20話 秋の広場 下
それから、数日
クリフは広場でアーサーを見かけると話し込むようになっていた。
大抵はとりとめの無い話であったが、この時はたまたまクリフの職探しの話になったようだ。
「クリフさん、恋人に……ハンナさんに相談されてはいかがでしょうか?」
「そうですね……」
クリフは目をつぶり考える。ハンナに相談して、いらぬ心配は掛けたくない。
……何よりも……
「情けない話ですが……結婚を申し込む時に、将来の不安を感じさせたく無いのです。」
アーサーは「なるほど」と頷いた。苦労を重ねただけあり、アーサーの言葉には実感が籠っている。
「私はね、クリフさん……離縁したことを後悔しています。」
アーサーがぼそりと呟いた。
過ぎ去った過去を懐かしむような、心に染みる声だった。
「その時は必死でした。妻子を養っていく力も無くなり、離縁することが正解だと思ったのです……荒っぽい借金取りの相手もさせたく無かった。」
アーサーは「ふうーっ」と大きな溜め息をついた。
クリフは無言で聞き入っている。
「でもね、8年かけて……借金を返し終わって気づいたのです……私には何も無い。店も、家も、家族も、借金すら……残っていない。」
アーサーが俯いて顔を隠した。泣いているのかもしれない。
「クリフさん、情けなくても良いじゃないですか、何でも話し合えば良いじゃないですか……私には、それが分からなかった。」
クリフは何か言葉を掛けたかった……しかし、何を言えば良いのか分からず黙っていた。
「けんか?」
ふと、気づけばエリーが心配そうな顔をしていた。
いつの間にかハンナも一緒だ。
「クリフ、アーサーさんも一緒にお食事でもどうかしら?」
ハンナが笑う。
無理の無い、自然な笑顔だ。
「そうだな、そうしよう。」
クリフは「いかがですか」とアーサーと視線を交わす。
「いえ、お邪魔でしょうから……」
アーサーが遠慮をするが、ハンナはお構いなしだ。
「すぐそこの満腹亭ってお店なんです。行きましょ!」
「あ、いや……」とアーサーが戸惑っているが、一緒に行くことになったようだ。
エリーも嬉しそうにハンナにくっついている。
……さすがはハンナだ。
クリフは眩しそうに目を細めてハンナを見た。
視線を感じたハンナがニコリとクリフに微笑みかける……花が咲いたような明るい笑顔だった。
…………
食事を終え、店を出た。
「クリフさん、ハンナさん、こんなに賑やかな食事は久しぶりでした……ありがとうございました。」
「いいえ、またご一緒しましょ。クリフのお友達ですもの。」
アーサーが礼を述べるとハンナが愛想良く応えた。
「クリフさん……私が言うのもなんですが、あなた達なら良いご家庭を築かれますよ。心配はいりません。」
「今日はありがとうございました……1度、話し合ってみることにします。」
「ええ、それが良い。」
アーサーが「それでは失礼します」と去って行く……寂しげな背中だ。
「もー、クリフっ! どんな紹介してくれたのっ!?」
ハンナが「むふう」と鼻を膨らませながら喜んでいる。どうやらアーサーの「良い家庭を築ける」と言うところがお気に召したらしい。
クリフはハンナの方を向き、少し深く息を吸った。
「結婚したいと思ってる女性だと紹介したんだ。」
クリフは自分の言葉が早口になったのを少し後悔した。やはり口下手なのだ。
「クリフ……嬉しいっ!」
クリフはハンナが飛び掛かってくる気配を察知し、肩を押さえて制する。
ハンナが「むむ」と不満そうな呻き声を上げた。
「ハンナ……その事で少し相談したいことがあるんだ。聞いてくれるかい?」
…………
3人はいつもの酒場に移動した。
1つのテーブルに向かい合うようにクリフとハンナは座る。ハンナの横にはエリーもチョコンと座った。
「実はなハンナ、エリー……その、情けない話になるかもしれないんだが……」
クリフは大きく息を吸って話始めた。
「俺はハンナと一緒になって、エリーを養子にしようと思うんだ。」
ハンナの目が大きく見開いて口元が緩む。
「でもな……結婚するとなると、賞金稼ぎは廃業することになる……当然、次の仕事を探すことになる。」
エリーが「しごと!」と声を上げた。ハンナは「うんうん」と頷いている。
「でも、その……俺は賞金稼ぎしかしたことなくて……何の仕事が出来るか分からないんだよ。だから、少し待っていて欲しいんだ。」
クリフがバツの悪そうな顔をした。
ハンナはケロリとしている。
「クリフ、そんなの私が働くから良いのに。」
「いや、それはさすがに……」
クリフはハンナの言葉を慌てて否定する……さすがにヒモになる前提で結婚は出来ない。
「なあ、ちょっと良いか?」
マスターがエリーのために梨を切って持ってきてくれた。
エリーは遠慮なくかぶり付いている。
「あのよ、クリフ……俺がお前さんに言ったこと覚えてるかい?」
マスターの言葉にクリフは「はて」と首をかしげた。
