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猟犬クリフ~とある冒険者の生涯  作者: 小倉ひろあき
1章 青年期

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14話 追分の風 上

 ハンナ・クロフトが自由都市ファロンに来て二月(ふたつき)以上が経過した。

 雪は溶け始め、春が訪れようとしている。



 クリフはいつもの酒場でぼんやりとしていた。もはや頭を使うことを放棄したのである。


 その原因はギネスが持ち帰ったヒースコートからの手紙であり、その内容はクリフの予想を大きく外れるものだった。

 手紙にはハンナの非礼や、ヒースコートがクリフの真意を伝えたことへの謝罪と共に『ハンナの好きにさせてやってほしい』旨が書かれていたのだ。

 この内容にクリフは頭を痛めていた。


 また、ハンナ宛の手紙にはハンナをクロフト家から勘当する旨、そして「自由に生きなさい」と書いてあったという。


……どこまでも甘い叔父上だ。事実上、姪が冒険者とどうにかなるのを認めたようなもんだ。


 クリフはヒースコートの対応に内心で呆れ果てていた。


 実のところ、ハンナは早くから父を亡くし、年の離れた兄や叔父に猫可愛がりをされていた過去があり、ヒースコートの甘さはその延長であるのだが、クリフが知るよしもない。


 そのハンナは今、クリフの横で外套(マント)を繕ってくれている。

 クリフの使い古しの外套は鍵裂きや繕いだらけの襤褸(ぼろ)に近いものだ。

 それを鼻歌交じりで楽し気に繕う姿は貴族のものではない。


 クリフの世話が出来ることが、嬉しくて堪らないといった風情のハンナを見て、クリフも思うところはある。

 クリフとて木石では無い。

 ハンナのような美人に慕われて嬉しくない筈がないのだ。


……でも、なあ。


 しかし、クリフは心に引っ掛かる何かを感じてはいた。

 それは刑場の露に消えたエレンの事であったかもしれないし、自らが明日をも知れぬ賞金稼ぎだということかもしれない。

 何か、自分でも理解できない何かが引っ掛かっているのを感じるのであった。


「できたよっ!」


 ハンナは意気揚々とクリフのマントを持ち上げるが、お世辞にも上手な仕上がりでは無い。むしろ諸事器用なクリフの方が綺麗に縫えるであろう。


 しかし、クリフは嬉しかった。ここまで純粋な好意を向けられるのは、クリフが故郷から出て始めてであったかもしれない。


「ありがとう。 人に服を直してもらうなんて……いつ以来かな……。」


 クリフはハンナから外套を受けとり、肩にかける。

 ハンナはその姿をほれぼれとした風情で見つめた。


「なあなあ、お二人さんよ。」


 ヘクターがクリフとハンナに声をかけた。


「別にいいんだが……お前さんたち、なんで酒場でままごとしてるんだ?」


 ヘクターの言葉で我に返ったクリフは周囲の白けた視線に改めて気がついた。

 冒険者とは大半の者が独り身である。

 その中で堂々といちゃついていたら良い気はされまい。


……ああ、やっちまった。


 クリフは後悔したが、ハンナは何処吹く風だ。


「いいんですっ。隅っこの方で大人しくしてるじゃないですか。」

「いやあ、そういう訳じゃなくてだねえ。」


 ヘクターは何とも仕様がないと言った風情で苦笑した。


「お嬢ちゃんに文句を言えるやつなんてここにはいねえんだよ。」


 ヘクターはお手上げだ、と両手を上げて降参した。


 この酒場でウェイトレスをしているハンナは容姿も美しく、朗らかな性格で人気者である。誰からも好かれる存在ではある。

 しかし、そこは酒場だ。

 1度、酔漢が戯れにハンナの胸や腰を撫でたことがあった。

 その時、ハンナは「無礼者!」と一喝し、有無を言わさぬ曲刀の一撃で酔漢の両目を潰してしまったのだ。

 貴族であるハンナの権利は王国法で守られている。

 目を潰された男の罪が問われることはあっても、無礼者を返り討ちにしたハンナの罪が問われることは無い……男は泣き寝入りだ。


 それ以来、この酒場でハンナに逆らう者などいない。


「すまん、ヘクター。ハンナ、少し外を歩こう。」


 クリフは慌ててハンナを外に連れ出した。

 ハンナはクリフとお出かけできると聞いて上機嫌だ。


「まだ、仕事中だろ……」


 マスターがやれやれと言った風情で呟いた。




………………




 クリフとハンナは露天を冷やかしながら大通りを歩いていた。


……どうしたもんかね。


 クリフはハンナに何かお礼の品でもと思うのだが、何を贈ろうかピンと来ない。

 ハンナならば何を贈っても喜んでくれるだろうが、だからと言って何を贈っても良いわけではないだろう。


 その時、ガチャガチャと鎧の音も勇ましく衛兵が数人駆けていくのが目に入った。


……衛兵隊か、事件か?


 衛兵が慌ただしく大通りを駆け抜けて行く。


「ハンナ、少し見に行くか。」


 クリフは衛兵隊を追いかけた……これは別に野次馬根性では無い。

 犯人が賞金首ならば、いち早く追跡に入ることができ、それ意外の犯人であっても、犯人が新たな賞金首となることも珍しくは無いのだ。


 クリフはハンナと共に衛兵を追い、ファロン郊外の馬宿に辿り着いた。

 馬宿とは馬で旅をする者の馬を預かる施設のある宿のことだ。


「酷い……」


 ハンナが馬宿の惨状をみて顔をしかめる。

 馬宿の内外には何人もの死体が転がっている。


「あっ、クリフさん。」


 顔見知りの衛兵がクリフを見つけて近寄ってきた。


「酷いもんですよ……6人も死んでます。」

「6人か……」


 クリフは改めて惨状に目を向けた……物取りだろうか、部屋も死体も荒らされている。

 そして、子供の泣き声が聞こえてくるのに気がついた。


「子供?」

「ええ、旅の親子も殺られたんですよ……子供はさすがに殺さなかったようですが。」


 その時、クリフの頭はカッと怒りで真っ白になった。


「親が殺されたのか?」

「はい、両親(ふたおや)ともに……まだ三つの子には酷なことで……」


……子供の前で、両親を殺したのか……許さねえ。


 クリフの総身から殺気にも似た気迫が迸る。

 あまりの迫力に衛兵やハンナも思わずたじろいだ。


「ハンナ、ギネスに声を掛けてこい。俺は現場を調べてから犯人を追う。」

「う、うん。わかった。」


 ハンナは走ってファロン市内に戻っていった。

 残ったクリフは現場を丹念に調べる。


 血の着いた足跡は三つ、武器は……剣か槍だな。刺し傷ばかりか。

 クリフは少なくとも犯人は三人だと踏んだ。


……足跡は……こっちか。




クリフは足跡の追跡を始めた。

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