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異国風の人たちとの意思の疎通に関しては、正直どうでもいいとスグルは思っていた。この世界における興味の対象はすでに別のものに切り替わっていた。切り替わったというのは語弊があるかもしれない。そもそも彼らに対する興味などは、もとから無かった。
出されたスープを半分飲んで、充電の完了したアシモに近づく。
『コンニチハ』
新しい人物を認識して挨拶をしてきたロボットの方が、余程親近感が持てた。
「こんにちは、アシモ。僕の名前は暁傑です」
『...…カツキスグル。ハジメマシテ、ワタシハ...…シモデス』
「アが言えないの? なんだか電子回路がおかしそうだね」
スグルはちょっと笑って、アシモの表面を撫でてみた。
「すごい、金属ガラスとスチールをうまく組み合わせて作られているんだね。見たところ量産型じゃなさそうだ。キミを作った人、かなりのエンジニアだ」
それに即座に反応したのはミチカだ。
「ええ、私の祖父は優秀なエンジニアだったわ。外に置いてあるバイクも祖父の力作よ。触っただけで素材が分かるなんて、まだ子どもなのに感心しちゃう」
外見、それもおそらくは身長で年齢を判断しようとする固定観念には、スグルはいい加減うんざりだった。アシモに話しかけたことを横からすくうようにして返答されたことに対しても。
「あの、僕を子ども扱いするのはこの身長のせいでしょうか。164㎝は確かに17歳の割には小柄かもしれないけれど、そもそも日本人男性の平均身長自体、あなたたちよりかなり低めなので」
女のミチカでさえ、175、6はありそうだ。ヴォイドに至っては見上げていると首が疲れる位置に顔があって......と、スグルはこの時初めて彼の姿をじっくりと眺めた。
とにかく愛想の悪そうな男で好感など全く持てないが、容姿は驚くほどに美しかった。
滑らかな褐色の肌は東南アジア、すらりと長身の骨格は北欧。彫りの深い整った顔立ちは北米と中東の絶妙な混合で、瞳は青く、髪の毛は光り輝く銀髪だった。200余りあったはずの国が今やグローバルという一つの世界になっているのだとしたら、彼はまさにその象徴であるかのように、様々な国の美が集結して一つに混ざり合っているような姿をしていた。
「そういえば昔祖父が言っていたのを思い出したわ。日本人って外見はサルみたいだったらしいって。でもあなたはサルって感じがしないわね。どう見ても7歳くらいのニュートラルってところかしら」
うっかりヴォイドに見とれてしまうところだったのを、ミチカの声が呼び覚ました。
「ニュートラル?」
「そう。両性具有って知ってる?」
彼女はスグルの生きていた社会ではそう頻繁に使われることのない言葉を発してから、チラリとヴォイドの方を見た。
ぶっきらぼうと称された男は、2人の会話になど興味無さそうに、床に敷いた毛布の上にごろりと寝転んで目を閉じてしまった。
「言葉の意味は知っていますが、僕は正真正銘の男です」
まだサルのようだと言われた方がましだったろうか。どこへ行っても軽んじられるひ弱な自身の外見が、スグルは嫌いでならなかった。
「それじゃ、百歩譲ってあなたが滅んだはずの日本人の男で、年齢は17だったとしましょう。先ずは、どうしてあんな場所に倒れていたのか教えてもらえるかしら」
後ろ髪を留めていたバレッタを外し、首を振って長い髪をハラリとさばく。女性特有の仕草であるにもかかわらず、ミチカがやると色気の前に颯爽とした、むしろ男らしさのようなものを感じさせる。
「僕は......第一あんな場所というのがどんな場所なのか分かりませんが、記憶している最後の場所は学校の屋上です。そこから飛び降りたらなぜかこんな場所に......」
あんな場所なのかこんな場所なのか、結局どんな場所なのか、少々こんがらかったが、ミチカはそれよりも「飛び降りた」の方を敏感に受け止めたようだ。
「......いいわ。嫌なことは無理に思い出さなくていい。ところでそのレトロなネクタイ、なかなかオシャレね」
急に話題を変えた。おそらく気を使ったのかもしれない。使われた方はまったく気にもかけていないことに対して。
「はあ......」
