25話 蛇のスジラド
「すいません、ありがとうございます。」
「いえ、こちらも商売ですから。」
ここはベルタの事務所だ。ベルタは高利貸しを営む女性であり、ヘクターの情婦である。
結局、クリフは先日ハンナが気に入った家を買うことになり、ベルタに借金をしたのだ。
その金額は20万ダカット、大金である。
「ふふ、ハンナさんが羨ましいですわ。クリフさんたら新居のためなら金利すらお尋ねにならないんですもの。」
「あ、いえ……」
実のところクリフは金利のことは良く理解していない。
きちんとした教育を受けていないクリフは数字と言えば精々が足し算、引き算くらいしか分からないのだ。
「あの、ベルタさん……その、お加減は?」
「ありがとうございます。とても順調です。エリーちゃんみたいな可愛らしい女の子だと嬉いんですけれど。」
ベルタは今、ヘクターの子を妊娠中だ。クリフは体調のことを尋ねたが、妊婦のことなどサッパリと分からない。
「クリフさん、あの人ったら私が妊娠中だと分かったら、人が変わったみたいに優しくなったんですよ……うふふ」
ベルタが笑うと何とも言えぬ色気がある……クリフは少し見とれた後、目を伏せて意識を逸らした。
……いかん、何を考えてるんだ俺は。
クリフは自らを叱りつけ、わざとらしく咳払いをした。
「依頼をこなす度に少しずつ返済することにします。よろしくお願いします。」
「はい、クリフさんですもの、心配しておりません。」
クリフは「失礼します」とベルタの事務所を後にした。姿は見えないがロッコが近くにいるはずだ。
先日の襲撃事件より、クリフは用心のために一人歩きは避けるようにしている。
しかし、犯人を誘き出す囮として護衛とは距離をとり、わざと無用心を気取って町をうろついているのだ。
……次は不動産屋に行って、それから武器屋だな。
クリフは不動産屋に向かって歩き出した。囮になると同時に雑務をこなせば一石二鳥というものだ。
………………
「へえ、その籠手が言ってたやつですか。」
いつもの酒場でギネスがクリフの腕に装着された真新しい革の籠手をしげしげと眺めた。
「ああ、こいつが4本入ってる。」
クリフが籠手から釘のような物を取り出した。棒手裏剣だ。
棒手裏剣は一見するとただの尖った15センチほどの棒だが、投擲のためにバランスが調節してある。
クリフは今までにバックラーの裏に隠されたナイフを得物としてきたが、町で活動するのに盾を持ち歩くのは些か邪魔である。
昨年の内から武器屋の職人と相談を重ね、革の籠手と棒手裏剣にしたのだ。
余談ではあるが、手裏剣は「剣」であり、これを投げることを「打つ」と言うが、本作では分かりやすさを優先して「投げる」「飛ばす」といった表現も用いたいと思う。
「ナイフの方が威力も精度も上だけどな……ナイフだと籠手に2本しか入らなくてさ。」
「まあ、その辺は使い分けれますし、併用もできますよね。」
ギネスが棒手裏剣を手に持ち、何度か素振りをする。
もちろん、室内で投げたりはしない。
ちなみにバックラーに収納されていたナイフは8本である。
「なかなか工夫されているな。冒険者の装備は自分で使いやすく工夫するのが大事さ。」
マスターがクリフの杯に酒を足してくれた。
この言葉はクリフやギネスに向けたものでは無く、隣で黙って座っているロッコに向けたものだ。
「それで、刺客はどうだ?」
「いるよ、隠れるのは上手くない……だが向こうも用心しているようだ。」
クリフは確かに常に自分に向けられ続ける敵意を感じていた。
だが相手も用心し、あれ以来クリフの前に姿を表すことは無かった。
「今日、バックラーを外して酒を鱈腹飲むよ。囮さ。」
「うーん……護衛は誰にしてもらおうか? こいつは難しいぞ。」
マスターが店内を見渡すとスジラドが近づいてきた。
「私とドーラがやりましょう。」
スジラドがニヤリと不敵に笑う。意気込むわけでも無く、その静かな佇まいに自信がみなぎっている。
「スジラドさん、お願いします。敵は大した腕じゃないが……なんというか、なりふりを構わない怖さがある。」
「任せてください。私も良いところを見せるチャンスですから。」
スジラドがドーラをチラリと見つめる。
「ドーラも強いですよ。鬼姫ドーラと呼ばれていました。」
「その名で呼ぶんじゃないよっ!」
ドーラはキッとスジラドを睨みつけ舌打ちをした……どうやら鬼姫という異名が気に入らないらしい。
スジラドは肩を竦め、お手上げだとジスチャーをした。
………………
その夜
はしご酒を続けて酩酊状態を晒す一団があった。クリフたちである。
クリフはギネス、ピート、イルマを連れて日のある内から浴びるように酒を飲んだ。決定的な隙を作って刺客を誘き出すためである。
警戒している相手が抗いがたい程の隙を作るのは命懸けである……しかし、敵への探知能力が鈍りつつあると自覚したクリフには単身で刺客を追跡し、対決する自信が無い。
故に味方を信じ、囮となることを選択したのだ。
