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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
1章 青年期

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閑話 剣術小町ハンナ 上

ハンナ視点です。

「ふう、暑いわね。」


 ハンナ・クロフトは額の汗を拭いながら傍らの女の子に話しかける。


「うん、あついわね。」


 女の子がハンナの口真似をしながらニコリと微笑んだ。


 この子供の名はエリー、本名は分からない。

 両親が殺され、身元が分からないため、今年の冬からハンナが引き取って面倒を見ている子供だ。

 本人いわく3才らしいが、誕生日が分からないため4才の可能性もある。

 ハンナが引き取った当初は両親が殺されたショックで夜中に突然泣き出したり、母親を恋しがってグズッたりもしたが、最近ではハンナになついて穏やかに過ごせるようになった。


……それにしても、暑いなあ。


 ハンナが恨めしそうに太陽を睨むが、どうにかなるものではない。


 まだ朝も早いと言うのに、けたたましく蝉が鳴く……本当に、暑い夏である。


 前の方から天秤棒を担いだ物売りがやって来た。


「じょさい~え~ええ~じょさいっ、じょさい屋でござい」


 独特の節回しの売り声をあげながら定斎(じょうさい)売りがやってきた。天秤棒に吊るした薬箪笥(くすりたんす)がカタカタと鳴っている。


 定斎(じょうさい)とは夏の万病や暑気払いに効能があるとされる霊薬である。日本でも豊臣秀吉の頃から昭和の頭くらいまでは夏の風物詩として、どこにでも見られた光景であった。是斎(ぜさい)と書く場合もある。


「じょさい屋さん!」


 エリーが嬉しそうな声を上げた。

 エリーはさまざまな行商の売り声を聞くのが好きだ。子供心にユーモラスに感じるのであろう。


「そうねえ、こうも暑くちゃ病気になってしまうわ……定斎でも飲みましょうか。」

「いやっ!」


 エリーがプイッと横を向いた……定斎とは粉薬である。

 子供には辛かろう。


「定斎屋さん、1つくださいな。」

「へいっ、毎度! 4ダカットでござい! たっぷりの白湯で飲んでくだせえ!」


 中々威勢の良い定斎売りである。

 ハンナが定斎を購入し、財布に仕舞う。


「定斎屋さんは元気ね……暑くは無いの?」

「嫌ですねえ、定斎売りがふうふう言ってたら商売になりやせんよっ。」


 ハンナが「あははっ、本当ねっ」と明るく笑った。

 定斎屋は「またどうぞ」と礼を述べると歩き出した。

 カタカタと薬箪笥の音がした。


「うふふ、楽しい定斎屋さんね。」

「ふうふういってたらしょうばいになりやせんよ。」


 エリーが定斎売りの口真似をした。


「あはは、似てる似てる!」


 二人は機嫌良く道を歩く。

 向かう先は満腹まんぷく亭という食堂である。

 ハンナの住むアパートに程近く、安くて旨いと評判なのでハンナは良く利用していたのだ。


「あらハンナさん、エリーちゃん、おはようございます。」

「おはよう、パティ。定食を一人前と半分。」


 ハンナが顔見知りの店員に注文する。この店員はパティと言い、20歳程度の若く愛想の良い娘だ。


 「はーい」と愛想の良い返事があり、直ぐに料理が運ばれてくる。


 食堂は繁盛している。

 ここ自由都市ファロンでは人口過密のため、薪が高い。

 自然と皆がこのような食堂を利用するのだ。


 エリーがぐしゃぐしゃと行儀悪く食べるが、3才児ならこのようなものであろう。ハンナも気にせずに自分の食事を進める。


「あ、パティ……悪いけど、お白湯を貰えるかしら。」

「あら、お薬ですか?」


 パティと呼ばれた店員が心配気にハンナの手元を覗き込む。


「ううん、定斎よ。さっきたまたま買ったの。」

「暑いですもんね……待っててください。」


 しばし待つとパティが白湯をたっぷりと持ってきてくれたので、ハンナは定斎を飲む。


「うーん、涼しくなった……かも?」


 定斎を飲んだハンナは涼しくなった気になるが、これは錯覚である。白湯を飲んで汗をかいたから涼しくなった気がするだけだ。

 この様な手管てくだで効果を錯覚させるとは、中々やり手の定斎売りである。

 

