16話 山蛭のアーロン
試験的に視点を変えてみました。
2年前の春の事だ。
アッシャー同盟領内の街道で、行商人の馬車が襲われていた。
良くある事ではある。
冬の間に食い詰めた冒険者が春先に盗賊と化すことは多い。
行きずりの冒険者による街道での犯行は、現行犯でなければ中々に解決しづらい現実がある。
自然と春の街道は、行きずりの冒険者崩れにより治安が悪くなるのである。
少し離れた場所で行商人が襲われる様子を眺めている男がいた。
彼の名はアーロン。
アーロンは30代後半の冒険者風の男だ。黒い髪と髭をボサボサに伸ばした悪人面をしている。
アーロンは襲撃に加わる訳でもなく、行商人を助ける訳でもなく、ただ様子を眺めていた。
……行商人は商人らしき男と護衛が二人の三人、冒険者崩れが五人か。
アーロンは戦闘の推移を油断なく見守っている。
行商人と冒険者崩れが争った結果を見て、ハイエナのように弱った行商人を襲うか、行商人に加勢して恩を売るかを判断する腹積もりなのだ。
このような事を考えるアーロンは当然、堅気では無い。
アーロンは山蛭のアーロンと呼ばれる賞金首だ。その異名の通り、人の生き血を啜って生きてきた悪党である。
行商人と護衛の一人が凶刃に倒れた。
……頃合いだな。
アーロンは三人まで数を減らした冒険者崩れに襲いかかった。
「このような悪事は見過ごせぬ! このアランが加勢いたす!」
行商人に恩を売るためにアピールは欠かせない……アーロンは大声で名乗りを上げて冒険者崩れに襲いかかった。
アランとは偽名である。
賞金首が本名を名乗る筈が無い。
アーロンは三人の冒険者崩れの中で負傷している者に狙いを付け、剣で刺し殺した。
残る二人の冒険者崩れは思わぬ援軍に肝を潰し、逃げ散って行く。
追いかける必要は無い。
アーロンは逃げる冒険者崩れは無視し、行商人に駆け寄った。
行商人は腹を刺されているが、まだ息がある。
「……助かり……ました。」
「お気を確かに。」
アーロンは内心でほくそ笑みながら行商人の傷を見た。もはや長くはあるまい。
……しめた、死んだら馬車ごと貰ってやろう。
アーロンは行商人の傷を見て、もはや助からぬと踏んだ。
既に護衛の一人は物言わぬ死体となっている。
アーロンの元に生き残った護衛が駆け寄って来た……こちらも軽いが手傷を負っているようだ。
「助かりました……私はマイク、こちらのティモシーさんの護衛です。」
「アランです……この度は、なんと申しましょうか……」
アーロンが痛ましそうな顔をすると、マイクは顔をしかめた。
「情けない話ですが、このままでは護衛の任務を果たせません……アランさん、恥を忍んでお願いします……どうかこの先のミレットの町まで同行して貰えませんか?」
「ミレットですか。」
ミレットは主要街道から外れた小さな町である。
現在地からミレットの町は徒歩で3日ほどの距離だ。
馬車ならば2日もかかるまい。
「ミレットが目的地なのですか?」
「はい、ティモシーさんも私もミレットの出身なのです。故郷と自由都市ファロンを往復していました。」
アーロンは考え込んだ。
……ここはミレットまで行商人を届けた方が得かもしれんな……礼も弾んでくれるだろう。
アーロンは素早く損得勘定を始めた。打算的な男なのだ。
「ここで見捨てるわけにもいきません。承知しました。」
「すみません……感謝します。」
アーロンはマイクと協力し、ティモシーと護衛の死体を馬車に乗せた。
「私が御者をしましょう……ティモシーさんをお願いします。」
マイクが馬車を動かした。
アーロンは馬車の中でティモシーの傷の手当てをする。
「アラン……さん、この度は……まことに……」
「喋ってはいけません、傷に障りますぞ。」
長年冒険者をしていたアーロンの手当ては適切なものではあったが、ティモシーの容態は悪くなるばかりである。
馬車とはいえ、サスペンションもゴムタイヤも無いのだ、振動が傷を開かせているのだろう、血が止まらない。
……2日は無理かもしれんな。
