13話 冬の空 下
それから半月ほどが経った。
ハンナはそれなりに都会の生活を楽しんでいる様子で、午前中は町の剣術道場で汗を流し、午後はいつもの酒場でウェイトレスをしている……これは部屋を借りているお礼も兼ねてのことらしい。
冬の間はクリフも暇ではあるのでハンナの様子を見ることが多い。
何しろ、ハンナは危なっかしい。
ただでさえ田舎の娘が都会に出てくるなど、騙されやすい状況でもある。
今もクリフはハンナが稽古している剣術道場の様子を窓から覗いていた。
ハンナが通う剣術道場はカルカス流と呼ばれる曲刀術を教えている。
稽古は1日に午前と夕方の2回、ハンナは午前中の稽古に通っているのだ。
「イヤアア!」
「セエエー!」
今は木刀を使って型稽古をしているようだ。
女性が剣術道場に通うことは、無いではないが珍しい。まして美しいハンナが通っているのだ。
たちまちのうちに評判となり、午前中の稽古は盛況だ。
ハンナは今では町の人から大人気で「剣術小町」などと呼ばれているらしい。
そこはハンナの明るく、純朴な性格にもよるだろう。
……次は実戦形式か……。
道場に通ったことなど無いクリフは知るよしもないが、乱取りと呼ばれる実戦形式の稽古が始まった。
たちまちのうちにハンナに群がる道場生たち。
ハンナはニコニコと応対しているようだ。
稽古が始まった。
……駄目だなこれは。
クリフは少し稽古を見ただけで駄目だと判断してしまったが、無理もない。
あっと言う間に道場生たちは次々とハンナに打ち据えられていく。
ハンナの腕前が良いということもあるが、道場生が不甲斐ないのだ。
ハンナに叩かれて悔しがるどころかニヤニヤと喜んでいる者もいる始末である。
……やれやれ、こんなものか。
クリフは軽く溜め息をついた……そろそろ稽古が終わるようだ。
……………
稽古が終わり、がやがやと外に出てくる道場生たち。
その中でもハンナの周りには人だかりができている。
なんとかして気を引きたい道場生たちが、ハンナに話しかけているのだろう。
「あ、クリフっ!」
ハンナがクリフを見つけて小走りに駆け寄ってきた。
残された道場生たちの怨嗟の眼差しがクリフに集中する。
「迎えに来てくれたの?」
「まあ、な。」
最近ではクリフの言葉遣いも気安いものに変わってきている。これはハンナに請われてのことだ。
「でも、汗をかいたから……」
ハンナが少し恥ずかしそうにはにかむ。
このあたり、ハンナはお嬢様育ちだ。農家の娘ならばそのようなことは気にもしないだろう。
「ハンナさん……失礼ですが、こちらは?」
先程の道場生の一人が声を掛けてきた。20才くらいだろうか……いかにも生意気そうな顔つきだ。
「こちらはクリフです。私の大切な人なんです。」
ハンナが嬉しそうにクリフを紹介した。若い娘にとって恋人を紹介するのは嬉しいことであろう。
もっとも、クリフは楽しくも何とも無いが。
「こちらが、あの猟犬クリフさんですか……4番通りの決闘で有名な。」
後ろの道場生たちから「おおっ」と驚きの声が上がる。
「折角の機会だ、その剣技を御指南いただけませんか?」
生意気そうな道場生がキラリと目を輝かせてクリフに提案した。
これは立ち会いを求めているのである。
「え、でも……」
ハンナは困惑顔だ。
さすがにクリフが負けるとは思ってもいないが、門下生でも無いクリフが剣術道場で稽古となると、少し問題があるのではないかと考えたのだ。
「いかがでしょう? 皆も興味があるだろう?」
若い道場生は振り返り、同意を求めた。後ろに控える道場生たちは口々に同意する。
……なるほど、そういうわけかい。
クリフは腹が立った。
大方、クリフが道場剣術を知らないと見て、ハンナの前で恥をかかせたいのだろう。
こいつは腕に自信があるのだろうし、いざとなれば後ろの道場生たちと袋叩きにでもするつもりなのだろう。
「いいでしょう。但し、私は冒険者ですので、冒険者流にやらせていただきますが、よろしいですか?」
クリフが若い道場生に答える。若い道場生はニヤと笑う。
そもそも道場剣術はクリフのような喧嘩剣法を制することを術理として成立している。彼の自信も根拠の無いことではなかったのだ。
「いいですよ、それでは……」
と言いかけたところでクリフの鉄拳が顔面に飛んだ。
若い道場生は、いきなりの不意打ちになすすべもなく崩れ、倒れ込んだ。
そしてクリフが「私の勝ちですね」と首もとに剣を突き付けた。
「なっ、卑怯だ!」
若い道場生が喚くが、クリフはどこを吹く風だ。
「それでは、これで。」
クリフは剣を納めると、ハンナを左手でぐっと引き寄せて歩き出した。これは無論、挑発だがハンナは頬を染めて喜んでいる。
「あん、クリフ……汗くさいから……。」
ハンナが恥ずかしそうに少し悶えた。
この分かりやすい挑発に、若い道場生は引っ掛かった。
「まて卑怯だぞ!」
若い道場生は鼻から血を流しながらクリフに食って掛かる……刹那、クリフが反転し、右手が閃いた。
若い道場生の靴先ギリギリのところにナイフが突き立ち「あっ」と小さな悲鳴を上げて若い道場生は転倒した。
「これが冒険者流だよ。」
クリフは若い道場生を一瞥すると、もはや振り返らなかった。
「クリフ……やりすぎだよ。イーノスさんが失礼だったとは思うけど。」
ハンナが若い道場生を気づかった。どうやらイーノスという名前らしい。
「数日痛いだけだ。あの程度はハンナなら防いだはずだ。」
ハンナは「それもそうか」と納得したようだ。
ハンナは良しも悪しくも単純だ。弱いから負けた、という理屈には弱い。
しかも、彼女自身がクリフとの旅路で散々に似たようなことをされているのだから尚更だ。
納得さえしてしまえば、すぐにイーノスのことは頭の隅に追いやってしまったらしい……若い娘は残酷である。
「ねえ、4番通りの決闘って何?」
ハンナが目をきらきらと輝かせている。なにやら素敵な話の予感でもあったのだろう。
「ああ、それはヘクターが詳しいから……」
クリフは適当に相槌をうった。
……ギネスが戻ってくるのは……早くて一月、遅くて二月か。
クリフは雪が降り始めた空を眺めた。
雪中の旅は時間がかかるのだ。
……帰ってこいと言われるだろうな。
クリフは隣で嬉しそうにはしゃぐハンナを見て、少し複雑な気持ちになった。
道場の前ではイーノスが他の道場生に「相手が悪いよ」などと口々に慰められていた。




