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「ミチカ、爪切りを貸してくれ」
昼前、ヴォイドがミチカのいる部屋に姿を見せた。何に使うのか、先日切ったばかりのキレイな爪で。
「アシモといい爪切りといい、小道具がそんなに必要なわけ?」
どうやらミチカはお見通しのようだ。露骨な呆れ顔で応急箱から爪切りを取り出してヴォイドに渡す。ベッドで療養中のファイが揶揄しなかっただけ、まだ救われただろうか。
「俺が単独で行ったところで、歯牙にもかけられないからな」
「あなたがそんな小細工みたいなことをする人だったなんてね。涙ぐましいわ」
「小細工じゃない。足の爪を切ってもらうだけだ」
「自分で切れば?」
「あいつが切ると言ってくれたんだ」
「あらそう。ヴォイドもとうとう要介護者になっちゃったのね。こっちはオヤジ一人で手一杯だから、しっかりスグルに面倒みてもらいなさい」
ミチカに口で敵うはずもなく。
「さあさあ、とっとと出てけ」
ファイにもなぜかしたり顔で追い払われた。奇形種のいない環境だと、ヴォイドの扱いも相当変わるみたいだ。
そこへ、アシモがトコトコ歩いてきた。胸のランプが点滅している。
「あら、何か録音されてるのかしら」
ミチカが拾い上げて再生ボタンを押すと、スグルの声が聞こえてきた。
『現在西暦2713年12月2日、午前11時18分。僕は暁傑です。ミチカさん、ファイさん、そしてヴォイドさん。このまま、僕の話を聞いてください』
3人は一瞬顔を見合わせ、アシモの口内スピーカーが発するスグルの声に聞き入った。
『まず、3人にこれまでのお礼を言います。僕を拾ってくれて、仲間に入れてくれて、色んなことを教えてくれてありがとうございました。────ミチカさん、あなたのような女性はきっと世界のどこを探しても見当たらない。僕はあなたに育てられたようなものです。時には姉のように、時には母のように、優しく接してくれてありがとう。どんな時にも希望を捨てずに生きていればきっと幸せが待っている。僕はあなたからそれを教わり、そして事実、幸せがあった。自分が幸せだと感じる瞬間が何度もあった』
「スグル......」
ミチカが抱えていたアシモを慎重に抱き直す。
『ファイさん、いつも楽しい話で和ませてくれてありがとう。パドルスクで作ったそのショットガン、実は一番手がかかったんだ。射撃の名手に不似合いなものは贈りたくなかったから。その銃でこれからもミチカさんを守ってあげて。でも願わくば、そんな武器が必要でなくなる世界になってほしいと思う。それから健康には気を付けて。タバコはほどほどに』
ファイはベッドから身体を起こし、訝しげに眉を寄せる。
『ヴォイド......ううん、キヌア。キヌア=キャリエル=ブラッド。僕はその名を一生忘れない。最初は絶対に仲良くなれそうにない人だって思っていたけれど、今では僕にとってかけがえのない人。僕には一生無縁だと思っていたものをくれた人。キヌア、今まで素直になれなくてごめんなさい。でも一度だけ......おそらくあなたに出会わなければ誰にも言うことがなかっただろうこの言葉を、一度だけ言わせてください。僕はあなたを......愛してる。できることならこの先ずっと、あなたと寄り添って生きてゆきたかった』
大きく吸い込んだ息を胸に留めたまま、ヴォイドはしばらく呼吸を止めた。
声はなおも語り続ける。
『僕はアトミックブライトを破壊するためにここへ来た。もしかすると、そのために700年の時を越えてやって来たのかもしれない。そして今その使命を果たす時を迎え、一つ残念なことはもう二度とあなたたちに会えなくなるということです。システムの操作を誤ってサテライトが照射の準備を始めてしまい、その解除の過程がコントロール端末の再起動中に吹っ飛んでしまった。今残されている選択は、このままアトミックブライトを発動するか、逆にシステムごと破壊するかの二つに一つ。もちろん後者を選ぶけれど、そうなるとシェルターの心臓部まで死んでしまい、帰りのジェット機も動かなくなる。でもここで幸いにもそれを回避できる条件を見つけたんだ』
