1
「着いたわよ」
ミチカの声でスグルは目を覚ました。
ジープはハラユイよりは近代化した町に乗り入れられていた。往来する人の数や様相もさることながら、レンガ敷きの道に沿って並び建つ石造りの建物の敷地には植込みもあり、緑が加わった分だけ景色がぐっと彩りを増している。
その色彩に、すぐに日没のオレンジ色が加わった。この時刻から見せる急激な乾燥地帯の変様を熟知している旅人は、面倒なテント設営は翌朝に持ち越して、今夜は旅の宿に一泊することにしたようだ。
「ごほっ、ごほっ......」
さっきから咳が止まらない。スグルは宿に入って真っ先に手洗いとうがいをしたが、その甲斐もなく喉の痛みは治まるどころか悪化する一方だ。
「あれしきの砂塵で喉をやられるようじゃ、この先どこへも行けやしないぜ」
場所を酒場に移しようやく夕食にありつけたファイが、酒に漬け込んだラム肉に食らいついている。
「自業自得だ」
と、もう一人が冷たく切り捨てる。
スグルは並べられた料理の中から口に合いそうなものを選んで胃に収めた。男連中とは話す気にもなれなかった。
ミチカは早速情報収集に出かけていてこの場にいない。夜にしか手に入らない情報もあるからと、護身用にファイの銃を一丁借りて町中へ出たのだ。
そしてラム肉を食べ終えた中年オヤジも、グラス片手に酒場の主人や客に気軽に声をかけ、この辺りに出没する奇形種の噂を聞き出そうとしていた。
スグルはヴォイドとテーブルに2人きりになった。
「ごほっ」
堪えても咳が出る。足手纏いと言うなら、これも足手纏いの一種かもしれない。
スグルは目の前の男とは極力視線を合わせないようにしていた。ジープで無視を決め込んだ手前、そら見たことかと鼻で笑われているだろうと思っていた。
「なぜ飛び降りた?」
突然────いやおそらくさっきからずっと、向かいの席からこっちを見ていた男の口が、酔っ払いたちの喧騒に紛れて低い声を発した。
「え......ごほっ......」
咳のせいだけでなく、問われた内容にスグルは思わず言葉を詰まらせる。
「死のうとしたのか」
「......はい」
咳き込みながらなんとか返事をした。
「なぜ?」
「それは......」
なぜ? というのをこっちが聞き返したいくらいだった。こんなことを聞いて何になるのだろう。
脳裏につい昨日の......否、700年前の最後の残像がフラッシュバックする。
────あれは学校の屋上。梅雨明け直後の抜けるような青空。音もなく吹きつける柔らかな風。他人の姿が一切排除されたこの上なく快適な空間で、今なら気分良く死ねるだろうと足を踏み出した、あの瞬間......
「全てが、どうでもよくなったから」
漠然と答えた。細かな理由なら他にもあるが、包括的な理由としてはこれだと思った。
「そうか」
────それだけだった。
それ以上訊く気がないのか、しばらくするとヴォイドは無言で席を立って行ってしまった。
一通り酒場の人たちと雑談を終えたファイが、入れ違いにテーブルに戻ってきた。
「ありゃ、色男は行っちまったか......。坊や、今度の奇形種は要注意だ。悲しいかな人間の奇形だそうだ。この町のどこかで普通の人間に成りすまして暮らしてるらしい。くれぐれも迷子にならねぇよう、オジサンにしっかりついて来るんだぞ」
空間放射線量率128nGy。一時の50分の1にまで低下したが、それでもまだ基準値の10倍はある。
そして、ここモーバルに巣食う奇形種の噂────。この手でかつては人間だったものを始末する後味の悪さは、どんなに数を重ねようとも少なからず哀しい痛みを胸に刻む。
宿に戻ったミチカは、埃にまみれた身体をシャワーできれいに洗ってから床に就いた。
200㎞の移動の疲れもあったせいか、たちまち深い眠りに落ちた。
男たちの眠るベッドの一つが空になっていることには、不覚にも気づかなかった。
「ごほっ......ごほっ」
一向に止まない咳と格闘しながら、スグルは宿から少し離れた場所に建っている時計台の真下で時間を潰していた。
咳がうるさくて眠れなかったと言われるのが嫌で、一人宿を抜け出してきたのだ。決して彼らに気を使ったわけではない。
酒場にいたほんの数時間前の活気が嘘のように、辺りは静まり返っていた。真夜中を過ぎても普通に街を歩ける日本の感覚で出てきてしまったが、そういえばここは”グローバル”......道端には街灯も無く、唯一この時計台が小さな電灯で照らされているだけだ。
死のうとしたのか────なぜ?
酒場でのあの問いかけが、思い出したところで何の益にもならない過去を振り返らせる。
人に対する関心が薄いのは物心ついた時からだった。他人の話や他人のすることに退屈を覚える一方で、体温を持たない無生物には過度なくらいの執着があった。特に機械。迷わず工業系の高校に進んだ。
だが思ったより授業はつまらなかった。話をする教師が「人間」だったからだ。
挨拶をしない、人の話を聞かない、態度が悪いなどと言われ、学校では毎日いじめにあっていたが、慣れればどうということはなかった。いじめてくる人間に対しても何ら関心を持たず、辛いだとか苦しいだとかそんな強烈な負の感情にも悩まされなかった。
全てがどうでもよくなったというのは、世の中の全てが退屈になったからということだろうか。
ある日、ふらりと上がった屋上で、命を終わりにしてもいいかなと考えた。4階建てのコンクリートの天辺を吹き抜ける風はやけに爽やかに頰を掠め、単なる思いつきにも等しい決断を後押しした────
なのに。
気がつくと700年後。しかも人類が一旦滅びかけて再興を目指しつつあるという辺鄙な時代に来てしまい、なのに────700年前よりなぜか居心地の良さを感じている。
居心地? まさか。こんな残留放射能に汚染された、乾燥しきった土地のどこが安らげるというのだろう。
時計台を見上げて時刻を確認する。
午前2時03分。
炎症を起こした喉から出る甲高い咳の音だけが、丑三の深い闇に鳴り響く。その闇の中から、ふと人の声がした。
「やあ、こんばんは」
どこから来たのか、黒い山高帽に黒マント、全身黒ずくめの痩せた男が浮き出るように現れた。時計台の足元を照らす微弱な光で目視できたその顔は、深く刻まれた皺の凹凸ばかりが目立つが、その中に笑い皺も含めながらにこやかに近づいてくる。
「こんな時間に子どもが一人で歩いていたら危険だよ」
夜回りでもしているのか、見知らぬ男は気さくに話しかけてくる。そしてスグルのすぐ正面で足を止めると、マントの中の懐を探って何かを取り出した。