「じゃあ、道場に行ってくるね、エリー。」

「がんばってね、ハンナ。」


 エリーを満腹亭に預けてハンナは剣術道場に向かう。

 満腹亭の店主には5才の男の子がおり、ついでだとエリーを預かってくれるのだ。


 ハンナは店主の純粋な好意だと信じきっているが、実は裏でヘクターが口を利いている……もちろん、それなりの謝礼もヘクターが支払っているが、ハンナは知るよしもない。


 定斎を飲み、涼しくなった気がしたハンナは足取りも軽やかに剣術道場に向かう。

 彼女は剣術道場から報酬を貰いながら稽古に通っているのだ。

 これはハンナが通うことで門人が増えたことによる報酬である。


 強く美しいハンナに憧れて若い娘が道場に通い、若い娘目当てで男も道場に通う。

 剣術道場の門下生の数はハンナ効果でウナギ登りなのである。




………………




 午前中の稽古は2時間ほどだ。


 最近では増えた女性の門人はハンナが面倒を見る。


 明るく朗らかなハンナの評判は良い。

 また、ハンナのファッションを真似する娘も多かった。


 ハンナのファッションは、一見すると奇妙なものだ。


 上は女性物の服を着て、下は男物のズボンを穿く。

 少し長く伸びた髪は高い位置でポニーテールに結んでいる……きりりと締めた燃えるような赤い髪はポニーテールと言うよりは凛々しい総髪(そうはつ)の様だ。

 そして腰には愛用の曲刀を佩いている。


 ハンナからすれば、剣術の稽古のために実用的な格好をしているだけなのだが、世間はそうは思わなかった。


 傾いている、と思われているのだ。


 そしてハンナの格好をファッションとして真似する若い娘たち……一部では眉をしかめる者もいるが、ハンナには何処を吹く風だ。


 今日もハンナはたっぷりと汗をかき、道場を出た。


……うーん、さすがにエリーを迎えに行く前に汗を流そうかな?


