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カチャ、カチャ。
────弾切れだ。
ミチカは拳銃を放り投げ、バイクのアクセルを吹かした。こっちの充電残量は問題ない。
奇形種はあと何体?
いや、数を数えている暇はもうない。愛する祖父からもらったプレゼントを凶器に変えなければならない時が来たようだ。
シートから腰を浮かせ、ステップバーに体重を預ける。
時速50㎞以上で跳ね飛ばしたらこいつらだってひとたまりもないだろう。だが敵はこの数。
アル爺、父さん、母さん......ファイ、ヴォイド、スグル......
大切な人の面影がこんな場面で目に浮かぶ。
「いいえ、まだ死ぬつもりはないわ。父さんの仇をとるまでは」
シャドウファントムの疑似エンジン音が唸りを上げる。その音に、いつしか聞き覚えのあるバイオエンジンの音が重なっていた。
30mの遠距離から撃ち抜かれたスラッグ弾が、ミチカの最も近くにいた奇形種の脳天に突き刺さった。
ファイだった。
「ギリギリ間に合ったか。ま、王子が登場するタイミングってのはこんなもんだ」
「王子? どこからどう見ても”オヤジ”でしょ。銃を貸して」
腰のコルトを抜いてミチカに放り投げると、ファイはすかさず次の弾を装填してショートバレルをぶちかます。一匹、二匹────賞賛すべきはガンマンの腕か、製作者の腕か。イボ珍獣は一撃で致命傷を負わされ、バタバタと地面に倒れていった。
人肉を貪っていた猛悪な鋭牙が、一斉に生きている人間の方に向く。
ミチカは気付いた。精鋭部隊の攻撃を難なくかわして彼らを瞬殺したのはこいつらだったが、よく見るとイボ珍獣の雄でも雌でもなく、まだカメラに収まっていない「新種」であった。
ウエストポーチからカメラを取り出し、ファインダー越しにズームを調節する。被写体は今まさに牙を剥いて飛びかかってこようとしているのに、その律儀な作業は自殺行為としか言いようがない。彼女は見たはずだ。この奇形種がイボ珍獣の単純な攻撃とは違い、陣形を組んで人に襲いかかっている様子を。
「ミチカ!」
いかにファイの射撃術が卓越していたとしても、一発ずつしか装填できないショットガンで同時に複数体の、しかも想定を上回る俊敏な動きで円陣を形成した新種をやり込めることは不可能だ。
バァアアン!
発砲しながらファイは思った。
これでミチカを守れなかったら、今度こそ自分自身にケリをつけよう......
モウリとの対面を終えた2人のもとに、有り合わせの物ですがと膳が運ばれてきた。
漆塗りの器によそられているのは白米、味噌汁、納豆、煮干し、ほうれん草の胡麻和え。
「箸......か」
スグルが竹を削って作ったのと同じような2本の細い棒切れが添えられてある。ヴォイドはグーの手でそれを握ってほうれん草の胡麻和えに突き刺してみた。
「ああ、白米なんて久しぶりだ」
と、かなり喜んでスグルが白米の上に納豆をかける。その様子を見てヴォイドもそれに倣ったが、もしここで冗談で味噌汁に納豆を投入されでもしたなら、彼は世にもおぞましい悲劇に見舞われたことだろう。
見様見真似で納豆ご飯を口へ運ぶも、
「これが日本人の食文化か。さすが、ミチカが恐れていただけのことはあるな」
ネバネバにやられて心が折れそうな顔をしている。
「僕だって、初めて干し肉の匂いを嗅いだ時は同じように考えていたよ。ああ、その持ち方全然ダメ。親指と人差し指をこうやって......」
そこへ一人の忍者が、もう黒装束は脱いで着物地の平服姿でやってきた。
頭髪以外は完璧なニュートラルにしか見えない。名前は確かケイゴだったはず。
「お食事が済みましたら、風呂の準備ができております。布団はそちらの押入れにございます」
まるで寂れた旅館に一泊している気分だ。仲居はなぜか忍者だが。
