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7話 アネモネの花 上

長かったので分割しました。

……こいつは、いけねえ。


 クリフは道端で胃の中身を全てぶちまけた。

 突然の体調不良に襲われたのである。目が霞み、体の節々が動かない。高熱があるようだ。


 これは日本で言うところのインフルエンザであった。

 インフルエンザは冬の病だと思われがちではあるが、春先にも思わぬ流行を見せるときがある。


 マカスキル王国の医学は現代日本と比べるべくもない。インフルエンザは命取りの恐ろしい病だ。


 クリフも旅の用心として薬は持ち歩いているが、飲み込んでも胃液と共に吐き出してしまう。


 なんとか、木の陰まで歩き、うずくまった。

 この時代の旅人とは野生の獣と同じだ。体調が悪くなればじっと身を丸め、回復を待つのみだ。


 脂汗を流しながら、目をつぶる。

 幾度か旅人や馬車が通ったが、クリフに目も向けずに通りすぎた……これは不人情ではない。街道には病人や死人のふりをして、旅人を襲う不届き者もいるのだ。当たり前の用心と言える。


 かさり、と何者かが近づく気配がする。


「もし、どうなされました?」


 クリフは霞む目で相手を見上げた……若い男だ。意外と声が高い。


「……お構い無く……旅の疲れが出たようで……」


 クリフはやっと、それだけ答えると気を失った。


「これはいけない……気を確かに。」


 遠くなる意識のどこかで、女のように甲高い若者の声がした。




………………




「ここは……?」


 クリフが気がつくと、見覚えの無い部屋であった。


「お気づきになりましたかな?」


 見知らぬ年老いた男が声を掛けてきた。クリフは訝しげに尋ね返した。


「ここは……一体?」

「ここはバシッチの村、私は医者のオセロ。……ふむ、大丈夫そうですな。」


 オセロの言うところによると、クリフは感冒(インフルエンザ)を病み、連れに運び込まれたという。


「連れ……ですか?」


 言うまでもなく、クリフに道連れはいない。

 少し考え込んでいると、ガチャリとドアが開き、若者が入ってきた。

 若者は二言三言、オセロと言葉を交わし、オセロと入れ替わりで部屋に入ってきた。


「ご気分はいかがですか?」


 若い女だ。クリフを助けてくれた声の高い男は、若い娘だったのだ。

 男装をしているが、これは旅の用心だろうとクリフは判断した。


「どこのどなかた存じませんが、お陰さまで命拾いしました。私はクリフという冒険者です。」

「やめてください。病人を助けるなど、当たり前のことをしただけです。」

「いえ……お嬢さんのような方が、行き倒れの冒険者を助けるなど……」


 そこまで言って、クリフは若い女の表情の変化に気がついた。

 何やら口をへの時に結んで「むむ」と唸っている。


「どうされました?」

「いえ、その……私は、女に見えますか?」

「はい、それが何か…」


 女は「はあっ」と大きな溜め息をつき、自己紹介を始めた。


「私はハンナ・クロフトです。クロフトという小さな村の村長の娘でした……一応、男に変装してたんですけどね。」


 ハンナ・クロフト……姓があるというのは貴族である。

 貴族の娘が一人旅とは何やら事情があるに違いない。

 旅を遅らせてまでクリフを助けてくれたのだ。

 クリフは深く感謝をした。


「ありがとうございましたクロフト様。このお礼は必ずいたします。」


 クリフがベッドから身を起こすと、ハンナは「いや、お楽にしてください」とクリフを制した。


「まだ、お休みになってください…クリフさん。また明日、顔を出しますから。」


 ハンナと名乗った若い女は部屋を出ていった。


……貴族に、借りを作るとはな……


 クリフは、命が助かったという安堵と、命を助けられたという負い目を感じながら、眠りに落ちていった。




…………




 翌日になると、クリフの体は嘘のように軽くなった。村医者のオセロも「もう大丈夫」と太鼓判を押してくれた。

 クリフはオセロに十分な礼を渡し、謝意を伝えるとオセロは満足そうに部屋を出ていった。


……一体、何日たったのだろう?


