12話 隻眼ヘクター
「いや、すいませんでしたクリフさん……これも仕事でして。」
「いや、お気にならさず……私はこれで失礼します。」
ここは自由都市ファロンの衛兵の詰所だ。
先程までクリフはここで事情聴取を受けていたのだ。
ここ半月ほどの間にファロンでは殺人事件が続いた。
殺されたのは、いずれも元冒険者だ。昨日までで4人も殺された。
自由都市ファロンは周辺部も含めれば人口10万を超す大都市だ……当然、反社会的な組織もいくつか存在する。
その中でも最近、社会問題となっているのは不良冒険者の集団だ。
何らかの理由で冒険者をリタイアした者達が徒党を組み、犯罪組織化するのだ。
元々が荒事に慣れた冒険者たちである。
あっという間に裏社会で勢力を伸ばし浸透した。
その中でも特に威勢の良い組織は二つ、雨蛙のロトの率いる「雨蛙党」と長腕のドナルドの率いる「長腕党」だ。
当然のように両者の仲は険悪だった。
そして、殺された4人とは雨蛙党の構成員だった。
殺された4人は音も立てずにナイフで刺殺されていたという。
初めの1人目ならまだしも4人である……刺客を警戒する中で誰にも気づかれずに暗殺するなど並の力量では無い。
そして、長腕党の依頼を受け、4人を暗殺した凄腕の実行犯とは猟犬クリフであると噂されるようになった。
ナイフの腕前と、気配を消す技は猟犬クリフのものであるというのが、その根拠であった。
……馬鹿馬鹿しい。
クリフは相手にもしなかった噂話ではあるが、一応の形だけでもと衛兵に協力を頼まれ、取り調べを受けたのだ。
もちろん、潔白だ。
クリフのナイフは投擲用であり犯行に使われたものではないこと、そして犯行があった日はクリフにはアリバイがあったこと。
ギネスといつもの酒場で飲んでいたのだ。マスターとギネスが証言してくれた。
以上の2点でクリフへの疑惑は晴れた。
……面倒くさい話だ。
そもそもクリフは組織化した冒険者集団を相手にしない。
中には賞金首も混ざってはいるが、徒党を組んでいる相手に単身挑むほどクリフは勇敢ではない。
無謀な挑戦はしない、勝てぬなら逃げる……これがクリフのスタンスだ。
何事も命あっての物種なのだ。
クリフはやれやれといった風情でいつもの酒場に向かって歩きはじめた。
………………
いつもの酒場に着くとギネスがいた。クリフを待っていてくれたのだろう。
「兄貴、とんだ災難でしたねえ。」
「ああ、全くだ。馬鹿馬鹿しい。」
クリフとギネスが愚痴を言い合っていると、マスターが見知らぬ男を連れて近づいてきた……どうやらこの男を紹介するらしい。
「クリフ、お客さんだぜ。お前さんがくるのを首を長くして待ってたんだ。」
マスターが隣の男を促した。
「お初、お目にかかるクリフ殿、私はヘクター。隻眼ヘクターと呼ばれることもある。」
……隻眼ヘクターだと!?
クリフは驚きと共にその名を聞いた。
隻眼ヘクターとは凄腕の冒険者だ。マカスキル王国東部では猟犬クリフの名が高まってはきたが、隻眼ヘクターと言えば王国西部……主に王都近辺で名高い。
冒険者と言えば隻眼ヘクターと言われるような伝説的な冒険者だ。
ヘクターは30代半ば程の年頃の男だ。
異名の通り片目なのだろう。右目に黒い眼帯をしている。
銀髪と相まって迫力のある面構えだ。
身長はクリフよりやや高い程度だが、分厚い体つきはいかにも強そうだ。
「クリフです……こちらはギネス。 」
クリフが愛想の無い挨拶をする。
紹介されたギネスは「お会いできて光栄です」とソツの無い挨拶をした。
「堅いのはやめよう、柄じゃねえからな。」
ヘクターがクリフとギネスに声を掛け、マスターを含め4人はテーブルに席を移した。
「先ずは乾杯といくか! 今日は俺の奢りだぜ。」
マスターが場を取り持ち皆で乾杯する。