スグルは白いワイシャツに紺のズボン、緑のネクタイという学生としてはありふれた初夏の装いだった。ただのネクタイをオシャレねと言われても、返す言葉も浮かばない。
「あの、外にバイクがあるって言ってましたよね。ちょっと見せてもらってもいいですか?」
退屈すぎる人との対話はここまでにして。
挨拶をしたきりさっきから停止状態のロボットも気になっていたが、スグルは優秀なエンジニアが作ったというもう一方のバイクにも興味を抱いていた。
「ええ、いいわよ」
快諾したミチカがテントを出る。出るとすぐそこに、250kgの自慢のボディが艶やかな黒光りを湛えて佇んでいた。
「ホンダのシャドウファントムだ」
スグルがあまりに普通にそう言ったので、所有者が訝しい顔をする。
「どうして知ってるの?」
「学校の研修旅行でホンダの工場見学に行った時にパンフレットをもらって見たことがあるから」
人の方には目もくれず、バイクの足回りを入念に観察しながら、
「エンジン周りのガードとホイール、タイヤ、どれもオリジナルより一回り大きい。あ、これってもしかしてガソリンじゃなくて電気で動くの? 嘘、まさかこのチップで太陽光を採り込んで?!」
黒い瞳がファントムの車体の色に呼応するかのように活き活きと輝く。機械オタクならではの没入の境地に、スグルはたちまち入り込んでいた。
そこに亡き祖父の面影を見た気がしたのだろうか、ミチカは首を傾げたまま真剣な面持ちで、
「ホンダの工場ってどこにあるの?」
「浜松です」
「それも日本?」
「はい」
「祖父が言ってたわ。これは『ホンダのシャドウファントムだ』って。今までわたしが出会った人でホンダっていう名を口にした人は、祖父とあなただけよ」
本来給油口だった位置に、代わりに取り付けられた充電口。ベースに組み込まれた超小型シリコンモジュール。原動は電気モーターであっても、マフラーからはガソリンエンジンに近い爆裂音が吐き出される仕組みだ。
老練のエンジニアが苦心の末に完成させた、世界に又とない車体。それを食い入るように見ている少年の姿を、ミチカはすぐ傍で腕組みをして見下ろしていた。
「現代のエンジニアは、数百年前の日本のエンジニアに比べたらまるで赤ん坊みたいだって、とっくに消滅した小島を祖父はやたらと崇拝しちゃってね。僅かに残った文献なんかを読み漁って独自に研究を重ねてたみたい。わたしはそんな祖父に育てられたからちょっとした受け売りの知識があるけど、大抵の人はホンダなんて知らないし、ロボットなんていう骨董品にも見向きもしないものよ」
「日本は......本当に滅んでしまったのかな。ということは、ここは未来?」
「未来? タイムトラベリングなんてあり得ないわ。どんな学者だって、それだけは不可能だって断言してるもの」
そうは言ったが、少年の話に合う辻褄があるとしたら、その不可能なはずの事象が発生しているということなのか。だとすれば────
「スグルアカツキ────日本にはそういう名の人がたくさんいたの?」
「さあ。僕以外にもいるんじゃないかな。6千万人の日本人男性のうち、何人がその名前なのかは分かりませんが」
とても中性的で小柄な少年は、見れば見るほど確かに異質な存在感を放っている。そのなんとも奇異な言動を目の当たりにすると次々と疑問が湧いてきて、ミチカの好奇心は止むことがない。
「もし祖父が生きていたら、あなたを見て何て言うかしらね。ホンダの工場の話だけで一日中盛り上がってしまいそうな気がするわ」
そこへ、ファイがふらりと帰ってきた。
「やれやれ。10歳くらいの子どもを拾ってきたって言ったら、村の女がこぞってあれもこれもと備品をくれたぜ。世の中まだ捨てたもんじゃねぇな」
「どうせヴォイドの名前を出したんでしょ」
「名前は出してねぇよ。一緒に来た仲間が困ってるって言っただけだ。後は俺の色気の賜物だろうよ」
まばらな顎鬚を摩りながらニヤリと笑う。
「色気ねぇ。そんなものがあるなら、その年で未だに独身を気取ってたりしないでしょうに」
「なあに、まだ本気を出してないだけさ」
そんなやり取りをしながら、2人はテントに入っていった。
彼らが互いにどういう関係で、どういう目的でここにいるのか、スグルにはそんなことはどうでもよかった。
人にはあまり興味が湧かない。生まれた時からそうだった。
そして、あの日学校の屋上から飛び降りたのも────それが理由の一つであることには違いなかった。