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キャンプに戻ると、スグルが無心でキーボードを叩いていた。
機械に向かう少年の周囲には、いつも静謐な空気が漂っている。
ヴォイドは作業中のエンジニアから少し距離を置いた位置へ腰を下ろした。パドルスクの工房でもそうだったが、呼吸をしているのかどうかさえ疑問に思うほどの雑念の無い表情は、それを見ている男を飽きさせない。
「太陽光充電機の方は完成したのか?」
と訊くと、
「うん」
とだけ返ってきた。そういう煩わしさを極限まで切り取ったような簡素さがまた、スグルらしい。
それ以降、沈黙に覆われるはずの場に、不意に登場したのは小型ロボットだった。
『うん』
どこか歪な二足歩行でやって来ると、アシモは突然、さっきの返事をオウム返しした。学習意欲に駆られた人工知能が、意図的に反復行動でも行っているのだろうか。
『「対象物が生きている人間だと思わなければ、なんてことない」これはスグルの言葉』
「何を言ってるの、アシモ」
スグルが驚いて顔を上げる。ロボットは更に、
『「確かめるって......何だかイヤだな」』
「ちょっ、おかしいな。あの時ワニに踏まれてどこか故障しているのかもしれない」
スグルは作業の手を止めて、ポケットから工具セットを取り出した。何だか嫌な予感がした途端、
『「はい、勃起でした」......「このレバー、焼けるような熱さだ。ただの勃起じゃないかもしれない」これはスグルの言葉。「ああ、もう。どうしてヴォイドさんとはこんなのばっかりなんだろう」これはスグルの言葉。「もう手が限界」これは......』
「わああっ! ちょっと、ストップ!」
慌てて電源スイッチを切ったものの、その後恐る恐る見回した視界には、凍り付いたミチカと考え込んでいるヴォイドの姿があった。
「いや、そ、その......これには訳があって......」
「説明してくれる? アシモの状態じゃなくて、あなたとヴォイドのこと」
ほんの少しいつもと違う、トゲトゲしさを孕んだ口調でミチカが言う。
スグルの心臓は今にも口から飛び出しそうだった。手にした工具セットは、震える指先からスルリと地面に落下した。
説明なんて......そもそも彼女を前にして、ヴォイドに施したことを口に出して言うなど、恥ずかしすぎてできるわけがなかった。
「隠さなきゃならないことなの? ヴォイド、あなたはどうなの」
ミチカのトゲはさっきまで和やかに話していたはずの男にも突き刺さる。
とっくに許したはずのことまでが、追い打ちをかけるように蘇ってくる。アルトゥールとの一件────そして今度は、まさかスグルとだなんて。
「スグルに非は無い。あるとしたら俺の方だ」
静かな声でヴォイドが言った。
「非難なんてするつもりはないわ。何があったのか知りたいだけよ」
あの時のように頰を打つなどということはしない。ただミチカは知りたいのだ。ヴォイドが何をされたのか。何をしたのかを。
「あの奇形種の毒はおそらく興奮物質のようなものだったんだろう。スグルは俺の身体の変化を見抜いて適切な処置をしたに過ぎない。それだけだ」
「処置って何?」
「アシモの言った通りのことだ」
「あなたは意識があってスグルにそういうことをさせていたの?」
ヴォイドは少し考えてから、うなずいた。
「ああ、そうだ」
「意識があったなら自分一人でもできたんじゃない? どうしてスグルにそんなことをさせたのよ」
「どうしてか......さあ、どうしてだろう。気持ち良ければ誰でもよかった────女以外なら、誰でも」
男の言葉が間接的に拒否したものの意味を汲み取って、ミチカは表情にくっきりと失望の色を滲ませた。
この時ヴォイドの本意を感じ取っているのは、スグルだけであった。
また僕を庇ってる。自分だけに罪を被せて、僕を守ろうとしてる────
「それじゃ、相手はこの俺でもよかったって言うのか?」
とぼけたようにファイが言った。いつの間にか彼もミチカの横にいた。ただ、その顔は笑っていない。
「考えただけで萎えるな。誰でもよかったというのは撤回しよう」
とヴォイドが苦笑する。
「人をからかってんのか、ああ?」
ファイは腰からショットガンを抜き、バレルの先をヴォイドのこめかみに突き付けた。2秒もしないうちにセーフティーレバーを解除して、トリガーを引くのみの構えだ。
「撃つならさっさと撃て。覚悟はできている」
真っ直ぐに前を見据える麗しい顔には恐怖の色などない。冷たいようで温かく、勇ましくもあり穏やかで、角度を変える度に様々な情感が浮かび上がる、まさに神秘の造形。
