15話 飄風のショーン
少し長いです。
春が来た。
雪が溶ければクリフは冒険者の常として、旅に出る。
先日の馬宿の事件の後、唯一の生き残りだった3才の女の子の身元はついに分からなかった。
両親共に旅人であったし、手がかりとなる荷物も盗賊に荒らされていては見当のつけようもなかったのだ。
名前はエリー、恐らくはアリスとかエレノアとかの愛称だと思われるが、3才になったばかりの子は自分の名前を愛称で記憶していたらしく……本名は分からない。
この様子を憐れに思ったハンナはエリーの面倒を見ることにした。新たにアパートの一室を借り、移ることにしたようだ。
さすがに子供連れでは賞金稼ぎの旅路に同行させることはできない。
ハンナは道場(最近はハンナに手当がでるようになったらしい。宣伝目的であろう。)と酒場で働きつつ、ファロンでクリフの帰りを待つことになった。
何かあれば、ギネスやヘクターに頼れば問題は無いはずだ。
クリフも出来るだけ顔を出したいとは思うが、こればかりは予定が立つものでは無い。運任せとなるだろう。
……とりあえず、西に行ってみるか。
クリフに何か当てがあるわけでは無い。
今のところ賞金首について目ぼしい情報は無く、とりあえず歩き出しただけである。
………………
自由都市ファロンの西側は、かつてはマンセル侯爵という大貴族の領地であったが、ファロンに近く経済的に豊かであった侯爵領南部の豪族や小貴族の反乱を時のマンセル侯爵は抑えきれず、悉くが独立してしまった。
今では自由都市ファロンの西側はアッシャー同盟と名乗り、小勢力の連合体のようになっているのである。
クリフはアッシャー同盟領の外れ、コブという小さな宿場町に来ていた。
何か用があったわけでは無い。天候の急変により先を行くのを断念せざるをおえず、近くのコブの町に避難してきたのだ。
雹を伴う雷……いわゆる春雷というものだった。
雷というものは侮れない。
現代日本ですら、年平均で20人も落雷による被害者が出ているのだ。避雷針の無い時代ならば恐怖は比べ物にならないだろう。
雷とは人の命を容赦なく奪う恐ろしい天災なのだ。
……意外と長いな。
クリフはコブの酒場と食堂を兼ねた小さな店で、ぼんやりと空を眺めた。
雷は鳴り止まない……このままではコブで泊まることになるかもしれない。
クリフは何気なく店内を眺めた。
まだ夕方にもならないというのに、意外と客がいる。
恐らくはクリフと同様に雷を避けて来たのだろう。
店内にいる客は6人。
行商人と護衛であろう4人連れと、冒険者風の男が1人……それとクリフを含め6人だ。
冒険者風の男が立ち上がり、クリフに近づいてくる。
「あんた、猟犬クリフだろう?」
冒険者風の男がクリフに話しかけてきた。
どこか馴れ馴れしい印象の痩せた男だ。
汚れた外套と腰に吊るした剣、そして道具袋と典型的な冒険者風の装いである。
「……ええ、それが何か。」
クリフは愛想なく答えた。
男はやはりと頷きながら話を続ける。
「クリフさん、アンタ……狙われてるぜ。相手はこの町のチンピラを仕切っている蟷螂オービルって野郎だ……そして俺はオービルの子分のショーンってケチな野郎さ。」
クリフは「へえ」と気の無い返事をした。さすがに初対面の男の話を鵜呑みにするわけにはいかない。
「……ショーンさん、色々とおかしいじゃないですか。まず、私はオービルって旦那を知りませんし、恨まれる覚えもありません……そして、ショーンさん……」