食事の後、離れにある小さな岩風呂に案内された。岩と岩の隙間からこんこんと沸き出ているのは、天然温泉ではなく温水管理システムからの給湯水。排水溝に流れ込んだ温水は地下の浄化槽で処理を施され、貯湯槽からパイプを伝って循環を繰り返している。
「2人で入るの?」
スグルが戸惑いの目でヴォイドを見上げる。
「そうしたいところだが、どうやら見張りがいるようだ」
脱衣所にケイゴがかしこまっていた。
「ふう、見張りがいて安心した」
「丸腰のところをバッサリやられたらどうする」
「そうならないために、2人で入るんでしょ」
渡された手拭いで身体を隠しながら、スグルはいそいそと岩風呂へ向かう。裸を見られるのが恥ずかしくて、ヴォイドにずっと背中を向けて身体と髪の毛を洗った。それでも湯に浸かって一息つくと、乾燥地帯では当面叶わなかったまともな入浴に、束の間全身の筋肉がほぐれていくようだ。
192cm、10頭身の見事な裸体が小さな風呂椅子から立ち上がる。濡れた銀髪を掻き上げた腕の逞しさ、大剣を難なく振り回す上腕筋から、割れた腹筋、引き締まった足腰、そしてそれを覆う滑らかな褐色の肌────スグルはチラッと見てすぐにそっぽを向いた。向いた視線の先に、ケイゴがいた。
ケイゴはヴォイドの裸体に目を奪われているようだった。ニュートラルの要素を色濃く残す彼自身が美しい体型であるにもかかわらず、それよりもまだ魅力的な身体をうっとりとした視線が追いかけていた。
ほぐれたはずの疲労感が、スグルの心にじわじわとせり上がってくる。胸がチクチクする......日本で暮らしていた時には決して経験したことのない微妙な感情だった。
風呂から上がると、ケイゴが浴衣を差し出してきた。
着方が分からずヴォイドが手間取っていると、黒髪の美しい世話係は正面に立ち、袖を通すのを手伝い、きっちり衿を合わせて帯まで締めた。
着付けは完璧だった。ただ、浴衣のサイズが小さすぎた。
「これでも一番大きな寸法のものをお持ちしたのですが......」
ケイゴはちょっと可笑しそうに笑ったが、実に奥ゆかしい、はにかんだような微笑みだ。その笑みで、しばらくの間しっとりとヴォイドを見つめる。黒髪のニュートラル────これが奇形だというのなら世の中のすべてが奇形だと思えるような、奇跡の造形であった。だがここにある奇跡の造形は一つではない。
「ありがとう」
ヴォイドが礼を言う。そして見つめ合う、2つの美────
ミチカなら......と、スグルはそれを見て思った。この光景をまた写真に撮りたいなんて考えたりするのだろうか。レージュとヴォイドを見て、ミチカは当時どんな心境だったのだろう。
客間に戻ったスグルは、すぐに布団を敷いて横になった。掛け布団を頭まですっぽり掛けて、ここへ来て本来やらなければならないことを強引に思い出す。
モウリとの会話はお互いに腹を探り合いながらだったが、真実だと思われることはいくつか入手できた。一定の確率で生まれてしまうニュートラルの奇形。森で出会ったカシワギはあの長老が治めている村だからこそ救われたようだが、ほとんどのケースは誕生直後に抹殺される。抹殺というのは命を奪われるのではなく、存在を殺されるという意味だ。
「ヤスクニはそういう者たちの墓場であり、滅びた日本の幻影なのです」
とモウリは言った。ただただ悲しい────そんな目をして。
だがそれだけを鵜呑みにするのは安直すぎる。鎌倉から江戸時代まで、忍者の本分とは何であったか。彼らが身に付けている保身の域を超えた特殊な体術は、キャビテーションとの位置関係を踏まえても、ある任務を負っているとしか考えられない。
「スグル」
低い声が呼びかける。
「寝たのか」
「────」
スグルは答えずに寝たフリを決め込んだ。思考を邪魔されたくなかった。いや、こうでもしていないと心のチクチクが爆発しそうで怖かったのだ。
機械のパーツは容易に簡略化できるのに、心が持つ感情はどんどん複雑になっていく。ほらまた、さっきのケイゴの笑顔が、神経を逆撫でる。




