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奇形種の巣から出て林間を全速力で走っていた3人は、山犬が追ってこないのを確認してようやく速度を緩めた。
「餌にされてなくてよかったぜ。ま、あいつの腹をかっさばいてでも助ける気ではいたがな」
銃をホルダーに差し込んだファイが、緊張感を解き放ってニカッと髭面を和ませた。
「そもそも動物の胃に収まった時点で、僕は死んでいると思いますが」
どうしてか、こんな皮肉がスグルの口をついて出た。皮肉────いや、いつも彼らがしているやり取りのようなくだらないジョークのかまし合いに、うっかり参加してしまったようだ。
「その神経の図太さじゃ、少々胃の中にいたって死にゃしないさ」
とファイが笑う。
スグルは妙な気分だった。人と話すことなど退屈だと思っていたのに、笑っているファイの顔を見ると次のセリフを考えてしまう自分がいる。
「どうやらここでも子どもに間違えられたようだな」
次の言葉はヴォイドが言った。これには反論できないのが悔しかった。
ズザザザッ────!
突如、何の前触れもなく足下が音を立てて崩れた。
「うわあっ!」
ようやく洞穴から脱出したというのに、今度はなんと竪穴だ。
ぽっかりと出現した地面の穴に吸い込まれるように小さな身体が落ちていく。間一髪のところでその手をヴォイドの手が掴んだ。だがヴォイドの足場も崩れ落ち、スグル共々竪穴に落下してしまった。
「おぅい! 大丈夫か?」
上からファイが覗き込む。
どのくらいの深さなのか、下にはまだ空洞が続いていたが、穴の途中でヴォイドが大剣を壁面に突き刺し、宙吊りの体勢でなんとか落下を防いでいた。
ヴォイドの片腕で引き上げられ、それから差し伸べられたファイの手を掴んで、スグルは地上に上がることができた。次いでヴォイドも、剣を足場にして自力で穴から這い出した。
「山犬だけじゃねぇ。地下にゃ巨大ミミズか巨大モグラでもいるんだろうよ」
ファイは身震いをひとつして、そこからは慎重に歩を進めた。もと来た獣道を見つけると、もう大丈夫だと胸を撫で下ろした。
しばらく行くと、テント小屋の前に立ち尽くすミチカの姿が見えてきた。
「スグル!」
彼女はスグルを目に留めると、すぐさま駆け寄って思いきり抱きしめた。
「無事でよかった......ごめんね、スグル」
豊満な胸の谷間に顔を埋める格好になり、スグルは慌てて抱擁から抜け出そうとしたが......少しくらいはいいだろうか。スケベ心ではなくて、ミチカの喜びを一緒に感じられる気がして、もう少しそのままでいることにした。
「おやつはできてんのかい?」
ファイがちょっと羨ましそうな視線を向ける。
「これから焼くわ。焼きたてが美味しいの」
泣きはらした跡があるミチカの目には、また新たに薄っすらと光るものが滲んでいる。
それを見てスグルは思った。
────この人にはもう心配をかけたくない。この人を悲しませることはしたくない。
そして分かった。この思いは自分だけではなく、おそらくここにいる男たちが共通に持っているものであることを。
その夜、もう一晩野営をすることになり、皆が寝静まった頃を見計らって起き出したスグルは、頭にフード帽を被り、黒い上着を着て外へ出た。
ジープの荷台から、改良した時に取り外して何かに使えないかとそのまま置いておいた鉄板を引っ張り出すと、近くの木の太い枝を2本拝借して、それと組み合わせた。
塗料が無いので鉄板自体に凹凸をつけることにした。スパナの先を鉄板にあてがい、ドライバーの柄でコツコツ叩いていく。
夕方吹いていた風は止み、綺麗な満月が頭上に昇っていた。その明かりだけで十分視界は確保できた。
「スグルがそこまで言うならあの奇形種は放っておきましょう。写真も撮らないし、ここにあれがいることも上には一切報告しないわ」
洞窟にある巣の話をすると、ミチカはそう言って報告書を作らなかった。
夜食用にとっておいたおやつのパンケーキを食べながら、スグルは黙々と作業を続ける。
ふと、背中からとても温かなものに包み込まれて手を止めた。
「寒くないか」
ヴォイドの声が、後ろから聞こえた。
「......何のつもり?」
「上着のつもりだ」
「上着なら着てるよ」
「一枚増えたと思えばいい」
「.........」
しばらくその温かさに浸っている自分が、スグルは不思議でならなかった。ヴォイドに後ろから抱きしめられている────けれど、別にそれが嫌だとも思わない。
「こんなふうに誰かの温もりを感じたことはあるのか?」
「うん、あるよ。山犬の奇形種の」
背中に密着していた身体が揺れた。笑っているようだ。
「......変わってるな、お前は」
スグルは再び作業に戻った。背中を覆う温もりも、それが作業の終わりを見届けるまでずっとそこにあることも、そのうち気にならなくなっていた。
夜が明けて出発前に、ある置き土産がバミラ山中腹の空き地に設置された。それは昨夜作った看板で、
『この先 土砂崩れ多発 立ち入り禁止』
と、凹凸の浮き彫りで注意書きがしてあった。人間と山犬が二度と遭遇することがないように、思いを込めてスグルが刻み付けた文字であった。
「さあ、行きましょう」
ミチカの一声で4人はそれぞれ配置についたが、いつもとは少し様子が違っていた。今日はミチカのバイクの後ろに、スグルが追加で跨った。ジープの運転手はヴォイドに代わり、ファイは助手席でのんびりと欠伸をしている。
スグルはミチカの腰に腕を回して、しっかりと身体をくっつけた。昨夜ヴォイドがしたように。
温かくて妙に心が落ち着いて────それはちょっとクセになりそうな、生きとし生けるものだけが味わえる安らぎの感覚であった。




