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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
2章 壮年期

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閑話 運命の君 下

 2日後



 お茶会の時間となり、トバイアスはアリス・チェンバレンの姿を探す。


……遅いな、来ないのかな?


 どれほど人混みに紛れようが、今の彼が彼女を見つけられぬ筈がない。

 思春期の恋とはこう言うものだ。


 ちなみに、このお茶会は年少者の集まりであり成人している2人の兄はいない。


「兄様、落ち着いて。約束したんだから、ちゃんと来るよ。」


 クラウディアが落ち着かぬトバイアスを(たしな)めた。


……うん、それはわかる……心の清らかな彼女が約束を破る筈がない。


 トバイアスは良く知らないアリス・チェンバレンの心が清らかだと決めつけているが、これは思春期の妄想である。

 この年頃の男子は好きな女子の事をゲップもしない清らかな存在だと思い込む事が多い。

 彼もまた、アリス・チェンバレンを美の女神の化身か何かの様に思い、信仰に近い感情を抱いている。


……来た!


 トバイアスはアリス・チェンバレンの姿を見つけるや素早く近寄り、エスコートを申し出る。


 この様子に周りの者たちがざわめいた。


 いつもやる気の無い様子で欠伸(あくび)ばかりしているトバイアスが、見知らぬ少女を嬉々としてエスコートしているのだ。


「紹介しよう、彼女はアリス・チェンバレン。かの猟犬クリフの御息女だ。」


「「おお」」


 トバイアスがアリス・チェンバレンを紹介すると、驚きともため息ともつかぬどよめきが起きた。

 好奇の視線が彼女に集中する。


 アリス・チェンバレンはドレスの端をつまみ上げ、軽やかにお辞儀をした。

 少し気取った仕草ではあるが、彼女は王都の権門に連なる身なのだ。辺境の貴族とは違って当たり前だと皆が感じた。


「皆様、本日はよろしくお願いいたします。」


 鈴のように凛とした良く通る声で彼女が挨拶をすると、何処からともなく拍手が巻き起った。


 最早、このお茶会はアリス・チェンバレンにジャックされていた。


 可憐な容姿に明るく人見知りをしない性格、そして話上手で表情豊か……すぐにクラスで人気者になる転校生のようなものだ。

 少し遅れた登場も、皆が彼女を出迎えたようにすら感じられる。


 多くが彼女に群がり、猟犬クリフの話を聞きたがった。


 彼女の話は面白い。


 猟犬クリフのみならず、姫剣士ハンナ、隻眼ヘクター、雲竜ギネス、鬼姫ドーラ(なぜか物語になるとスジラドでは無く彼女が登場するようだ)……彼女は舞台や講談のヒーローたちの話を表情豊かで臨場感たっぷりに語り続ける。

 これで面白く無いはずがないのだ。


 トバイアスはいつの間にか彼女と離れた場所に追いやられ、強い不満を感じていた。


……くそっ、俺が彼女を呼んだんだぞ。


 トバイアスは不満気な表情を見せた。


 無論、この状況に反発する者もいる。

 その者らはトバイアスの表情を見てすり寄り、口々にアリス・チェンバレンの陰口を叩いた。


 トバイアスがアリス・チェンバレンの態度に気分を害したと勘違いしたのだ。


 実はこのお茶会に招かれている子女の中には、トバイアスとしたしくなれとおやに命じられている者も少なくは無い。

 三男とは言え、次期公爵候補の息子である。

 親しくして、あわよくば……と下心を抱いても無理はない。

 実際に、彼の婚約者候補も何人かはこの場にいるのである。


 トバイアスはこの手の権力に擦り寄る人間を幼少の頃より知り抜いている。


……なんて詰まらない奴らだ。


 トバイアスは自分の取り巻きを見てため息をついた。


 彼がもう少し年を取れば、この手合いにも使い道を見いだせるはずであるが、彼は若者の潔癖さで嫌悪しきっていた。


……それに比べて、アリスの美しさはどうだ! 可憐でありながら誰にも媚びず、まるで野に咲く花のようではないか!