それを見てファイは思う。
────こいつの顔はどうしてこうも悲しげなんだろう、と。
いくら待っても引き金は引かれなかった。
しばらくして、ヴォイドは自分の手荷物と剣を2本持ってキャンプを出て行った。
呆然と見送るミチカ────こうなってしまった後でいつも気付くのだ。原因は一人の女の愚かな嫉妬心が招いたことであって、男には何の罪も無いということに。
消沈している彼女の脇を、小さな影が駆けて行った。
「おい、スグル」
ファイが呼び止める。
「ヴォイドさんは悪くない。あの時意識が混濁していて何も分からなかったはずなんだ。僕が勝手にやったことなんだ。だから、僕が行って連れ戻してきます」
ファイは首を横に振った。
「あいつはもう戻って来ねぇよ。いずれはこうなるんじゃねぇかと俺も分かってたし、あいつ自身も覚悟してたんだろう」
「なぜ? 今まで4人で頑張ってきたじゃないですか。誰かが欠けるなんてあり得ない。そう思いませんか?」
機械にしか興味を示さず人のことなどどうでもよかった少年が、今となっては懸命に人の絆の修復を図ろうとしている。おかしなものだと感じ入りながら、
「こう言っちゃなんだが、出て行ってもらって清々した部分もある。モーバル辺りからあいつは様子がおかしかった。このまま4人でやっていっても、どうせ同じことだ」
「ファイさんの言ってることが分からない。僕が見てきた限り、ヴォイドさんは誰よりも命がけで奇形種と戦っていた。仲間を守ろうと必死になって......」
「ああそうだろう。あいつはそういうヤツなんだろう。ただし、それもこれもスグルが合流してからだ。俺は少なくとも、それ以前にゃあいつのそんな懸命な姿を見たことなんてなかったよ」
「────」
しようと思えば反論はできる。ヴォイドが命を懸けて守ろうとしていたのは自分ではなくレージュであって、彼はただそこに、昔愛した恋人の面影を重ね合わせていたのだと。
だが今はそれを長々と語ってなどいられない。
「とにかく呼び戻してきます。もしダメでも、僕らの目指す場所は同じはずです」
そう言い残し、スグルは小走りでキャンプを出て行った。
「すまねぇ。スグルのやつまで行かせちまった」
足音が消え去り、ファイがしんみりとタバコの煙を吐き出す。
「いいえ。わたしの方こそバカだった......これで自分の気持ちに区切りがついたわ」
涙は封印していた。ミチカはもう、男のために涙を流すことはしないと心に誓っていた。
一度も本気で告げたことはなかったが、ヴォイドに思いが通じるとも思っていなかった。
彼が愛したのはレージュだけ────なんて都合のいい気休めだったろう。彼はおそらく最初からスグルにただならぬ好意を抱いていて、それが隠しきれなくなった今、チームから離れていったのだ。だが確かなことは、これは裏切りなどではないということ。この瞬間も、彼を信じる気持ちに変わりはない。
「ミチカ、これを見てみろ」
パソコンの液晶画面に、さっきまでスグルが作成していた奇形種マップが表示されていた。過去30年の出現地点を10年ごと種類ごとに色分けして分布を示した、非常に見やすいマップだ。
ミチカはそれにじっくりと目を通した。
「データが揃っていながら、なぜ政府は今までこういうものを作ろうとしなかったのかしら」
「作る発想がなかったんじゃねぇのか。俺たちだって、世界に散らばった”点”しか追ってこなかったじゃねぇか。やっぱスグルはスゲェ、過去の偉人だけあらぁ」
「見て。どうやら奇形種は闇雲に点在しているわけでもなさそうよ。ここから北東に行けば行くほど密度は濃くなっていて、なぜかその先に空白の地域がある。それも綺麗に半径10㎞の円を描いて」
ミチカの人差し指が、一点の報告も無いある箇所を指し示す。
「ここは......確か立ち入りが許されていないニュートラルの古い村だったはずだ」
とファイが古い記憶をたどる。
「奇妙なのは年を遡っていくほどにほとんどの鳥類の動きがこの周辺を起点にしてること。渡り鳥の帰巣本能を考えると、この場所で誕生した可能性が高いわ」
「てこたぁ、誰かがここでせっせと奇形種を作って各地にばら撒いているが、飛行能力と帰巣本能を持つ鳥だけは正直にお家へ帰って来ちまった。そういうことかい?」
「そういうことね」
ファイルを慎重に保存して、ミチカは言った。
「明日一日待っても2人が戻って来なかったら、ここへ向かいましょう。目指す場所は同じだとスグルも言っていたから」
「了解。ま、いくら待っても戻っては来ねぇだろうがな。あいつらにゃ帰巣本能なんぞ無さそうだ」