 ハンナはアパートに戻り、行水をすることにした。

 その後でエリーを迎えに満腹亭に向かうのだ。



…………



……少し、遅くなったかしら。


 ハンナが満腹亭に向かったのは正午を少し過ぎた頃であった。


 満腹亭の前が騒がしい。


 いつもならば昼食時で賑わう時間だ、何か異変があったのであろうか……ハンナは足早に近づいていく。



 そこにいたのは衛兵であった。


「おいっ、この前捕まえた盗人(ぬすっと)はここの常連だってよ……お前もグルなんじゃ無えのか!?」


 見れば衛兵が店主とパティに絡んでいる。


 これは「ちょっと来い」と呼ばれる手口だ。


 治安を預かる衛兵にも、善良な者もいれば、そうで無い者もいる。


 悪辣な衛兵の中には、少しでも強請(ゆすり)のネタになりそうなものを探し出し、金銭をせびったり女に悪戯(いたずら)をするのだ。

 要求を拒否をすれば本人のみならず、親類縁者を牢にぶちこむぞと脅しあげる訳である。


 被害を訴えても衛兵も身内の不祥事の捜査には甘くもなり「犯罪捜査の一貫だ」と主張されればうやむやにされ、被害者は泣き寝入りになってしまう……実に卑劣な犯罪である。


 衛兵と子分はパティの腕を掴み、衛兵の詰所に連れ込もうとしている……そんな事を許せば何をされるかわかったものではない。


「そこまでよ!」


 ハンナは衛兵の前に飛び出した。


「なんだあ? お前もしょっ()かれてえのか!?」


 衛兵の子分がハンナに凄む。いかにも、チンピラだ。


「控えろ下郎! 我が名はハンナ・クロフトである!」


 ハンナの名乗りに子分が怯んだ。姓を名乗るのは貴族である……一介の衛兵には貴族への逮捕権は無い。


 本来ならば勘当されたハンナには姓を名乗る権利は無いのだが、このお転婆娘はお構いなしである。


「その方らこそ名を名乗れ!」

「うぐ……」


 衛兵は言葉に詰まる、普通に考えれば、極端に貴族が少ないファロンで、しかも場末の食堂に貴族が来るなど想像も出来ないことだ。


 いつの間にか周囲には人垣が出来ており、衛兵に冷たい視線を送っている。


「名乗れぬかっ! 卑劣漢めがっ!」


 すでにハンナは曲刀を抜き、戦闘態勢である。

 貴族を傷つければ己が罰せられ、引けば笑い者になる……衛兵は進退が極まった。


「……オズマンドと申します、閣下。」


 衛兵は観念し、へりくだりながらも名乗った。


「この店主らにどのような(とが)があるのか!?」

「先日、捕らえましたる盗人がこの店に出入りをしており……」


 オズマンドが答え始めると、ハンナは「口答えするかっ!」と曲刀で切りつけた。


 オズマンドの眼前でハンナの刀がピタリと止まる。

 素晴らしい腕前ではあるが、オズマンドからすればたまったものでは無い。

 尋ねたことに答えれば口答えとは滅茶苦茶である。


 ハンナは悪い意味で貴族の傲慢さを持っている。

 意に沿わぬ答え以外は口答えにしか聞こえないのだ。


「失せろ下郎! 次は首を刎ね飛ばすぞ!」


 ハンナが一喝すると、オズマンドと子分はばつが悪そうに退散した。


周囲の人垣から「わっ」と歓声があがる。


「さすがは剣術小町だ。」

「貴族様だったとはねえ。」

「ハンナさん格好いい!」

「いい気味だ、悪徳衛兵め!」


 口々にハンナを誉めそやす声が聞こえる。

 ハンナは剣を納め、つり目がちな目でオズマンド達の背を睨み付け「成敗(せいばい)!」と勝ち誇る。


 「キャー」「ハンナさーん」と黄色い声援が上がった。



…………



「ハンナさん、すまなかった。」

「ありがとうございました。」


 満腹亭の店主とパティが口々に礼を述べた。


「ううん、良いのよ。私こそ店の前で騒いじゃってごめんなさい。」


 ハンナも非礼を詫びると、エリーが近づいてきて「せいばいっ!」と真似をした。


「もー、恥ずかしいから止めてよっ!」


 ハンナが赤面して恥ずかしがる……そこは年頃の娘のことである、先程の振る舞いに照れがあるのだ。


「「あははは」」


 他の客からも笑い声が上がる。


……本当に良かった。


 ハンナも一緒になって笑った。




………………




「……ってことがあったのよ。」


 午後から夕方まで、ハンナは冒険者が集まる酒場でウェイトレスをしている。


 エリーは、以前ハンナが使っていた従業員用の部屋でお昼寝中だ。


「へえ、さすがはハンナさんだ。」


 ギネスが感心したような声を出す。


「うーむ、オズマンドと言えば熊ん蜂と言われるくらい執拗で(うるさ)い奴だ。何事も無ければいいが……。」


 マスターがチラリとギネスに目配せをし……ギネスは軽く頷いた。


 この小さなやりとりにハンナは気づいていない。


「ふふんっ、今度会ったら鼻を削いでやるわよ。」




 このハンナの言葉に、これが18才の娘のセリフかとマスターは呆れ果てた。


定斎売りも、ちょっと来いも日本で実在してました。

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