「俺とヘクターは若い頃に一緒に仕事したこともあるんだぜ。」
「ああ、世話になったよ……そんでお世話ついでに引退後の世話も頼もうと思ってな。」
どうやらマスターとヘクターは旧知の仲らしい。
「実はな、俺もいい年だし引退しようと思ってファロンに来たんだ。そしたら噂の猟犬クリフがいるってんで挨拶しようと思ってよ。」
「……そりゃ、どうも。」
クリフには愛想が無い。
しかし、ヘクターは気にもならないようだ。
「まあ、これからは見かけたら声でも掛けてくれや。クリフ、ギネス。」
この日は遅くまで飲むことになったが冬の冒険者は暇だ。特に問題はない。
さすがにクリフは初対面の人間の前で酔うようなことは無かったが、若いギネスは半ば伝説的な冒険者であるヘクターに親しく声を掛けられて、すっかり参ってしまったようだ。
………………
事件は2日後に起きた。
仲間を殺されたと思い込んだ雨蛙党が暴発し、総出で長腕党を襲撃したのだ。
長腕党も抵抗したものの、不意の襲撃を受けたこともありドナルドを殺され壊滅した。
双方合わせて100人に迫る冒険者の激突である、ファロンは内乱状態に近くなり、衛兵も手が出せない始末であった。
ドナルドを討ち取った雨蛙党はそれでも納まらず、仲間殺しの容疑者であったクリフを血眼で探しまわることになった。
クリフの容疑は晴れているのだが、興奮した彼らに理屈は通用しない。
…………
「てめえがクリフだな! 仲間の仇だ!!」
「覚悟しやがれ!」
口々に怒鳴りながらクリフに迫る雨蛙党……その数は20人は下らない。
そしてバラバラと追い付く者もいる。
敵の数はまだ増えるようだ。
クリフは静かに先頭の男に向かって話しかけた。
「お前がロトか?」
「そうだ! 雨蛙のロトとは俺のことよ。」
次の瞬間、クリフの手が閃きロトの腹にナイフが突き立った。
「な……ごふっ、汚えぞっ!」
ロトが喚くが相手をする暇はない。
クリフは無言で振り返り逃走した。
クリフは雨蛙党に炙り出されて見つかったのではない。あえて身を晒し反撃に出たのだ。
雨蛙党の足の早いのが追い付いてきた。
クリフはいきなり振り返り剣を振る。
顔を割られた男が「があっ」と悲鳴を上げた。
クリフはそのまま路地に進入し、物陰に身を隠す。
そして急いで追い掛けてきた男の前に突然姿を現し、腹を抉る。
クリフは一人で雨蛙党を相手に戦いを挑んだのだ。
勿論、勝算は極めて低い。
だがクリフは逃げるよりも戦う方が生き延びる確率が高いと踏んだ。
クリフは戦いに関しては徹底したリアリストだ、そして一度賭けたならならば躊躇は無い。
「あそこだ!」
「野郎め!!」
「待ちやがれ!」
大挙して押し寄せる雨蛙党にまたも背を向けて逃げる。
クリフは騎士ではない。背を向けることは恥でもなんでもないと思っている。
様々な路地を駆けるが、店は全て固く閉じている……当たり前ではある。
「いたぞっ!」
クリフは無言で目の前に飛び出した男に向かい、剣を構えたまま体当たりをした。
男は胸に剣を生やしたまま転倒する……そしてクリフは1度剣から手を離した。深く刺さった剣を握ったまま踏ん張ると、体重で剣が折れるからだ。
そのまま近くの男にナイフを投げつけて倒すと、剣を引き抜き走り出す。
……おかしい、数が少ないぞ……?
クリフは自分に迫る敵が少ないことに気がついた。
しかし、確かめる術はない。
……数が少ない……先で待ち伏せされているのか?
クリフは急に体を捻り振り返る、外套がバサリと翻り後ろの男の顔面を叩いた。男は驚き転倒し、クリフに頸骨を踏み砕かれた。
数人もの敵が驚きの声を上げたがやり過ごし、今までの道を逆走する。
すると大通りで思わぬ光景が目に入ってきた。
……ヘクター!? それにギネス!