 クリフは身支度をすると外に出た。すでに日が高い。

 気づかなかったが、ここは宿屋だったようだ。精算すると、4日も寝ていたらしい。


「もう、大丈夫なんですか?」


 後ろから、ハンナが声を掛けてきた。


「ありがとうございました、クロフト様。お陰さまですっかりと良くなりました。」


 クリフの言葉を聞くとハンナはニッコリと微笑んだ。まるで花が咲いたかのような美しさだ。


「クリフさん、なぜ私が女だと見抜かれたんでしょうか?」

「……クロフト様、例えば、私が女装をしたら似合いましょうか……そういうことですよ。」


 クリフの答えを聞いてハンナは口許を押さえて「あはは」と笑い声を上げた。明るい娘なのだろう。


「ぷふ……失礼しました。そうですね。始めから無理があったのかもしれませんね……ぷっ」


 ハンナはなかなか笑いが治まらないようだ。笑い上戸なのかも知れない。

 少し間をおいて、ハンナはクリフと向かい合い、真面目な顔でクリフを見つめた。


「クリフさん、あなたは冒険者と伺いました。」

「左様です、クロフト様。」

「今回のことを恩に感じてくれているとも。」

「はい。」


 しばらく、間があった。

 ハンナも少し緊張した様子だ。


「私をジンデルの町まで護衛していただけませんか? もちろん、報酬はご用意します。」


 ジンデルの町とはジンデル辺境伯領の首府だ。クリフは自由都市ファロンに向かっていたため逆方向となる。

 だが、そんなことは関係なかった。何せハンナ・クロフトは命の恩人なのである。否やはあろうはずも無い。


「クロフト様、報酬は必要ありません。ただ、頼むと一言頂ければお供いたします。」


 これにはハンナが驚いた。

 正直なところ、冒険者の社会的な信用は低い。

 破落戸ごろつきや犯罪者よりはマシといった荒くれ者が多いのだ。

 しかし、実際に会ったクリフは礼儀正しく、義理を知っている。


 実際のところは、貴族に借りを作ったままにしたくないクリフの処世術ではあるが、ハンナは感動してしまったのだ。

 世間知らずなのだろう。世間知らずと言えばクリフを助けたのも正にそれだ。

 「冒険者は死に損」というのはこの世界の不文律なのだから。


「クリフさん、よろしくお願いします。」


 クリフとハンナの……冒険者と貴族の娘の奇妙な道中が始まった。




………………




 ハンナとの道行きは、旅慣れたクリフにとって驚くほどのんびりしていたが、病み上がりのクリフにとっては程よいリハビリとなった。


 道行きとは退屈なものである。ぽつりぽつりとハンナは事情を話始めた。


 ハンナの旅の目的とは仇討ちだった。とは言っても、先を急ぐ必要は無い。仇の所在はハッキリしている。

 仇の名前はミルトン・マロリー。ジンデル辺境伯に仕える騎士だ。

 ハンナのクロフト家も同じくジンデル辺境伯に仕える騎士の家であった。

 しかし、ハンナの兄のバーナード・クロフトとミルトン・マロリーは折り合いが悪かったらしく、度々といがみ合い、去年の暮れにはとうとう決闘となった。理由は「故あって」としか伝わっていない。

 結果、ハンナの兄は死んだ。

 この決闘はジンデル辺境伯の認めた正式なものであり、ミルトン・マロリーは罪に問われることは無い。

 バーナード・クロフトに子はなく、クロフト家はハンナの叔父が継承した。

 ハンナはどうしてもミルトン・マロリーが許せなかった。大好きな兄を殺された妹は仇討ちを決意した……ハンナに剣術の心得があったことも理由の一つではある。

 ハンナの母も叔父も決闘は正式なものであり、仇討ちの無益を説いたのだが、僅か17才の娘の情熱は止めることができず、雪解けを待って家を飛び出した……。


 大体はこのような所である。


 クリフは呆れた。つまるところ、ハンナは世間知らずなのだ。少し剣を使えるからといって女の細腕が騎士に敵うはずも無い。


 ハンナはクリフから見ても美しい。今は男装をしているが、燃えるような赤毛、ブラウンの瞳を持つ目はややつり目がちだが大きくパッチリとした二重まぶただ。顔の造形も整っており、引き締まった肢体も相まって健康的な美しさがそこにはある。