クリフとピートは呂律の回らない口調で何やら喚き、イルマはギネスに口づけを強要しているようだ……ちなみにギネスは作戦のためにほとんど素面である。
素面で酔漢の相手をするのは非常な苦行である。ギネスは相当に苛立っている。
「オメエ、キスキス言うけどゲロ臭えんだよっ!」
「どうへギネスくんもドーラさんの方ら良いんでしょ? 酷いわっ!」
全く噛み合わない会話をしながら、ギネスはイルマを抱えるようにして歩く。
「兄貴、頃合いですよ。始めましょう。」
「あー、頼む、頼むよ、ギネス。頼むよ。」
完全に千鳥足になっているクリフが、うわ言のように同じことを繰り返す。
ギネスはクリフと別れ、ピートとイルマを連れて宿に向かう……ちなみにギネスたちが襲われる可能性も考慮し、こちらにも陰ながら護衛が付く手筈になっている。
「おっとっ、危ねっ。危ないですよっ。」
独りになったクリフが一人言を呟きながらふらふらと歩く。
とうとうドンッと道端の空き箱に座り込み、イビキをかいて眠り込んでしまった。
…………
キリリと弓を引き絞る音が聞こえた。
刺客が現れたのだ。刺客はクリフを狙い、弓を引き絞る。
「ぎゃっ!?」
しかし、悲鳴を上げたのは刺客であった。刺客の肩口には矢が突き刺さっている。
刺客の矢は見当違いの所に放たれ、カランと音を立てて地に転がった。
「アール! 逃げてっ! 待ち伏せよ!」
女だ。矢が突き刺さったまま女の刺客が叫んだ。
「あがっ!」
また女に矢が突き立った。女はその場に踞り動かなくなる。
「メーベルッ!?」
短槍を持つ刺客がメーベルと呼ばれた女に駆け寄ろうとした……その刹那、分銅が着いた縄が飛んだ。
縄が足に絡み付き、刺客は転倒する。
「逃がさねえよ。」
スジラドだ。
スジラドは縄を両手で巧みに捌き、見る見るうちに刺客の自由を奪い、拘束した。
早縄術と言われるロープを用いる戦闘術である。
早縄術は、捕縛術、捕手術と呼ばれる武術の内、特に敵を素早く取り押さえる技を言い、日本の警察でも手錠が普及するまでは用いられた技術だ。現代でも一部の古流柔術では伝えられている。
「があっ? こんな、とれねえ!」
「無駄さ。俺の異名の蛇ってのは朽ち縄……ロープの事だからな。」
スジラドがメーベルと呼ばれた女刺客に近づき、様子を見た。
「こいつは縛る必要は無いな。」
「死んだのかい?」
物影からドーラが姿を現した。半弓と呼ばれる小型の弓を手にしている。
「いや……だがもう死ぬ。」
女の口が「ポール……ごめんね」と動いたが、言葉として発することは無かった。
スジラドはクリフに近づき、軽く肩を揺する。
「クリフさん、やりましたよ。クリフさん。」
スジラドが箱の上でイビキをかくクリフを起こす。
「お、うぐっ、スジラドさん、ありがとうございます。おぷっ。」
「ええ、ご確認下さい。」
クリフは縛り付けられた男に近づく。
「畜生! クリフ! テメエえっ!」
刺客がクリフに向かい怨嗟の声を上げた、
「ご存じで?」
「いや……覚えがないな。」
刺客は怒りでクワッと目を見開き、何かを言いかけた……その瞬間。
「おえぇ、ごふうっ! げええ……」
クリフが盛大に胃の内容物をぶちまけ、刺客は頭からもろに被る形となる。
「あーあ……ま、仕方ないよね。」
ドーラが楽しげに呟いた。
………………
翌日、いつもの酒場。
「もーっ! びっくりしたよ! 夜中に急にクリフが来るんだもん!」
「……ああ……すまん。」
その後、スジラドたちは刺客を始末し、顔を潰してスラムに捨てた……スラムの住民が勝手に身ぐるみを剥ぐので身元は分からないだろう。
「私、ご近所さんに謝ったんだよ! 夜中に騒いでさ!」
「……すまん。」
泥酔したクリフは何故かハンナのアパートに向かい、一晩泊めて貰ったらしい……もちろん、泥酔したクリフは倒れるように眠っただけでハンナと何かがあったわけでは無い。
ハンナは口調こそクリフを責めているがニコニコと嬉しそうにしている。
クリフの世話ができたのが楽しかったのであろう。
一方のクリフは重度の二日酔いで真っ青な顔をしている。座っているのがやっとの様子だ。
「で、どんな奴らだったんだ?」
「若い男と女です。女は片目でした。クリフさんに強い遺恨があるようでしたが……。」
マスターとスジラドが刺客について話し合う。
「大した腕でも無かったね。」
ドーラが吐き捨てるように言い捨てる。
事実として、刺客はスジラドに手も足も出なかった。
「クリフ、本当に心当たりは無いのか?」
「……ありすぎて、どれだかな……」
クリフは青い顔でエリーを撫でようとしたが「パパ、くさい」と逃げられた。
二日酔い独特の口臭を嫌われたようだ。
態度に表すことは無かったが、エリーに避けられ、クリフの心は深く傷ついた。
「まあ、俺たちの活動も面白く思ってないヤツらもいるのは事実だ……みんな気を付けてくれ。」
マスターがその場を締めて解散となる。
「ギネスくん……その、昨日はごめんね。」
「いや、気にしてないから。」
隅のほうで、いつまでもイルマがギネスに謝っていた。




