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「アシモ、今何時?」
ミチカが訊ねると、
『ゴゴヨジ ニジュ...… ゴフン デス』
「プラス4で8時半ってところね」
骨董品と言われるだけあって、告げた時間も若干時代遅れのようだ。
だがスグルにとって、それは錆びついた骨董品どころか、実に画期的な最先端の小型ロボットに他ならない。
その夜、ファイが調達してきた服を着て毛布に潜り込んだものの、今自分が置かれている現状などより、アシモの挙動が気になってなかなか眠れなかった。
思い立って、枕元に畳んだ制服のズボンのポケットを探る。
いつも持ち歩いているコンパクトサイズの工具セットがあった。10種類の先端が着脱可能なドライバーと、ペンチとスパナ。これだけあればほとんどの作業はこなせる。
夕方仮眠していたヴォイドはどこかへ出かけていて、ファイとミチカは熟睡しているようだ。
わざわざ起こして許可を取るのも面倒なので、黙ってアシモの主電源を切り、プラスドライバーを使って注意深く中を開いてみる。
予想通り、複雑に絡み合ったリード線が数本接触不良になっていたので、ペンチでしっかりと繋ぎ直した。さらに回線を調べてあることに気づいた。本来接続されるべき箇所が、最初から何らかの意図でそうなっているとしか思えないような、あからさまな形で分断されていた。
導線があと2本あれば......。だが今は断念するしかなさそうだ。
仕方なくそのまま開口部を閉じ、背中の電源ボタンを押して起動させた。
初めて見た時には点灯していなかった胸元の青いランプが、鮮やかに光を放つ。
『ありがとう。スグル』
突然アシモがそう言ったので、修理した本人も驚いた。
「キミの人工知能のスペックはどのくらい?」
『人間でいうと今は10歳くらい。おそらく成長する』
回路一つで会話に劇的な変化が見られた。
「なるほど。容量が足りなくなった時の増設メモリ回路があれだったのか。それにしてもすごい、人間と普通に会話ができるなんて」
『スグルお願いがある。700年前のことを教えて。まだ人間がアトミックブライトを発動する前の平和な世界の様子を教えて。僕を作ったアルフレッド祖父さんも知らないようなことをスグルならたくさん知っているはず』
無機物が発した思惑も疑念も無い言葉は、それを聞いたスグルの心を大いに高揚させた。
が、人生初のロボットとの直接対話を嬉々として繰り広げるには、ここはいささか気まずい。
テントの中をちょっと見回し、スグルは小声で言った。
「今はもう寝なきゃ。また明日でいいかな」
『うん。おやすみ』
アシモの胸のランプが青から赤になった。
何ということか。自動的にスリープ状態に入ったようだ。そして翌朝、まさかロボット自身の意思で目を覚ますとでもいうのだろうか。
スグルは工具セットを学生ズボンのポケットに戻すと、興奮冷めやらぬままに再び毛布に潜り込んだ。
見知らぬ時代の見知らぬ土地へ来てしまった恐怖は不思議と感じない。
それまで暮らしていた日本より、むしろ快適な気分だった。
「アシモが回復してるわ!」
長年病気だった家族の快気を喜ぶかのように、朝からミチカが騒いでいる。目にうっすらと涙まで浮かべて。
「どうして? 何があったの」
『昨夜スグルが修理してくれた。おはようスグル』
明瞭快活なハイトーンボイスで応答すると、スグルがちょうど起き上がったのを認知して頭部を45度回転させる。
「あなたが......ありがとう。あなたもエンジニアだったのね。どうりでバイクのことも詳しいと思ったら」
「エンジニアでなくても普通に直せるレベルだったし」
礼を言うミチカにどこか小癪な物言いをした少年を、無言で見つめるもう一つの視線がある。
いつの間にか、ヴォイドが帰っていた。
『スグル約束だよ。話を聞かせて』
アシモがまん丸い擬似水晶体を輝かせる。
「話なら外でやってくれ。子どもの作り話にはうんざりだ」
小屋の片隅で男が吐き捨てた。麗しい唇から発せられる言葉は、時として発する者の外見にそぐわないことがある。彼の場合もそのようだ。