クリフはショーンの方をチラリと見て、言葉を続けた。
その視線には嘘は許さぬと、殺気に似た力が込められている。
「何故、オービルさんの子分のあなたが私にそれを伝えるんですか?」
言葉は穏やかではあるものの、数々の修羅場を潜り抜けたクリフの迫力は凄まじい。
ショーンと名乗る男は少したじろいだ様子を見せた。
「へへ……そんなに睨まねえでくれよ。オービルはよ、エゴン……アンタに殺られた竜巻のエゴンって冒険者と兄弟分の親友だったのさ。その意趣返しってわけだ。」
クリフは「ふん」と鼻で笑った。
冒険者とは死に損だ……しかもエゴンとは尋常の立合いだった。
意趣返しとは片腹痛い。
「へへっ、俺もバカらしいと思ってんだよ。竜巻のエゴンからアンタに絡んで殺られたって話じゃねえか……自業自得ってもんさ。俺が命がけで猟犬クリフとやり合う理由にはなら無えよ。」
クリフはショーンを信じたわけではないが、一応の疑問は解けた。
しかし、新たな疑問がある。
「成る程、一応の筋は通りますが……ここでこうして私と話していると不都合があるんじゃないですか?」
「いや、逆さ。オービルの手勢は俺を含めて5人だ……猟犬クリフの相手をするには頼りねえ。そこで俺がアンタに近づいて、ブスリとやるなりして弱らせる手筈になってるのさ。今ごろは上手くやりやがったと、ほくそ笑んでるだろうよ。」
……成る程、ならば長居は無用だな。
クリフはコブの町を出る決意をした。
ショーンを信じようが信じまいが、町を出ることに不都合は無いのだ。
こうなるとクリフの行動は早い。
クリフは酒場の店員に干し肉や干し豆、堅焼きのクッキーなどの携帯食を注文し、受けとると店を出た。
折も良く、雷はピタリと収まったようだ。
春雷は長続きしないものではあるが運が良かった。
時刻は既に夕方になっているが、日暮れまでは間があるだろう。
クリフは西に足を向け歩き出した。
「おいおい、こんな時間に出るのかい?」
ショーンが驚いて後を追う。
「ええ、そんな馬鹿馬鹿しい理由で人殺しなんてしたく無いですからね。」
旅慣れたクリフの足は速い。
ショーンは時々小走りになりながら必死に着いてきた。
………………
数時間ほど歩いたところで日が沈み、クリフは野営に入る。
クリフは年季の入った小振りの鍋に、干し肉と豆を入れて汁にした。
「クリフさん、これも食ってくれ……別に痺れたりするような仕掛けは無えよ。」
ショーンがパンを2つ差し出してきた。
これは好きな方を取れという意味だ。毒は入っていないと言いたいのだろう。
クリフはパンを受けとり「カップを出しなよ」とショーンを促した。大抵の冒険者はカップや鍋を持ち歩いているものなのだ。
古ぼけた木製のカップを受けとると、クリフは汁を注ぎ、ショーンに返した。
「へへっ、すまねえな。」
ショーンが礼を言ってから汁を啜る。
クリフもショーンから貰ったパンを噛じった。
ショーンを信用したわけでは無いが、クリフの食料もショーンのパンも同じ食堂で買ったものだ。先ずは毒は入っていまい。
クリフは改めてショーンを眺めた。
年の頃はクリフと同じくらいか、やや若い。
それなりの経験も積んでいるのだろう、クリフには及ばずとも中々の貫禄がある。
クリフはショーンのことを一人前の冒険者であると見た。
オービルの子分だと言う話だが、ショーンのような冒険者を従えるのならばオービルも侮れぬ相手だ。
「竜巻のエゴンはな、コブの町の出なのさ。」
ショーンがポツリと話始めた。
クリフは黙って聞いている。