 仇討ちなど止めて花嫁修行をし、どこか良い嫁ぎ先を探すべきだ。


 だが、当の本人はやる気に満ち溢れているのである……クリフにはなんとも仕様がない。




……………… 




 僅か7日ほどの道中ではあったが、ハンナは度々にクリフに剣の手合わせを所望した。

 自信があるだけはあり、ハンナの剣はカルカス流という本格的な曲刀術で、クリフを驚かす程に鋭かった。

 しかし、クリフはあえてハンナを叩きのめし続けた。ハンナに仇討ちを諦めさせるためだ。

 クリフの剣は生きるための剣だ。綺麗も汚いもない。

 時にバックラーで陽光を反射させ目を眩ませ、時には口に含んだ水で目潰しもした。

 その度にハンナは「卑怯」と罵ったが、クリフに容赦は無い。

 その内にハンナがクリフの剣に慣れ、対応を始めたのはクリフも驚いた。ハンナは明らかに剣に才能があったのだ。


 そして、ジンデルの町に着いた。




………………




 宿をとり、部屋に向かった。マロリー家は代々騎士としてジンデル辺境伯を支える家柄で、領地ではなくジンデルの町に屋敷を構えているのだ。


 クリフが部屋で寛いでいると、ハンナが部屋を訪ねてきた。貴族の娘としては少々はしたない。


「クリフ……私、勝てるかな?」


 勝ち気なハンナもさすがに弱気になっているようだ。

 ここ数日は打ち解けてきたのか言葉遣いも気安いものになっていた。


「……勝負は時の運と申します。」


 クリフが言葉を濁すと、ハンナは「ハッキリ言って」と詰め寄ってきた。


「少々、厳しいかと……。」


 クリフが告げるとハンナの顔色が曇った。


「クロフトの村に帰られますか?」


 クリフが尋ねるとハンナは「いやだ」と答えた。まるで幼児だ。

 やや沈黙があり、ハンナはクリフを見つめた。やや瞳が潤んでいる。


「クリフ……私が死んだら、泣いてくれる?」

「さて、その時になりませんと。」


 クリフが正直に話すとハンナは「正直ね」と儚げに笑った。


「ごめん……弱気になってたみたい。ありがと。」


 そう呟くと、ハンナはクリフの部屋を出ていった。


……俺は何をやってるんだろう?


 クリフは「ふうー」と大きな溜め息をついた。

 自分は恩義を受けたハンナに同行している身だ、意見を言う立場ではない。しかし、ハンナをみすみす見殺しにしても良いのか……クリフは眠れぬ夜を過ごすことになった。

 クリフの口からまた「ふう」と溜め息が出た。




………………




 翌日


 ハンナは念入りに身支度をして宿を出た。ある種の覚悟を得た凛としたその姿は、クリフからしても目を見張る美しさであった。


 クリフも立会人として同行する。

 とうとうマロリー邸に辿り着いた。


「お頼み申します。バーナード・クロフトの妹ハンナがミルトン・マロリー殿に所用があり、参りました。お取り継ぎをお願い致します。」


 まるで道場破りのような口上でハンナが取り継ぎを頼むと、マロリー邸はざわついた。

 当たり前ではある。ハンナの体からはただならぬ気迫が溢れているのだ。


 下男が「しばしお待ちを」と駆け込んでいった。



…………



 しばらくすると、上品な貴婦人が邸内から現れた。

 年の頃は30代半ばであろうか、美しい女性だ。


「ミルトン・マロリーにご用と伺いました……こちらに」


 貴婦人の指示で馬車が手配され、貴婦人とハンナが2人で馬車に入った。

 クリフは当然、徒歩で馬車に続く。



…………



 そして、馬車が止まった。

 郊外の墓地のようだ。

 貴婦人の案内で墓地を進む……そして立ち止まった。


「我が夫、ミルトン・マロリーはこちらです。」


 貴婦人が墓を示した。たしかにミルトン・マロリーと読める。


「昨年の決闘のおり、傷を負い……間もなく亡くなりました……。」


 決闘は相討ちだったのだ。

 ただ、ハンナの兄は即死、マロリーは時間を置いて死んだという違いがあるだけだ。


「うそ……」


 ハンナ呆然と墓を見つめた。その目はどこか焦点が定まっていない。


「我が子、エドモンドが当主ではありますが、まだ年若く、私がご案内をいたしました。」


 貴婦人がハンナに語りかけるが、ハンナの耳には届かないのか、ぼんやりと墓を眺めるばかりだ。


 貴族の間に割り込むのは非礼だが、さすがに心配になったクリフが貴婦人に断りを入れてハンナに声をかけた。


「クロフト様、村に戻りましょう。」

「クリフ……なんで、仇……」


 明らかにハンナは混乱している。命を捨てて挑まんとした相手は死んでいたのだ……現実が受け入れられていない。


「クロフト様、御免っ!」


 クリフがハンナの頬を張った。バチンと乾いた音が周囲に響いた。


 ハンナがハッと我に返った。


「帰りましょう、クロフト村に。」


 クリフが再度告げるとハンナは貴婦人に非礼を詫び、辞去した。




 貴婦人の寂しげな姿がクリフの印象に強く残った。

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