スグルはアシモを抱きかかえてテントを出た。そこで改めて外の様子を見回した。
ここはハラユイの村────確か、ミチカがそう言っていた。
近隣には赤茶けたレンガを積んだ家屋が点在し、地面は舗装などされておらず乾燥した土が剥き出しになっている。軒先で洗濯物を干している女性の顔を見ると、彫りの深いラテン系だ。
世界地図に照らし合わせるとどの辺りだろう。アシモに訊けば答えてくれるかもしれない。
「アシモ、今僕たちがいる位置は世界地図でいうとどの辺りになるのか分かる?」
すると腕の中で、赤ん坊サイズのロボットが人工知能を見事に働かせた。
『東経42度北緯37度。ユーラシア大陸の南西。気候は乾燥帯』
「すごい。お祖父さんはキミにどのくらいのデータベースを植え付けたんだろう」
『アルフレッド祖父さんが構築可能な最高位のモデルが搭載されている。アルフレッド祖父さんが死んでからも見聞きした事は常に知識として取り込んでいる。さあ教えて。21世紀の姿を』
スグルは地面に腰を下ろした。
朝日に照らされたシャドウファントムが、眩い光を反射させてすぐ傍に立っている。
その向こうにはマングローブの木が1本。
日本では見ることもなかった種類の木を眺めながら、まず自分が住んでいた国の様子から語り始めた。
一方、テント小屋の中では────
「いくら何でも、昨日会ったばかりの子にああいう言い方はないんじゃない?」
ミチカが食料袋からパンと干し肉を取り出して切り分けながら、先ほどのヴォイドの態度をやんわり非難した。
「あいつをどうするつもりだ。まさか一緒に連れて行くなんて言わないだろうな」
ヴォイドは小屋の定位置に腰を下ろし、不機嫌そうに腕組みをしている。
「アシモを見たでしょ。あの子にはわたしたちには無い技術があるのよ。きっとこの先、何かの役に立ってくれるはずだわ」
「あいつを連れて行くなら俺はここで降りる。一人でキャビテーションをつきとめる」
「子ども相手に何を苛立ってるの? あなたらしくないわ」
ミチカはナイフを持つ手を止めて、正面から彼を見据えた。
「そんなにあの子がニュートラルに見える?」
「────」
端整な、ワイルドな、柔和な────あらゆる美が混在した表情が、一瞬見る者の心を萎縮させてしまうほど、悲しげに揺らいだ。
「ごめん......冗談がキツすぎた。似ても似つかないわね......なぜそう思ったのか自分でも分からないわ。とにかく、お願いだからこの仕事を降りるなんて言わないで。あなたの力が必要なのよ」
ミチカはヴォイドの顔から視線を逸らした。久々に、心の奥底の歯痒い感情に突き動かされての失言だった。
「足手纏いになる。危険な目にあわせるかもしれない。何より、あいつ自体の得体が知れない」
彼は一応理由を述べた。スグルにとった態度の訳ではなく、一緒に連れて行けない訳といったところだ。
「それじゃ、あの状態のままこの村に置いてきぼりにするつもり? そっちの方が余程危険な目にあうんじゃないかしら。それに、得体ならいずれ分かってくるでしょう。あの子の話がもし作り話じゃなかったとしたら、わたしたちはとんでもない瞬間に立っていることになるわ」
ミチカは今朝の食料をきれいに四等分して、一枚の大皿に載せた。それからアシモを充電していた配線を使って電気ポットでお湯を沸かし、3つのコップにコーヒーを注いだ。
「でもわたしたちと行動を共にするかどうかは、一応本人の意思も確認しないとね。スグルアカツキ────また本名を隠さないといけない人物が一人増えることになっても、わたしは全然問題無いわ」
「勝手にしろ」
観念したように捨て台詞を吐いて、ヴォイドはコーヒーカップに手を伸ばす。
女というのは実に無鉄砲で想像力の逞しい生き物だが、ミチカの下す判断はいつでも裏切られることがない。彼女が閃いた勘のようなものは、これまで常に彼らを正しい方向へと導いてきたのだ。
「オヤジがいないわね。また村の女たちに無益な色気とやらを振り撒いてるのかしら。準備ができたから、先に食べてしまいましょう」