「同郷の絆ってのは深いだろ?……だからオービルみたいな馬鹿も出てくるのさ。俺も馬鹿らしいとは思いながらオービルの世話になってるのはそういう訳があるのよ……コブのような小さな町じゃ、死ぬまで同郷の繋がりってやつは離れられねえ。」
たしかに、同郷の絆というのは強いものだ。
田舎から王都やファロンのような都市に出るときは、先ずは同郷の者を頼ることが大半だ。そして都市には「どこそこの出身」という者たちのコミュニティーが必ずと言っても良いほど存在している。
……成る程、ね。
クリフは狙われる理由を知り、納得をした。
もちろん、納得をしたからと言って殺られるつもりなど毛の先ほども無い。
「恐らく、仕掛けてくるとしたら……この先の原っぱだろうよ。兎に角なにも無い場所だ。数が多い方が有利って訳さ。」
ショーンがクリフに警告をしたが、この警告ですら罠の可能性は十分にある。
クリフはショーンを信用してはいないのだ。
食事を終え、クリフは道具袋にもたれ掛かって睡眠をとることにした。
外套のフードを目深く被り、クリフは直ぐに眠りに落ちていった。
………………
どれくらい時間がたったであろうか、クリフは夜中に気配を感じて目を覚ます。
クリフは賞金稼ぎを続けるうちに、独特の防衛本能のようなものが研ぎ澄まされ、今では僅かな物音で目が覚める様になっているのだ。
「……お止めなさい。」
立ち上がり近づいてきたショーンに、クリフは声をかけた。
「……起きていたのか?」
「闇討ちで、そんな物音を立ててはいけませんね。」
クリフはこう言うが、実のところショーンはほとんど物音を立ててはいない。
クリフの防衛本能が異常なほどに冴えているだけだ。
「へへっ……小便さ、気にするな。」
ショーンはそう言い残し、離れて行った。
回りは少しだけ明るくなってきている様だ。
……仲間を呼びに行ったな……なるほど、朝駆けか。
人の心理として、夜間というのは常に警戒を募らせるものだが、朝が来るとついホッと一息ついてしまう。朝駆けとはその油断を狙う兵法の1つだ。
……こうも見晴らしが良くては駄目だ。弓を使われては一溜まりもない。
クリフは静かに、かつ手早く外套を脱いで道具袋に被せた。
遠目にはクリフが寝ているように誤魔化せるかもしれない。
そして全く足音がしない歩きでショーンの後をつけ始めた。
…………
しばらく後をつけると、ショーンは四人の男たちと合流した。
クリフの予想通りである。
……鎌を持っているのがオービルか……鎌を使うから蟷螂とは芸の無いことだ。
クリフは音も無く苦笑をする。
オービルの鎌はいわゆる手鎌だ。それを2本持っているので蟷螂の様に見えるのだろう。
……弓は、一人か……やるか。
クリフは敵の様子を確認すると襲撃することに決めた。
こうした思いきりの良さがクリフにはある。やると決めればもはや躊躇いは無い。
クリフはナイフを手に取ると気配を消すことを止め、走り出した。
「何だ!?」
「うわっ!」
弓を持つ男の腹にナイフが突き立ち、悲鳴を上げた。
そしてクリフは投げたナイフの行き先を確認もせずに、すでに剣を抜いている。
襲撃をすると思い込んでいる者は、自らが襲撃を受けるとは考えもしないものだ。
クリフの攻撃は完全な不意打ちとなった。
クリフはオービルと思わしき男に飛び掛かり、顔面を切り下げる。
奇妙な悲鳴を上げながらオービルは踞って動かなくなった。
「この野郎!」
残る男たちはようやく事態を飲み込み、剣を抜いた。
……遅いぜ!
