのように、目当ての水槽は昔のままの姿で静かに佇んでいた。
想像していたものよりも大きい……。
横幅はざっと20mほど、高さは6〜7mといったところか?
壁の一面をその水槽は埋めており、現代でも見応えがあるほどの立派な作りになっている。
ただし、肝心の水は長年放置されていたためか、水草や藻で酷く濁っている。
これでは何かが泳いでいてもまったく気付くことはできなさそうなのだが。
「なんだ……これじゃ、怪物がいてもわかりませんね」
「………………」
「……東さん?」
部屋に入るなり、東さんは黙ったまま水槽のある一点を見つめている。
なんだ? 何を見て………………!!!
しばし、彼女の見つめる先に視線を泳がせる。
微かな藻の隙間。
女の……顔がある。
真っ白な顔で何かをぼんやりと眺めているような……。
深い藻に隠れているために鼻の下までしか見えない。
正面を向いてはいるものの、どうやらこちらには気付いていないようだ。
「な、なんで水中に……。あ、あれ、女の人ですよね?」
「………………」
東さんはその光景に釘付けで、撮影をするのも忘れて呆然としている。
なんだ……本当におかしいぞ?
俺は再び視線を女の方に戻すと、彼女は横向きになって泳ぎ出していた。
ビッシリと覆われた藻のために依然として顔だけしか見えないが、スゥ〜っと薄汚れた水中を移動して……。
――なんてことだ。
女は確かに移動していた。
だが、移動していたのは女の顔。
そう頭だけ。
上顎から下は存在していない。
ふわふわと女の顔だけが1mほどの長い髪の毛を漂わせながら水槽をゆっくりと泳いでいる。
ふと、ジェットコースターでの事故の話しを思い出す。
あの事故の犠牲者……? まさか……。
あまりの衝撃に声を出すこともできず、口だけを無意味に動かしてしまう。
だが、恐怖はこれだけでは収まらなかった。
その女の顔を追うように巨大な薄橙色の物体が水音を立てて動き出していた……。
3mはあろうかという細長い動物的な何か……。
「東さん! 逃げますよ!!」
俺はそう叫びながら彼女を担ぎ上げ、水族館の入口まで猛ダッシュを始める。
追い詰められた人間の力はすごい。
女性とはいえ、ひ弱な俺が人ひとりを抱きかかえて走っている!
息を切らせながら売店の入口まで滑り込むと、目の前に茶色い物体があり、激突して転げてしまう。
地ベタに寝そべったまま、つまずいた物体に目を向ける。
1.5mほどの黒い毛の塊。
その塊は俺達との接触で驚いたのか、廊下側に逃げてこちらの様子を窺っている。
躓いた毛の塊の正体は……ツキノワグマ。
嫌な予感が的中した。
こいつらは関東周辺にも棲息し、度々、騒ぎになっている厄介者だ。
売店にあった寝床はコイツのだったのか?
普段は臆病なはずの彼らだが、先程の衝突で突き飛ばして怒らせてしまったようだ。
すでに興奮状態になって立ち上がり、こちらを威嚇し始めている。
その立ち姿は俺よりも大きく170cmくらいはある。
さらに不味い事に東さんは衝突のショックで意識を失ってしまっているようだ。
「万事休すか……」
思わず呟いてしまう。
しかし、それと同時に何かが近づいてくる音が聞こえる。
どたどたと素足で地面を乱雑に踏みしめる音。
なんだ……どこかで聞いたような……。
音の主は売店にどんどん近づいてくる。
まるで何十人もの人間が板張りの部屋で祭でもしているかのような足音。
こちらを警戒していたクマも、その音に気が付き廊下を振り返る。
突如、何かが激しくぶつかる音と共にクマの体がしなり、廊下の窓ガラスを破って放り出されてしまう。
大きさからして7〜80kgはありそうなクマが、軽いゴムまりのように弾け飛ぶとは……。
外へ飛ばされて驚いたのか、クマはそのまま走って逃げ去ってしまった。
それと同時に廊下側から、得体のしれない息吹が聞こえ始める。
「……せ、な。……っな……せ……」
なんだ……これ。
やがてクマを弾き飛ばしたであろう物体が廊下側から姿を覗かせる。
人肌のような薄橙色のヌラヌラとした胴体をくねらせ円筒状の頭部をこちらに向けている。
いや、これは頭部なのか? 胴体なのか?
直径80cmほどの筒状の肉体の先端には何も無く、なめらかな肌が奇妙な粘液にまみれて艶めいている。
その姿はまるで血管が浮き出た魚肉ソーセージのような……。
恐怖で凍り付き、身動きできずにそれを凝視していると、先端が横一文字に開きはじめる。
そして……中からは巨大な"唇"が現れていた。
「あ……そぼぉ?」
予期せぬ幼い女の子の声。
その声と同時に俺の体は恐怖に耐えかねて飛び上がり、東さんを小脇に抱えながら再び猛ダッシュを始めていた……。