アーロンは、ぼんやりとティモシーを見守っていた。
………………
2日ほど馬車は進み、ミレットの町へ着いた。
「ああっ、あなた!」
「父さんっ! しっかりして父さん!」
ティモシーの妻子であろう30才ほどの婦人と、10才にも満たぬであろう男の子がティモシーに寄りすがる。
ティモシーは血を失いすぎた。
もはや助かる見込みはない。
妻子の顔を見て満足したのか、ティモシーは間もなく息を引き取った。
………………
ティモシーの葬儀を終えるまで、アーロンは手持ち無沙汰であった。
ミレットの町に用があるわけではないが、目的の謝礼を受け取るまでは離れる訳にもいかない。
何となく数日を過ごすアーロンの元に、ティモシー夫人と息子が挨拶に来たのは2日半が経った後であった。
「アランさん、マイクから話を聞きました……この度は……大変なお世話を……」
俯きながらティモシー婦人が礼を述べる。
アーロンは2日も放ったらかしにされた文句の一つも言いたいが、ここで怒っては台無しになる。
「この度は残念でした。」
アーロンが悔やみを述べると、婦人は「ううっ」と嗚咽を上げて泣き出してしまった。
儚げといえば聞こえが良いが、頼りない感じの女性だ。
「おじさん、父さんとマイクを助けてくれたんだね、ありがとう。」
母に代わり、ティモシーの息子が気丈にも礼を述べた。
「いいんだよ……俺はアランだ。坊やの名前は?」
「ルイス。母さんはオルガだよ。」
ルイスはアーロンに直ぐになついた。そこには父の恩人だという事情もあるだろう。
アーロンにとって、ミレットの町の居心地は悪くはなかった。
町の有力者のティモシーを身を呈して助けたという事情をマイクが住民に説明したためである。
……ここで身を隠すのも悪くねえ。
アーロンは髪を整え、髭を剃り、アランと名乗った。
別人になるには都合の良い条件が揃っている。
アーロンはミレットでアランとなり、第2の人生を歩み始めた。
亡きティモシーの雑貨屋はオルガが継ぎ、万事において優柔不断なオルガをマイクとアーロンが助けるような形になるには時間がかからなかった。
そして引退した冒険者として、町の便利屋の用な事を始めたアーロンの評判は上々である。
アーロンは献身的に町に尽くした。
オルガを助け、ルイスに剣を教えながら町の雑用をこなし続ける。
雨漏りする家の屋根を葺き、手が足りない農家の畑を手伝い、砂利を運んで道の穴を埋めた。
数ヵ月も経つころには町に受け入れられ、一年経つころにはオルガと懇ろな間柄になった。
………………
2年が経った。
アーロンは今日もオルガの店で荷運びに精を出していた。
「アラン、今日も剣を教えておくれよ。」
ルイスが友達を連れてアーロンに剣の稽古をねだる。
「ああ、ルイスか……マイクが独立してから忙しくてな。お前さんたちが手伝ってくれたら稽古の時間も作れるんだがなあ。」
アーロンがルイス達に笑いながら声を掛けた。
「ちぇっ、仕方ないなあ。」
ルイス達も笑いながらアーロンを手伝い始めた。
その様子を見て、オルガも穏やかに微笑んでいる。
穏やかな日常だった。
孤児だったアーロンは気がついた頃には犯罪に手を染め、いつの間にか賞金首となった。
彼にとって、始めて手に入れた穏やかな日常だ。
……悪くねえな、こんなのもよ。
アーロンは笑った。こうした自然な笑いが出るのは何年ぶりだろう。
ギィ、と扉が開いた。
「いらっしゃいませ。」
オルガが客に声を掛けた。
「いや、客ではありません。」
入ってきた冒険者がオルガに断った。
……凄え貫禄の冒険者だな……凄腕だ。
アーロンは作業をしながら冒険者の様子を窺う。
背はそれほど高くはないが、油断の無い身のこなしの冒険者だ。
黒い髪にアンバーの瞳がどこか狼を連想させる精悍な男だ。
冒険者がチラリとアーロンを一瞥すると、彼と向き合った。
「アーロンだな。」
アーロンの目が驚きで大きくなる。
「な、テメエは!」
「賞金稼ぎさ……猟犬クリフと呼ばれている。」
……猟犬クリフだと!?
