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ロッジに戻ると、ミチカたちはまだ例の過剰な接待とやらの最中なのか、誰もいない。それがかえって気まずい。
何はともあれいち早くアシモを起こそうとしたスグルだったが、唯一の話し相手が起動するより先に、今はなるべく話したくない相手が起動してしまった。
「何か言うことは無いのか」
コンセントから電源アダプターを抜こうと床にしゃがんだところで、背後から声がかかった。
社交辞令の要求か。こういう言葉のやり取りが、とにかく苦手であるのに。
「助けてくれてありがとう」
「それ以前に言うべきことがあるだろう」
「────」
微量ながらスグルにも罪悪感はあった。自分のせいでヴォイドがああなってしまったことに対して、申し訳ないという気持ちはある。
おそらく要求されているのが謝罪の言葉だということも薄々感じる。けれど────ここがどんなに時を経た世界であっても、人はそう簡単には変われない。
「もう少し大人になれ」
ヴォイドがため息混じりに言う。
「大人になるってどういうこと? 僕はそんなに子どもじみてる?」
口答えならすんなり出た。700年前の日本で大不評を買っていた口調そのままに。
それはほんの小さな反抗であった。なのにそれに対するヴォイドの行動は、思いもよらないものだった。
「えっ?......あっ」
突然身体が宙に浮いたかと思うと、次の瞬間スグルはベッドの上に転がされていた。たちまちヴォイドが覆い被さってきて、両手首を掴んで抵抗の芽を摘んだ。
「......何?」
「────」
脚も動かせないくらいに、のしかかった下半身が密着していた。眼前には怖ろしいくらいの美貌がある。あるだけならともかく......やけに切ない眼差しで見つめてくる。こんなふうに見つめられたら誰でもこの先の展開に無条件で身を任せてしまう、そんな目で。────いや、ここに例外がいた。
「こういうことが大人になるってこと?」
「経験があるのか? 無いんだろ」
低い声が耳元でささやいた。ゾッとするほど魅惑的に。
「あるよ────奇形種となら」
「────」
「あれだって元は人間だったんでしょ」
「そういうことを言ってるんじゃない」
「ならどういうこと? セックスしたら皆大人になれるって言いたそうだったから、それならあの司令官はさぞや尊敬に値する素晴らしい大人なんだろうなって思ったんだけれど」
当て付けがましい言い方をして、組み敷かれた体勢から逃げ出すために、掴まれた手首を動かそうとしたが────ビクともしない。
美しい碧眼が苦々しげに、そして少し悲しげに、黒い瞳を見つめ続ける。
「大人になることは、そういう意味じゃない。このエリアから出てはいけないのを知っていながら勝手に飛び出して、ミチカにどんな迷惑がかかるか考えなかったのか。体格の問題じゃない、思慮の問題だ。人に対する思いやりや配慮、それから......愛。それらが欠如したお前は、まだ経験の浅い子どもだとしか思えない」
「だったら子どもで結構。思いやりや愛なんて一度も感じたことがないし、この先もそんなものは理解できないと思ってる僕は、このまま一生子どもでいればいいよ」
愛なんて分かるはずもない。愛したこともないし、愛されたこともない────
投げつけるように言った言葉は、それでも思いの外ヴォイドに打撃を与えたようだった。口に出して言わなかった深層心理まで全て伝わってしまったのではと思うくらい、以降彼は物憂げな表情を浮かべたまま、もう何も言わなかった。
「手......痛いから、いい加減放してください」
ベッドから起き上がると、スグルはハーッと肩で大きく息を吐いた。消し去りたい出来事が、またひとつ増えた気がした。
気分を切り替え、ズボンのポケットから工具セットを取り出す。それから、履いていたスニーカーの靴紐を緩め、そこに重ねて結んでいた2本の導線を引っ張り出した。
アシモから充電コードを取り外した後、プラスドライバーで背中を開く。
一旦作業に取り掛かってしまうと、ヴォイドの存在も、さっきから感じ始めた空腹も、他のことは何も気にならなくなった。
ミチカの亡き祖父アルフレッドが意図的に残した未接続の回路を、丁寧に探って接続を試みる。内蔵されてはいるが未使用のカードリーダーの表面に、”MICHIKA20th"と書かれてあるのはどういうことだろう。2本の導線のうち1本はメモリーの拡張に、そしてもう1本がこのカードリーダーとの連結に必要だったようだ。
黙々と、ただひたすらに少年は機械と向かい合う。いつしかそこへミチカとファイが帰ってきたことにも気づかないくらい、熱中して。
「よし」
達成感を覚えてようやく手を止めた時、室内にある視線はすべてスグルに向けられていた。
「現世に戻ってきたかい、エンジニアさん」
テーブルにぐったりと肘をついた格好で、ファイが愉しそうに声をかけた。多少酒が入っているようで、髭面がほんのり赤らんでいる。
「ヨークの酒樽を全部カラにしてやるって息巻いてたけど、寄る年には敵わないわね。すっかり酔っ払いオヤジになっちゃって」
ミチカがフフッと笑って、その酔っ払いに水の入ったコップを差し出す。
テーブルには美味しそうな料理が並んでいた。首領との晩餐で出されたものの中から、ちゃっかりヴォイドとスグルの分を持ち帰ってくれたようだ。
「それで、アシモのバージョンアップは完了したのかしら?」
と近寄ってきたミチカに、スグルは大きくうなずいた。
「この胸の第3ボタンを押してみて」
促されるままに、ミチカの人差し指が好奇心一杯にアシモの胸元のボタンを押した。
固唾を飲んで見守る4人の耳に、ロボット本体の電子音声ではない、再生出力された人間の声が聞こえてきた。
『────ミチカ。20歳の誕生日おめでとう。これを聞いているということは、わしはまだなんとか生きて機械いじりを続けているということかな。それとも誰か他のエンジニアがお前のためにアシモを拡張してくれたのだろうか。いずれにしても、ミチカが元気でいてくれればそれが何よりだ』
「アル爺の声だわ......」
ミチカが両手で口を覆った。驚きと懐かしさのあまり、見開かれた目がみるみる潤んでいく。
『両親がいなくてもお前は弱音ひとつ吐かず元気に育ってきた。成人を迎えたお前の周りには、きっと心から信頼できる友人がたくさんいることだろう。ミチカ......いつまでもミチカはわしの大事な宝物だ。それはわしが死んでも変わらない。どうかこれからもミチカの前途が幸福でありますように』
「爺......」
思いもよらない時を超えた感動の再会に、ミチカの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちる。
『この拡張によってアシモに録音再生機能が追加され、メモリー容量も2倍になった。だがミチカ、いずれお前がこのロボットを手放して愛する誰かと共に寄り添い生きていくことこそが、本当の幸せなのだよ。機械に囲まれて一生の大半を過ごしたわしだが、一番幸せだと感じるのはミチカ……お前と過ごす時間なのだから』
アルフレッドの声はそこで途絶えた。
ミチカはアシモを胸に抱いて、泣き崩れた。