すでにクリフは次の獲物を見定め、身を低くして走り寄っている。
走る勢いはそのままに、クリフは剣を構えながらドンッと体当たりをした。勢いが余り、剣の先が背中から覗いている。
クリフの強烈な体当たりで刺された男が吹っ飛んだ。
クリフは剣から手を離す……剣を深く刺し込んだ場合、下手に踏ん張ると相手の体重で剣が折れるのだ。
クリフは剣を引き抜きながら辺りの様子を伺った。
ショーンは少し離れたところで観戦している……戦意は無いようだ。
となれば残る敵は一人のみだ。
若い男が健気にもクリフに剣を向け、何やら喚いている……見れば剣先は小刻みに揺れている。
「止めておけ。」
クリフが声を掛けると、それが切っ掛けとなったのか、若い男が悲鳴を上げながら剣を突き出してきた。
クリフは難なく剣を躱わすと、すれ違い様に剣を男の腹に突き刺した。
…………
クリフはナイフを回収し、息のある者には止めを刺した……非情にも感じるが、半端に慈悲をかけるのが最も悪手である。慈悲をかけられた相手に後ろから切りかかるのが冒険者というモノなのだ。
クリフはショーンに目を向けると、死んだ仲間の死体を漁っている。どうやら財布を抜いているようだ。
その様子を見てもクリフは何とも思わない。
死体から物を盗るのは確かに誉められた行いではないが、良くあることではあるのだ。
クリフはショーンを一瞥すると立ち去りかけた。
「クリフさん、ちょいと待ってくんな。」
ショーンがクリフを呼び止め、先ほどから集めた財布に、自らの財布を加えてその場に落とした。ドシャッと重そうな音が低く響く。
「これはクリフさんへの手間賃さ。賞金稼ぎ専門だってのに変なことに巻き込んで済まなかったな。」
話しながら、ショーンが腰の剣を引き抜いた。
「別に、戦う理由は無いだろう?」
クリフがショーンに向かい合う。
「そういう訳にもいかねえ……なにしろ竜巻のエゴンは俺の、実の兄貴だったのさ。」
「そうかい。」
クリフも再度剣を抜いた。
「大人数でいたぶるのは趣味じゃねえが、一騎討ちなら文句はねえ……飄風のショーンだ、行くぜ。」
ショーンは素早くクリフに駆け寄り、剣を突きだす。
クリフは身を捩り、何とか躱わすがショーンは止まらない。
ショーンは突きだした剣を素早く捻り、柄の部分でクリフを殴り付けた。
クリフは後ろに飛びながら衝撃を殺す……すると体を回転させながらショーンの回し蹴りがクリフの肩を襲った。
「くっ」
クリフは躱わしきれずに肩に強い衝撃を受けた。
まさしく飄風のような素早い攻撃に、クリフは圧倒された。
……こいつは、手強い。
クリフは苦し紛れに剣を振り、何とか距離を取り仕切り直す。
「さすがだな。」
ショーンがクリフに声を掛けたが、クリフは無言だ。
クリフは剣を逆手に持ち変え、構え直す。
「兄貴を倒したのはまぐれじゃなさそうだ!」
再度、ショーンが素早く剣を突きだした。
同じ攻撃を何度も食らうクリフではない。今度は体勢を崩さずに体を半回転させ、剣先を躱わした。
そして右脇の下から剣を突き出す。
クリフの突きだした剣先は、追撃しようと前のめりになったショーンの胸を鋭く抉った。
「バカな……」
ショーンは信じられないといった表情でクリフを見つめる。
「……その動きは2度目だからな。」
クリフがぼそりと呟いた。
「へへ……さすがだな……止めを……頼むぜ」
クリフは無言でショーンの喉元に剣を突き出した。「げっ」と小さな悲鳴を上げてショーンは絶命した。
クリフはショーンをしばらく見つめ「強かった」と呟いた。
クリフはショーンの方がオービルより余程腕が立つと感じ、不思議に思う。
強いものが弱いものに従うのは、冒険者のあり方としては少々不自然である。
……何か、義理があったんだろうな。
クリフはそう結論付けると、もはやショーンとオービルの関係の事は頭の隅に追いやった。
……こいつは約束通り、貰っていくぜ。
クリフはショーンたちの財布を拾い、道具袋を置いてきたのに気がついた。
……やれやれ、面倒な事だ。
クリフは夜を明かした場所まで歩き出す。
ざっ、と草を揺らして東風が吹いた。




