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前を走るバイクの後部で風を切っている華奢な背中を、ヴォイドはずっと見つめていた。
「おい、ヴォイド。あんまり妙なことをスグルに教えるんじゃねぇぞ。アシモを抱っこするのとはワケが違うんだぜ?」
ジープの助手席からファイが言った。昨夜、用を足しに起きた時、彼は外にいる2人を見たのだった。
「あいつは人の温もりを知らない。アシモと同じロボットのようなものだ」
ハンドルを握り前を見据えたまま、ヴォイドは動じることなく言い返す。
「だから温もりを覚え込ませようとしてんのか? 言っておくが、ミチカを悲しませるようなことをしたら、いくらお前でも俺は迷わずその頭をぶち抜くからな」
珍しく中年オヤジが凄んだ。
「ミチカを幸せにしてやれるのは誰だか自分の胸に訊ねてみたらいいんじゃないか。そうすれば40過ぎの男でも素直になれるはずだ」
「んだとぉ? ガキが」
ファイは舌打ちをして口を閉じた。少しして、その口にタバコを咥えてライターで火をつけた。
パドルスクが近づいてきた。工房の煙突から空に向かって白煙が朦々と立ち昇っているのが見える。
誰に語りかけるでもなく、また誰の耳にも届くことなく、ヴォイドがつぶやいた。
「どうせあいつとは、ここまでなんだ......」
パドルスクの賑わいは日本の秋葉原を思わせた。街を行く人々の風貌は多彩で、車の行き交う大通りにも建ち並ぶ商店にも活気が溢れ、一歩足を踏み入れた瞬間からスグルはワクワクするような胸騒ぎを覚えた。
滞在するのは鉄骨5階建ての立派なホテル。必要な物だけをジープから降ろし、各部屋に運び入れる。部屋は4つ。たまにはそれぞれに羽を伸ばしましょうよと、ミチカが大盤振る舞いで個室を取ってくれたのだ。滞在予定の5日間も、基本的に各自の自由行動となる。
アシモを自分の部屋へ運んで充電アダプターを差し込むと、スグルはすぐにミチカと一緒に街へ出た。向かうはラーシャオ────パドルスク最大級の機械工房である。
ホテルから徒歩で20分。大通りに面した広い敷地にあるラーシャオ工房は、太い鉄骨が巧みに組み合わされ、コンクリートの壁面にガラスブロックまでふんだんにあしらわれた、大きなドーム状の建物であった。中央には8つの窯があり、直径5mの1本の煙突がそれらと繋がって天井まで伸びている。
エンジニアや職人たちの数は、ざっと見ても6、70人はいそうだ。部分的には機械によるオートメーション化が図られている区画もあるが、たいていの物が手作りで作られているようだった。
「ホンダの工場と比べてどうかしら?」
ミチカの粋な問いかけに、
「日本の工場よりレトロだけれど、すごく面白そう」
と、スグルは目を輝かせた。
「あそこにいるのがここの棟梁のイムル=ラーシャオよ。わたしは”イム爺”って呼んでるわ。祖父のこともよく知ってる人だから、色々と楽しい話が聞けるかもね」
ミチカに連れられて、スグルは棟梁に挨拶に行った。
「おお、ミチカ。元気だったか」
鷲鼻が特徴的な白髪の老人が、顔中に皺を刻んで微笑んだ。
「ええ、お陰さまで。イム爺も元気そうで何よりね。ダリアンはどうしてる? イッパシの職人になったのかしら」
「ははは。あいつはお前さんにフラれてからちょっとの間傷心しとったが、それをバネに仕事に打ち込むようになって、贔屓の客の娘さんと所帯を持ったばかりじゃよ。こんなに美人になったミチカを見てまた心変わりせんといいがの」
「やあね。それじゃイム爺もますます稼がないと、お孫さんにお小遣いがあげられないじゃない。今日は助手を一人連れてきたから、よかったらここで使ってもらえないかしら」
ミチカがスグルに目配せをする。
「えっと......スグルといいます。よろしくお願いします」
コクリと頭を下げて、スグルは小声でなんとか挨拶をした。
予想通りだが、イムルはスグルを見てこう言った。
「まだ子どもじゃないか。親はどうした。助手って言っても、できて雑用か見習いになりそうだが......」
「色々あってね。今は親がいないのよ。住む所も無いからここまで一緒に連れてきたんだけど......できればこの工房で雇ってもらえないかしら。こう見えても歳は17だし、腕は確かよ。イム爺も舌を巻くくらいすごいエンジニアなんだから」
「ほほう」
色白の小柄な少年をイムルは上から下までざっと見た。細すぎて体力を使う仕事には向かないだろうが、繊細な分手先は器用そうに見える。
スグルはフード帽を、防塵マスクを外して被っていた。黒髪は目立つのであまり晒さない方がいい、ずっと帽子を被っているかそのうち髪を染めるかしなさいとミチカに言われていた。
可笑しかったのが、パドルスクのような大都市ではヴォイドが下手に身動きが取れないという話だ。あの容姿で街を歩いたらそれこそ大騒ぎになるらしく、外出する時は顔に布を巻いて出かけるのだそうだ。想像するとあまりにナンセンスで笑ってしまう......と思っていたところへ、顔に布をグルグル巻きにした男が工房の入り口に現れた。絶妙なタイミングに、スグルは思わず吹き出しそうになる。
「そうそう、イム爺。仲間が剣を一本発注したいって。そっちの方もよろしくね」
バミラ山で竪穴に落ちた時、回収はもはや不可能でヴォイドはそのまま剣を残してきたのだった。スグルにとってはポケットの中の工具セットみたいなものだろうか。愛用の仕事道具を失って、彼はどんな気分なのだろう。
ヴォイドがこっちへやってきた。イムルの前で布を取って顔を露わにすると、さすがの老翁も頭を掻きながら感嘆する。
「こりゃまた稀に見る色男をつかまえたもんだ。アルが生きてりゃ、ひ孫の顔を楽しみにしただろうよ」
「ただの仕事仲間よ」
とミチカは軽く言ってのけた。
「それじゃスグル、頑張ってね。滞在中はいつでもホテルに帰ってきていいから。ここでやっていけそうだったら、イム爺に頼んで住む場所を提供してもらいなさい」
「うん」
ミチカが去り、簡単な説明で大剣の発注を済ませたヴォイドも、すぐに工房を出て行った。
スグルは棟梁に施設の案内をしてもらった後、早速仕事に取りかかった。