「はあ、まあいい。クリフよ、お前さん冒険者組合を手伝えよ。実はな、最近まとまった資金の融資があってよ……計画がかなり前倒しになりそうなんだ。」
マスターはクリフの杯に酒を注ぐ。
「お前さんみたいな名の通った冒険者は喉から手が出るほど欲しい。具体的な仕事は、ギルドに来る依頼の中で難度の高いのをやっつけてくれれば良い。」
クリフは「うーん」と唸った。難度の高い依頼とは、危険度が高い依頼のことであろう。
それでは賞金稼ぎと変わりが無いのではないか。
クリフはその疑問をマスターに尋ねてみた。
「まあ、それはそうだ。だがよ、組合は組織だからな。お前さんが若いのを育てればいいのさ。」
エリーが眠そうに目をこすって欠伸をした。
クリフは付き合わせて悪いなとは思うが、エリーの将来にも関わることだ。
意味が分からずとも同席させてやりたい。
「お前さんが現役バリバリの内に若いのを連れて経験を積ませてやれば、お前さんの引退後は育てた若いのが難しいのをこなすだろう。その時はお前さんがギルドを仕切って仕事を回す側になるのさ。」
「それって、マスターみたいに?」
ハンナが口を挟んだ。
「そうだ。先ずはヘクターだ、次にクリフ……名が通った冒険者なら若いのも従いやすいだろう。金は依頼の報酬以外に毎月1000ダカット出そう。」
「それは、何も依頼が無くても貰えるのか?」
「そうだ。」
考えられないような好条件ではある。1000ダカットあれば、1家族が慎ましく暮らす程度はある。
「危険度が高いと分かれば何人か付ける。今みたいに独りでやるより楽になると思うぜ。」
クリフは頷いた。安定した収入と老後の保証……悪くない。
「1つだけ条件を着けさせて欲しい……俺が死んだらエリーの面倒を見て欲しい。」
マスターが「わかった、決まりだな」と満足気に頷く。
「ねえ、クリフは組合の職員になるの?」
「うん、ハンナはどう思う?」
ハンナはニコリと笑って「大賛成よ」と答えた。
「だって、仕事が決まれば結婚できるんだもん! ね、クリフ。」
ハンナは「でへへ」とニタついている。
……まあ、そのつもりだったしな。
クリフが「すぐには無理さ」と言いかけると、ハンナがテーブル越しにタコのような口をして迫って来るのに気がついた……目がくわっと見開いていて少し怖い。
クリフはハンナの頭をぐりぐりと撫でることで辛くも接近を防いだ。
………………
翌日
いつものようにクリフはベンチに座り、アーサーと会話をしていた。
「……自分独りで悩んでいたのが馬鹿らしく思えました。私は、両親が死んでから……ずっと独りで生きてきたと思ってました……でも、違った。」
アーサーは「それは良かった」と微笑んだ。
「ハンナさんはクリフさんが思っているよりも、クリフさんの事を愛していますよ……きっと。」
「はい……彼女の生き方はシンプルで迷いが無い。思い知らされましたよ。」
2人は何となく黙ってしまった。しかし、気まずい沈黙ではない。
「アーサーさんは……奥さんとは、その……居場所はご存知なんですか?」
「ええ、家内の実家は知っています……でも、8年間も会っていません。合わせる顔がありませんから。」
アーサーは「はは」と自嘲した。
「アーサーさん、生意気かも知れませんが、離婚の原因となった借金も返済が終わっている訳ですし……それに……」
クリフはアーサーと視線を合わせた。
「情けなくてもいいじゃないですか、何でも話し合えばいいじゃないですか、私にそれを教えてくれたのはアーサーさん……あなただ。」
アーサーは「そうかも知れません」と呟いた。
「クリフさん、あなたは勇気がある……私は、家内と話し合うことを想像しただけで……。」
アーサーは溜め息をついて、目を瞑る。
「クリフさん、私は……」
「大丈夫ですよ。駄目なら、またベンチで待ってますよ。」
クリフがニヤリと笑った。
「クリフさん……私にその資格があるでしょうか?」
「アーサーさん、貴方は立派な方ですよ……ご自身で思われてるよりも、ずっと。」
アーサーは目を閉じて、何かを考えていた。
そして、すっと立ち上がり深呼吸した。
「今から……家内と会ってきます。話し合ってきます。」
クリフは何も言わずに頷いた。
「もし、万が一にでも……上手くいったら、ここには戻ってきません。ありがとう、クリフさん。」
クリフが「こちらこそ、ありがとうございました」と礼を述べると、アーサーは目礼をし、振り返らずに去って行った。
……上手く行きますよ、きっと。
クリフは無言でアーサーを見守り続けた。
……人が生きていくのは簡単じゃない。みんな、必死に生きているんだ。
クリフは周囲を見渡し、屋台の売り子たちを尊敬の眼差しで見つめた。
爽やかな秋風が頬を撫でる。
エリーの笑い声が風にのって耳に届いた。
そして、クリフがこの広場でアーサーを見かけることは、2度と無かった。