アーロンは目の前の冒険者を改めて見る。
猟犬クリフと言えば凄腕の賞金稼ぎだ。
執拗な追跡術と狡猾な戦いぶりで知られ、彼に狙われて逃げおおせた賞金首はいないと噂される凄腕中の凄腕である。
「アラン……何の話なの?」
オルガが心配気にアーロンを見つめる。
ルイス達もアーロンとクリフを交互に眺めている。
「アラン、ね。」
クリフが鋭い目でオルガを睨み付ける。
オルガは小さく「ひっ」と悲鳴を上げた。
「なんだお前は! あっちに行けよっ!」
ルイス達がクリフに突っかかる。
「止めろ! ルイス!!」
アーロンはルイス達をクリフから必死で引き離した。
アーロンの様子からルイス達もただ事では無いと感じ、アーロンの後ろに回った。
「……こいつらは俺の過去を知らねえんだっ! 勘弁してやってくれっ!!」
アーロンの必死の訴えにもクリフは毛先ほども動揺を見せない。
感情の籠らない目でアーロンを油断なく見つめている。
「大人しくするなら、この町から離れた所まで連れていってやる……彼らに自分の絞首刑は見せたくないだろう?」
クリフの言葉にアーロンは動揺した。
猟犬クリフに狙われたが最後、誤魔化すことはおろか交渉すらできる筈も無い。
「アランっ! 何の話なのっ!」
オルガがヒステリックに叫ぶ。
「オルガ……ルイス……俺は昔、人を殺した賞金首なんだよ……黙っていて済まなかった。」
「嘘だっ! アランは良い人だっ!! 人なんて殺すもんか!」
「ルイス……」
ルイスの言葉を聞いて、アーロンは戦う決意を固めた。
……俺はやり直すんだ。諦めて堪るか!
「クリフさん、悪いが俺は捕まる気はねえ……表に出てくれ。」
「そうかい。」
クリフが振り向いてドアに手をかける。
……今だ!!
アーロンは咄嗟に剣を抜き、クリフに突き掛かった。
クリフは振り向きざまに剣を振り、アーロンの手首が半ばまで切断された。
「ぎゃああ!」
アーロンが悲鳴を上げる。
クリフは店に入る前から剣を抜き、外套の下に忍ばせていたのだ。
「アラン!!」
オルガが駆け寄ろうとするが「動くと殺すぞ」とクリフに凄まれ、へなへなと座り込んでしまった。
「なんで……アランは確かに人を殺したかもしれない……でも、やり直してたのよ! 悔い改めて、幸せに暮らしてたのよっ!」
オルガは悲鳴にも似た抗議をすると「わあっ」と床に伏せるように泣き崩れた。
「こいつが殺した人達にだって、幸せになる権利はあったのさ。」
クリフは手早くアーロンを拘束し、首にロープを引っ掛けた。
アーロンは「ぐええ」と悲鳴にも似た声を上げる。
もはや自力で逃げることは叶わないだろう。
クリフはアーロンを引きずる様にして外に出た。
外には騒ぎを聞き付けた住民が集まっている。
クリフは辺りを睨み付けるように窺うと住民はたじろぎ「ひえっ」とか「うわっ」と声があがった。
クリフが歩みを進めると人垣が割れる。
その間をクリフは進んだ。
「畜生っ! 畜生っ! 畜生ーっ!!」
ルイスの声がした。
女の悲鳴も聞こえる……オルガだろう。
アーロンは振り向くことができなかった。
誰にも顔を見られたくは無かった。
俯いたまま、アーロンは町を去る……足元に砂利が見えた。
アーロンが埋めた穴だ。
……すまねえ、やり直したかったのは……本当なんだ。
いつまでも流れ落ちる涙が、アーロンの顔を濡らし続けていた。
賞金首から見たクリフはこんな感じです。




