3話 血槍のジュード
少年は腹を空かせていた。
山道を歩き続け、疲労は全身にベッタリと貼り付いている。
頭上では、タスクホークという鳥形のモンスターが彼の死肉を啄む為に、今か今かと彼の死を待ちわびていた。
「はあ……はあ……」
無理もない。旅をするような装備も無しに、食も無く、歩き続けて3日ほどになる。
遂に、倒れた。
………………
目が覚めると、男が火の番をしていた。
「気がついたか。」
男が少年に語りかけた。
40がらみの男だ。痩せていて、どこか顔色が悪い。
「行き倒れか?……まあ、珍しくも無い。取り合えず、これでも飲むんだな。」
男は少年に干し肉のスープを差し出した。
少年は皿を舐めんばかりにスープを貪る。スープはすぐに無くなった。
「ふん……中々の食いっぷりだな。坊主、名前は? 何で行き倒れた?」
男が尋ねると少年はクリフと名乗った。そして事情をぽつりぽつりと語った。
珍しい話でもない。
少年の……クリフの村が襲撃され、略奪を受けたのだ。
彼は母親の機転のお陰で助かったらしい。
村で唯一生き残ったクリフには生きる術も無く、村を捨て……そして行く当ても無く行き倒れた。
「ふん……折角だ。戦い方を教えてやる。仇が討ちたいだろう?」
男は何の気まぐれか、クリフの面倒を見るようになった。彼はジュードと名乗った。
………………
翌日
「おいっ、仕事だ。今から下の街道を馬車が通る。そいつらに上から石をぶつけろ。早く石を集めてこい、沢山だぞ、山ほど集めろ。」
ジュードがクリフに指示をする。クリフには意味が分からない。
「何で?そんなことを……?」
いきなり拳が振るわれた。頬を殴られたクリフが倒れ込む。
「なんで、だと? 仕事だと言ったろう、馬鹿め。急げ、時間がない。」
クリフは訳もわからず、石を集めた。
ジュードはいつの間にか姿を消した。クリフには全く意味が分からない。
…………
馬車が、来た。
男が3人、御者に護衛だ。
クリフは力の限り石を投げつけた。
ジュードは「そいつらに」石をぶつけろと言った……人に石を投げるのが正解のはずだ。
馬車から怒号が聞こえる。
「襲撃だっ!」
「上だっ! 石を投げてる!」
「野郎! やっちまえ!!」
馬車の中からも2人飛び出した。そしてクリフを見つけて口々に叫ぶ。
「あそこだ!」
「ガキだぞ!?」
「油断するな!!」
護衛の男たちに石を投げ続ける。しかし、当たるような間抜けはいない。
男たちはクリフに迫る。
……ヤバい……逃げなくては……
クリフが立ち上がった……まさにその瞬間「ぎゃあああ」っと馬車の中から絶叫が聞こえた。
中から血槍を抱えたジュードが顔を出す。
「賞金首の鷲鼻ホーマー、血槍のジュードが討ち取った!!」
名乗りを上げると、驚く護衛達に襲いかかり、瞬く間に2人を槍で突き倒した。素晴らしい槍の冴えだ。
クリフはこの間も石を投げ続けている……ジュードが御者の肩を突いた。
ここで決着が着き、護衛2人が逃げ出した。
…………
「よくやった。」
戦いが終わり、ジュードがクリフに語りかけた。
「なかなかだった……筋が良い。こいつを使いな。」
ジュードは死んだホーマーの護衛から剥ぎ取ったショートソードをクリフに渡す。
「戦い方を教えると言っただろう? あの御者は息がある。殺せ。」
「え……でも、殺すなんて」
クリフが躊躇うと拳が振るわれ、クリフは強かに頬を殴られた。
「でも、じゃねえ。躊躇いがオマエを殺す、殺れ。」
…………
クリフは、11才で初めて人を殺した。
それは、無抵抗の怪我人だった。
その記憶を、彼は生涯忘れることは無かった。
…………
「おいっ、馬車と荷物は頂いて行くぜ。急げ。」
「え、あの……死体は……?」
クリフは転がる死体を眺めた。
ホーマーの死体は馬車に積んだ。残りの3人が街道脇に骸を晒している。
「あいつらの腹に入る。」
ジュードは上空を飛ぶタスクホークを眺めた。
………………
この男、ジュードは冒険者だった。
血槍のジュードと言えば凄腕の槍士だ。元々は傭兵や用心棒として鳴らしたらしいが、数年前に肺を病んでからは仲間から外され、主に独りで賞金稼ぎをしているらしい。
この男の下で4年程、クリフは戦いや追跡術を学んだ。
楽でも愉しくもない4年間だったが、クリフには他の生きる術は無かった。
酒の飲み方、女を抱くことも覚えた。
4年と何ヵ月か経つころには、クリフは一端の冒険者になっていた。
………………
「がはっ、がはっ……ぜー」
また、ジュードが血を吐いた。
もう、旅を続けることは出来そうも無い。
最近ではクリフが1人で依頼をこなすことも増えた。
ここの宿代もクリフもちだ。
「……なぜ、俺の面倒を見る?」
ジュードがクリフに尋ねた。
「面倒を見てもらったからな。」
クリフが答えると「ふん」とジュードは鼻を鳴らした。
ジュードは俯いたまま、じっと目をつぶっている。
「なあ、クリフ……俺はどうしようも無いクズなんだよ……。聞いてくれ。誰かに聞いてほしいんだ。」
ぽつり、ぽつりとジュードは過去の事を語り始めた。死が近づき、弱気になっているのかも知れない。
それはクリフが初めて聞いたジュードの弱音であった。
故郷で人を殺したこと。
道を踏み外して犯罪を重ねたこと。
多額の賞金首になったこと。
偽名を使っていたこと。
冒険者や傭兵として活躍したこと。
肺の病のこと。
戦乱の世の中が生み出したよくある悲劇が、ベッドの上で終えようとしていた。
「俺が死んだら、お前の仕事にしてくれ……がはっ」
ジュードがまた、血を吐いた。
「賞金の30000ダカットは……いくらかでいい。ファロンの、自由都市ファロンにあるルピノって娼舘のエノーラって女に渡してやってくれ。」
クリフは黙って頷いた。
「お前は……凄い冒険者になるぜ…」
ジュードが死んだのは、それから2日後の夜だった。
………………
ジュードの本名はテックィンといい、賞金は37000ダカットに増えていた。
その賞金を手に自由都市ファロンを訪れると……ルピノという娼舘はすでに無かった。
8年も前に人手に渡り、その後は高級洋服店になったらしい。
クリフは手を尽くしたが、もはやエノーラを追う術は残されていなかった。
残ったのは評判だけだ。
20年近く潜んでいた凶賊を、駆け出しの冒険者が仕留めた……このニュースは、それなりの衝撃を持って冒険者に噂された。
「あいつが殺し屋テックィンを仕留めたのか」
「まだガキだぞ」
「若いのに凄腕だな」
「ジュードの弟子らしい」
「猟犬の様に獲物を追うそうだ」
そして、少年だったクリフは、凄腕の賞金稼ぎ「猟犬クリフ」となった。
………………
……チッ、ここに来ると思い出していけねえ……
クリフは自由都市ファロンの雑踏を歩いていた。
……もう、10年になるのか。
高級洋服店を眺め、未熟だった己と、ジュードを思い出す。
あれ以来、クリフは「面倒事」を引き受けるのを嫌うようになった。
……ふん、昔の話だ。
そのまま、クリフは雑踏の中に消えていった。