 現実を言えば、彼女が誰にも媚びないのはしがらみが無いからである。

 アリス・チェンバレンの父は一介の浪人貴族であり、宮廷政治とは関わりがないため、周囲のご機嫌取りをする必要が無いのだ。


 しかし、それに気づかぬトバイアスは彼女の人格の高潔さがなせるわざだと思い込んでいる。


 普段の彼ならば、その鋭い感性で本質を見抜いたろうが……恋は盲目なのだ。


 トバイアスは軽いため息をついてアリス・チェンバレンを終止眺めていた。



…………



 時が至り、お茶会もお開きの時間が迫る。


「兄様、いいの? 終わっちゃうよ?」


 妹のクラウディアが兄を気づかって耳打ちをした。


「まあ、な……仕方ないだろうな。」


 実はトバイアスはほとんどアリス・チェンバレンと話す機会が無かった。


……仕方ないな。そもそもチャンスが無かっただから。


 彼はいつものように「仕方ない」「こう言うものだ」と自分に言い聞かせた。


 いつの間にか覚えた、自分への言い訳である。


 この煮えきらぬ兄の態度にクラウディアは苛立った。


「そう! 兄様にとって彼女はその程度のものなの!」

「そんな筈は無い!」


 つい、声が大きくなる。


 そしてトバイアスは周囲の注目が集まっていることに気がついた。

 アリス・チェンバレンもこちらを見つめている。


……やられた!


 見ればクラウディアがニチャリとした嫌らしい笑みを浮かべた。


 クラウディアはわざと周囲の注意を引いたのだ。

 トバイアスはこの場をとりなすために何らかのアクションを起こす必要に迫られた。


……いや、これはチャンスだ!


 トバイアスは彼の持つ優れた感覚が、勝負どころが来たと告げているのを感じた。


「彼女は情熱を求めている……そうだろ?ディディ。」


 トバイアスはクラウディアに穏やかに告げると、注目の中を進む……そしてアリス・チェンバレンの前で立ち止まった。


「アリス・チェンバレン、貴女は野に咲く花のように気高く美しい。貴女は野に咲く花のように、私の心をこれ程までに揺さぶるのに何も求めない。」


 トバイアスが歯の浮くような褒め言葉を口にした。

 貴族は女性と向き合うときは敬意を持ち、美しさを讃えるのが礼儀である。


「もし、貴女に定められしお相手がお見えにならないならば、私に貴女の父上に婚姻を申し入れるご許可を頂きたい。」


 周囲が「きゃあ」と黄色い悲鳴を上げるのを耳にした。

 宮廷での生活とは退屈なものである。他人の恋路の話題などは老若問わずにご婦人方には大好物だ。


「もし、定められしお相手が見えるのならば、私に挑戦のご機会をお与えください。」


 周囲が「どっ」と盛り上がった。

 「挑戦の機会が欲しい」とは、既にいる婚約者と決闘させろと言う意味だ。もちろん、景品は彼女自身である。


 現代人の感覚ではいかにも野蛮な申し出ではあるが、戦国の気風の残る時代である……男は強さが美徳なのだ。


 アリス・チェンバレンは落ち着きながらも少し困った顔を見せた。


 実は彼女は若干10才にて同年代の男子から4度も愛の告白を受けている……もの慣れしているのだ。

 絶世の美貌という訳では無いが、何気ない仕草が不思議と男好きするのである……まさに魔性の女だ。


「トバイアス様、少し二人で庭などを見ませんか?」


 彼女はやんわりと明言を避け、二人で話がしたいと申し出た。


「無礼な! トバイアス様への答えをはぐらかすとは!」


 突然にトバイアスの後方から声が上がる。

 先程、トバイアスのそばでアリス・チェンバレンの悪口を言っていたグループのリーダー格の少女が声を上げたのだ……トバイアスの記憶では彼女は彼の婚約者候補だったはずである。


