8話 笑い傷のダリオ
自由都市ファロンの郊外で男が2人、暇を持て余していた。
「兄貴……本当に来るんですかね?」
若い方の男が、口を開いた。
この男はギネスという冒険者だ。駆け出しのため、まだ異名は付いていない。年の頃は二十歳になるやならざるやと言ったところだ。
茶色の髪色の、いかにも生意気そうな若者である。
「さあな……」
兄貴と呼ばれた、やや年嵩の男が寝そべりながら答えた。こちらも若い。20代の半ば頃だろう。
彼は猟犬クリフと呼ばれる凄腕の賞金稼ぎだ。その筋では有名で、彼に追われた賞金首で逃れ得た者は無いとすら言われている。
彼らは僅か数件先の農家を見張り続けている。
今この農家では、葬儀が執り行われている。老婆が亡くなったのだ。
この老婆はダリオという賞金首の実母なのである。
笑い傷のダリオと言えば何人も殺し、金品を奪う凶悪な犯罪者だ。実に19000ダカットの賞金が掛かっている。
クリフがダリオの実母が亡くなったと聞いたのは偶然だった。
クリフはダリオが母親の葬儀に顔を出すのではないかと思い立ち、ギネスを誘って張り込みを始め、もう丸1日以上見張りを続けている。
今回、珍しくクリフがギネスを誘ったのは、単純に張り込みの手が足りなかった為である。いかにクリフでも、集中力を切らさずに周囲の気配を探り続けることはできない。休憩中の交代要員が必要だったのだ。
それでもギネスは兄貴分のクリフから頼られたと思い、やる気に満ち溢れている。
…………
数時間、経過した。
「兄貴、やっぱり来ねえんじゃないですかい?」
ギネスがぼやく。その顔には隠しようもない疲労がにじみ出ている。
張り込みとはじっとしていれば良いと思われがちだが、対象を見張り続けるというのは大変な気力が必要となる。
「かもな……」
クリフはギネスに金を渡し、何か食べ物を買ってくるように指示をした。
少しでも歩けば気分転換にもなるだろう。
…………
クリフは一人で考える。
ギネスの言う通り、ダリオのような凶悪犯が母親の葬儀に顔など出すはずが無い。
他人を何人も殺した男には母親の死など何とも思わないのではないか。
このような待ち伏せの機会に賞金首が姿を現すリスクを犯すはずも無いだろう。
だが、だがしかし……クリフは肉親の情、母親への愛情と言うものを捨てきれるものだろうかとも思う。
クリフは11才の時に故郷の村を襲撃され、肉親という者が一人もいない。天涯孤独の身の上だ。
だからこそ……肉親の情というものに憧れ、尊いものだと信じているのだ。
…………
火葬の火が消えた。
葬儀が終わったようだ。
荼毘に付した遺灰を集め、墓に埋めれば弔いは終わる。
この地域では火葬と土葬があるが、都市部では普通、火葬が一般的だ。疫病を防ぐ意味がある。
雨が、降ってきた。
…………
「兄貴、帰りましょうか。こんなこともありますぜ。」
戻ってきたギネスがクリフに声を掛けた。
「いや、まだだ。墓に移動するぞ。」
ギネスは「うへえ」と舌を出したが、素直に従った。ギネスが買ってきた串焼きを噛じりながら2人は見張りを続ける。
もうすっかり日は暮れた。
…………
夜も更けた墓場に何者かが現れた。
クリフが「あれを見ろ」とギネスを促す。人影が真新しい白木の墓標の前に立っていた。
「お出ましだ。ギネス、俺が裏から声を掛ける。墓地の入口を固めろ。」
クリフは指示を出すと、夜の闇に溶け込んでいく。何か特別な歩法なのだろうか、足音を見事に消している。
闇に潜みながらクリフはじっと男の様子を伺う。
ダリオは口の端から左右に刀痕があり、ピエロの笑い化粧の様に見えるらしい。笑い傷という異名の由来だ。
しかし、男は口元に布を巻いている。これでは確認ができない。
……仕方がない。声を掛けるか。
万が一にも人違いで殺してしまっては、逆にクリフが賞金首のおたずね者になってしまう。
音もなく近づき「おいダリオ」と声を掛けた。
男は返答もなく細身の剣でクリフに突きかかってきた。
剣を難なく躱わすが、ガツンと逆側から骨に響くような衝撃を受けた。
……殴られた!?
クリフは墓を盾にしながら追撃を逃れ、墓を挟んで男と対峙した。
……二刀流?……鞘か。
男は右に剣を抜き、左に鞘を持って構えている。鞘は鉄鐺と幾重にも鉄環を嵌め、鉄の棍棒のような迫力がある。
殴られた右肩がズキズキと傷む。長引けば不利だ。
クリフは目の前の墓を足場にし、高く飛んだ。
高い位置から剣を振るう。
クリフの持つ直剣は基本的に突くもので、振り回したり切りつけたりすると、すぐに刃が欠けたり折れたりしてしまうが、クリフには狙いがあった。
カキィと金属音を立てて剣は鞘に防がれた……が、そのまま鞘伝いにガリガリと刃を滑らせて男の拳を傷つけた。クリフは咄嗟に、鞘に拳を守る鍔が無いのを見て狙ったのだ。
しかし、浅い。
右肩の痛み故か、クリフの斬撃は男の拳を掠めただけだ。着地を狙って男が迫ろうとする。
しかし、男の背後から「ダリオだぞっ! 捕まえろっ!」と声がしたために動きが止まった。ギネスだ。
その隙を見逃すクリフではない。次の瞬間にはドンッと形容しがたい音と共に、クリフの剣が男の腹を裂いた。
「畜生っ、畜生め……」
男はずるりと臓物をこぼしながら、ふらふらと歩きまわる。必死で何かを探しているようだ。
そして、男は真新しい白木の墓標に寄りかかり、死んだ。
顔を改めると傷がある。ダリオだ。
「兄貴っ! やりやしたね! 本当に来やがった!」
「ギネス、助かったぞ。」
駆け寄ってくるギネスにクリフが礼を述べた。
ギネスは「いやー、大したこと無いですよ」とか言いながらも喜んでいる。彼なりにクリフの役にたてたのが嬉しいのだ。
「母親か……」
ダリオの亡骸を見て、クリフがぽつりと呟いた。
………………
その後、2人はダリオの遺骸を衛兵に引き渡し、酒場で祝杯を上げた。
「なあ、ギネス……お前、両親は?」
「生きてますよ。上の兄貴が嫁さん貰って面倒見てます。もう2年も会ってませんや。」
紛らわしいが、この場合の兄貴とは実の兄のことだろう。
ギネスの腰にはダリオの鉄鞘が吊るされている。ギネスはこの隠し武器を気に入り、自らの物としたのだ。
「そうか……たまには顔を出してやるんだな。」
ギネスはクリフの言葉に「うーん」と唸る。
「俺に異名がついて、一人前になってからにしますよ。」
「そうか……。」
これ以上クリフに言うことはない。
……母親の情ってのは良いもんなんだろ? 俺は、それを利用してダリオを殺った。死んだ両親が、今の俺を見たら……どう思うんだろうか…?
クリフはぼんやりと両親を思い出していた。
隣ではギネスが、いつまでも酒場のマスターに自慢話を繰り返していた。