そこには暴れまわるヘクターと、大声で喚いているギネスがいた。
ヘクターの戦いは凄まじい。
両手に剣を構え、まるで踊るかのように身を翻す。
右で刺し、左で裂き、怯んだ相手を蹴り飛ばす……瞬く間に二人を倒した。
素晴らしい技の冴えだ。
ギネスは「うひー」とか「ぬおー」などと奇声を上げながら剣と鞘を振り回している。
これはこれで敵の注意を引き、ヘクターの動きを助けているようだ。
……あいつら……。
クリフはジュードと死に別れて初めて、共に戦う仲間を得た。
「おう、クリフ! おかわりはまだか!? 俺もギネスも足りてねえぞ!」
「うはっ!? もう無理ですっ! 絶対無理ですっ!」
ヘクターとギネスがクリフを見つけて大声を上げた。
「すまん! 助かった!」
クリフが二人に合流した。
「がっはっはっ、水臭えっ俺たちの仲じゃねえか!」
「ぜー……ぜー……この前会ったばかりですけどっ!?」
ヘクターとギネスが軽妙なやり取りをしている、案外いいコンビのようだ。
ヘクターがずいっと前に出た。
「やいやいっ! 遠からんものは音に聞けっ!! 近くば寄って目にも見ろっ!! 隻眼ヘクター! 猟犬クリフ! 雲竜ギネス! この名を恐れぬ命知らずは……かかってきやがれいっ!!」
ヘクターが群がる敵に大見得を切った。
「雲竜?」
クリフがヘクターに尋ねた。雲竜ギネスとは初耳だ。
「おう、今考えたぜ。なかなか格好いいぜ、雲竜の兄い。」
「あざーっす! あざーっす!」
クリフは良くわからないが、ギネスが喜んでるなら問題はないだろうと納得した。
「へ、ヘクターだと!?」
「何で隻眼ヘクターが?」
「猟犬クリフだけでも……」
「雲竜ギネス……?」
「やべえぞっ!」
雨蛙党はヘクターとクリフに挟まれたギネスが、まさかただの若造だとは思わない。
修羅場の心理を知り抜いたヘクターの老練な詐術だ。
「こねえなら、こっちから行くぜい!」
ヘクターが駆ける、すれ違う度に敵が悲鳴を上げた。
クリフの手が閃く、容赦なくナイフが敵に刺さる。
ギネスも両手を振り回しながら吠えたてる、1度腰が砕けた敵は脆い…ギネスが敵を追い散らす。
3人はまさに当たるを幸いに敵を薙ぎ倒していく。
もはや敵に戦意は無く、逃げ回るのみだ。
…………
気づいた時には大通りに敵はいなくなっていた。
今頃になって衛兵が駆けつけてくる。
……助かったのか…まさか、勝つとはな……
クリフはさすがに疲れはて、ドカリと座り込んだ。
見ればヘクターも倒れ込み、ぜーぜーと息を整えている。
意外に元気なのはギネスで、クリフは衛兵とのやり取りを全てギネスに任せてしまった。
………………
この日を境に、ファロンの裏社会は勢力図を大きく変えた。
なんとヘクターがその知名度をもって、雨蛙党と長腕党の残党を糾合し、新たな首領となった。そして他の小組織も次々と吸収していくこととなる。
ヘクターは賞金首を全て衛兵に突きだし、残る構成員を使って口入れ屋(日本で言うところの人材派遣会社)を始めた。
自由都市ファロンから不良冒険者はほぼ一掃されたのである。
…………
いつもの酒場でクリフはヘクターとギネスと飲んでいた。
「なあ、ヘクター……始めからこれが狙いだったのか?」
「さてな。」
クリフの問いにヘクターは知らぬ顔だ。
恐らく初めの4人を殺ったのもヘクターであろう……そしてクリフが犯人だと噂を撒いたのも。
「半分は……あっちだぜ。」
ヘクターはマスターを示すがマスターも知らぬ顔だ。
「賞金もたんまり入ったし、恨みっこなしだぜ。」
確かに、ヘクターの言う通り、倒した雨蛙党の中には賞金首が混じっていた。ヘクターが突き出した数も合わせて6人にもなる。その賞金は3人で山分けにした。
……それとこれとは話が別だろうが。
クリフは内心で毒づくが、はぐらかされるのは目に見えているので諦めた。
「ささ、猟犬の兄さんに雲竜の旦那、ぐーっとやっちくれい。」
ヘクターが二人の盃に酒を注いだ。
……ふんっ奢りでも無いくせによ。
クリフは苦笑いをする。
「えっへっへ……こいつは恐縮で。」
ギネスはニタニタと喜んでいる。
先日の1件以来「雲竜ギネス」と言えばファロンではすっかり良い顔の冒険者になってしまった。
世上に曰く、ヘクター、クリフに次ぐ凄腕だとかなんとか言われているそうだ。
噂とは恐ろしいもので、一人で百人、三人で三百人を切って倒した話になっているのだから恐れ入る。
この騒動は後に「4番通り辻の決闘」と呼ばれ大いに喧伝されることになる。
そして後にクリフを大いに悩ませる事にもなるのだが、これは別の話だ。
……まあ、良いけどよ。
クリフはまた、苦笑いをした。