「無礼はどちらですか、私とトバイアス様の話に割り込むとは恥を知りなさい。」


 アリス・チェンバレンがぴしゃりと少女を(たしな)める。


 周囲の「ほうっ」とため息をつくような感嘆の声に混ざり、僅かに失笑が漏れ聞こえる。

 抗議をした少女は公爵領の有力貴族の娘だ。いつも親の権勢を鼻にかけ、皆から好かれるタイプでは無かったためだ。


 少女は怒りで顔を赤くし、なおも言い募ろうとしたが、クラウディアが止め強引に引き離した。


 彼女の実家は中立派であったのだが「娘が恥をかかされた」としてこれ以後はダリウス派についてしまう。しかし、ここでは関係の無い話である。



 彼女は「ふう」とため息をつき、改めてトバイアスに向かい合う。


「お気持ちは嬉しく思います、トバイアス・ジンデル様。私には定められしお方はおりません。」


 周囲が「おお」と声を上げ、トバイアスも少し安堵した。しかし、彼女の言葉は彼の思いもよらぬものであった。


「ですが」


 彼女は力を込めて強い言葉を吐く。


「私は父クリフォードより、自らの伴侶を選ぶ許可を得ております。クリフォードは私が誰よりも愛し、愛される男性を夫とするようにと願っております。」


 周囲がざわつく、これは婚姻で縁をつなぎ、勢力を拡げる貴族の社会では考えられないことだ。


「わかりましょうか? 父の私への愛の深さが。 」


 トバイアスはごくりと(つば)を飲んだ。アリス・チェンバレンに気圧されているのだ。


「それ(ゆえ)に、私は常の男子(おのこ)を伴侶とはしません。父の愛に応えるためには、父を超える真の勇士を選ばねばならぬからです。」


 周囲が静まりかえる。


「トバイアス・ジンデル様、貴方は猟犬クリフに勝る強者(つわもの)ですか?」


 トバイアスは何も言えなかった。

 正直なところを言えば、衆人の前で愛を告げれば、公爵に連なる自分が拒まれるはずは無いとどこかで計算していた。


「貴方に猟犬クリフをひしぐことができましょうか?」


 トバイアスは先日見た猟犬クリフの勇姿を思い出し絶望した。


……無理だ。今の俺には、今の俺では……


 会場はシンと静まりかえっている。

 トバイアスの言葉を待っているのだ。


「無理でしょう……今の私では。」


 アリス・チェンバレンの大きな瞳に失望の色がうつった。臆病者に対する侮蔑すら込められているかもしれない。


 これに気づいたトバイアスは黙っている訳にはいかない。彼にも男の意気地がある。


「今の私ではと申しております。」


 トバイアスが(きつ)と目に力を込める。

 今まで泰然としていたアリス・チェンバレンの表情が緩んだ。くすりと笑うだけで、その場の空気が和らぐのを感じる。


「待ちませんよ。」


 アリス・チェンバレンの答えは公爵の孫に対する言葉ではない。常識で考えれば目も眩む不敬である。

 しかし、これを感じさせないのが彼女の魅力(カリスマ)なのだ。


「励みましょう。」


 トバイアスは決意を込めて強く言葉を口にした。



…………



『公孫トバイアスが猟犬クリフの娘に求婚した』


 この話は宮廷内で一気に拡まり、退屈な日々を送る人々を楽しませた。


 13才の貴公子が、英雄の娘に求婚し、娘は「私が欲しければ我が父を超えよ」と条件を突きつける……実に「絵になる」光景ではないか。

 いかにも貴族好みである。


 人々はトバイアスの一挙手一投足に注目をし、彼が変わったことを知る。


 万事に対し無気力で興味を示さない少年は、すでにいない。


 武技に馬術に座学……彼は驚くほどの努力家となった。


 もともと努力をしてこなかった彼には効率的な努力の仕方がわからない。全てに於いて体力の限界まで学び、倒れるように眠る。


 剣槍の稽古は気を失うまで続け、馬術では(もも)の皮が破れ、座学ではナイフで手を突きながら学ぶ……まさに鬼気迫る様子であった。


 この様な無茶が可能であったのは、若さと彼の持つ肉体と精神の壮健さ故であろう。


 元々が明敏な頭脳と優れた肉体を持つ彼である……1年が過ぎる頃には同年代に並ぶ者は無く、2年経つ頃には教師が舌を巻いた。


 世間は眠れる虎が目覚めたと言い、天才だと誉めそやした。


 両親が、教師が、兄妹がどれほど奮起を促しても柳に風と受け流していたのに、たかが恋をしただけてこれほど人が変わるのだろうか……?


 変わるのである。

 10代の若者とはそうしたものなのだ。

 そう言う意味では、アリス・チェンバレンはトバイアスにとって運命の女性であったろう。



 後に彼はジンデルの黄斑(こうはん)(虎のこと)と呼ばれ恐れられ、40年に渡り公爵領の元帥を勤める。

 そして軍の階級を定め、常備軍のいしずえを築いたことで、後の世に「近代軍制の祖」と呼ばれることになるのだが……それはまた、別のお話である。

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