ヴォイドが部屋を出て行った。
続いてミチカとファイも、アシモを連れて足早にスグルのもとへ向かう。
『地下3階のアカツキ教授の部屋にサーバがあって、それをマスターに切り替えた。同時にこっちのシステムと完全に切り離し、こっちが死んでもシェルターのコントロールは向こうからできる。シオン君なら難なくやれると思う』
「スグル!」
コントロール室の中央、特殊強化ガラスで隔離された学生服姿の少年に向かって、ヴォイドが呼びかけた。
「スグル! いいから出てこい! スグル!」
ガラスに拳を叩きつけたが、ビクともしない。
その間も、ミチカの腕の中のアシモが、録音された言葉を忠実に出力する。
『36基のサテライトとシステム端末は、おそらく木っ端微塵に破壊されるはず。スグルアカツキが破壊を選択するということは、そういうことだから。僕には分かる。人生に絶望した自分が何を考えどのような選択をアトミックブライトに施したのか......それは、自分が生き残る代わりに他者の全てを滅ぼすか、自分の全てを壊して自分が滅びるかのどちらかだ』
ヴォイドが部屋から大剣を持ってきて、強化ガラスに何度も何度も斬り付けた。透明な境界壁はまるでグリーディの硬質表皮のように、チタンの刃先を無情に砕く。
『僕は今、強化ガラスの中にいる。もともとはアトミックブライトの発動を誰にも阻止されないように設置されたものだろうけれど、たまたま作動したこの隔離装置には思いもよらない利点があった。このままここが開かなければ、爆破の被害を最小限に食い止めることができる。そして実際、開かない。修正プログラムを組み直すには時間が無さすぎるんだ。この中で僕が衰弱死してしまったら、永久にアトミックブライトを破壊することができなくなってしまう』
ダァアアン! ダァン!
ファイがショットガンを2発撃った。ガラスはキャビテーションの正面入口と同じものだった。当然、弾は弾かれた。
『最後に。ミチカさん、ファイさん、キヌア。今まで本当にありがとう。それからアシモ、あはっ、やっぱりアシモのこと忘れてたね』
再生が全て終わった。もう言い残すことはないのか、スグルはただ黙って隔離装置の中から3人を見つめている。
「スグル! 何か他に手はないの? ねぇ、スグル!」
叫ぶミチカの表情は、焦りと悲しみで今にも泣き出しそうだ。それを見て、せめて最後は笑顔で別れたいのにとスグルは思った。
「おい、奇形種の撲滅まで付き合う約束だったんじゃねぇのか。エンジニアがいなくなっちゃ、俺たち仕事ができねぇぞ!」
包帯姿も痛々しいファイが必死の形相で喚く。彼は言っていたじゃないか。”人間最期は笑って死ねりゃ、それでいいのさ”────今のスグルは、まさにその気分だった。
『アトミックブライト消滅まで残り30秒です』
シェルター全域に警告アナウンスが轟いた。すでに破壊のボタンは押していた。
『アトミックブライト消滅まで残り20秒です』
大剣を放り投げて、ヴォイドがガラスにすがりついた。スグルは彼の両手に自分の手を重ねた。温度は伝わらないが、幸せを感じた。
『アトミックブライト消滅まで残り10秒です』
シェルター内から、警告音以外の音が消えた。スグルは笑顔でガラスに唇を近付ける。ヴォイドの唇も、ガラス越しに重ねられた。
『9......8......7......』
カウントダウンが始まった。
────不思議だ......もうすぐ死ぬのにすごく幸せな気分だ。
『6......5......4......』
────さようなら。あなたをずっと愛してる。
『3......2......1......』
────どうかみんな、幸せでいて。
端末が爆発し、円筒の強化ガラス内部はそこにいたアカツキスグルもろとも粉々になった。




